映画化のニュースに心が救われた日
今日はしんどかった。ずっとしんどい日々なんですが、今日は特にギリギリのしんどさでした。某国立機関のお偉い様の化石のような対応に振り回されながらも、やっとこそさ確認を取ってOKが出た書類を発送した後に、さらに上の部署の偉い方が出てきて骨董品のような名称がついた書類の作り直しを依頼されて、あげくのうえに「まだ生きてたのか、お前!?」と声を挙げたくなるような部署に再送付するという貴重な体験をしていました。はっはっは、試練をありがとう!と思わずにはいられない日でした。ずっと「です・ます調」の文章でへーこらし続けたので、今日は「です・ます調」でしか書けなさそうです。
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よく大学教員の仕事は「教育」と「研究」だと言われます。たぶん昔はそうだったのでしょう。教育と研究の両立を云々なんて議論が出来ていた頃の大学教員はさぞや輝いていたことでしょう。実際のところ、殆どの大学教員のお仕事は「教育」「研究」だけでなくて「管理運営」を加えた3つが主です。そして近年は「管理運営」の割外が増えています。お金がなくなって貧乏になっていく中で、お金を貰うための書類作成が増えます。さらには責任回避するための、もしくは「もし○○が起きたら」という存在しないかもしれない未来の危険を回避するための書類ばかりを書かなければいけない世界線になってからは「管理運営」の業務割合がどんどん増えています。若いうちは小さな組織の管理運営をしていればいいのですが、年を取れば取るほど、扱う対象や責任が大きくなっていきます。管理運営に関わるエフォートの占める割合は天井知らずで上がっていきます。しかし、まぁ、これはきっと組織に属していれば、仕事をしていれば、家庭をもっていれば、みんなそうでしょう。そういう世界線で我々は生きているのです。
一方で、大学教員の仕事には、もうひとつ「社会サービス」という名のボランティア活動があります。この社会サービス、恐らくは大学の外からは見えづらい業務です。例えば論文を書けば書くほど、レフリー依頼も増えて審査をする側もやらねばなりません。気づけば雑誌の編集もやるようになりますが全てボランティアです。でも自分の論文だって、誰かが読んで審査をしてくれているわけなので、やらざるを得ないお仕事です。近年は論文を掲載/投稿するのに出版社に対して莫大なお金を払わなければいけない時代になりました。それでもレフリーや編集が無償のままであることはモヤッとするのですが、科学性を維持する為には無償である方が良いのだろうとも思います。
また、検索して名前が出てくるようになれば、様々な問い合わせが来るようになります。そういうのにも対応しますが、それも全て社会サービスのボランティアです。依頼されてちょっとした解説記事を書いたこともあったし、某出版本の下請け編集作業(ちゃんと著名な監修者様がついているが多忙なので、その下請けをする)なんかもやりました。テレビ番組や新聞に資料写真を提供したり、公共施設の展示物の解説用資料を作ったりしたこともありました。名前を載せてもらうことを条件に全てボランティアでやっていました。それ以外にもド田舎のお役所から電話がかかってきて説明に出向いたこともあります。そういえば教育委員会様に名指しで呼び出されて、置物会議かと思っていたら何故か叱責されるという有り難い経験もしたこともあります。それでも若い頃は、こういうのもアウトリーチ活動として業績になると思って依頼があれば進んでやっていました。任期を繋ぐためでもありました。更新申請のための書類が華やぐように。
ただ、このところは年をとって、任期制からテニュアになって、社会サービスという名のボランティアは学会運営活動の割合が一気に増えました。研究者は、たいてい複数の学会に入っています。特に境界領域とか、分野横断的に研究をしていれば両手の指の数ぐらい入っていたりすることも珍しくありません。学会が存在すれば、それを運営するマンパワーが必要です。学会の規模が大きければ、ある程度は外部委託出来ますが、どうしても研究者が自らやらなければいけないことも多いです。小さな地方会レベルになれば、たいていは大学教員が完全ボランティアで全運営をやっています。おっさんになって、このところは学会運営の仕事が増えてきて、なかなかにハードな状況になってきました。
今日はそんな「社会サービス」業務で忙殺されて、心が溺れました。こちらのリソースを欲しているのは貴方たちなのに!なぜに私の持つ時間をこれほど使ってまで書類を作らねばならないの!午後3時くらいに、一度パソコンを投げ飛ばしたくなる状況になって、本当に心が溺れて、なくなりかけました。やってられるか!と心の中で叫びつつ、慇懃無礼な文章のメールを書いて書類を送付する、というのを繰り返していました。もはや心はアシュラマンで、心の中で顔をクルクルと回していました。私個人のことであれば、この野郎!と怒ったり、無視したりも出来るのですが、組織の名称と共にある場合はそうもいかんとです。
そんなわけで、もう心がずぶずぶに溺れてイッパイイッパイになった日だったのですが、嬉しいニュースを見て、一気に元気になりました。なんと「鹿の王」が映画になるのですね。
いやはや、これは嬉しい。心が溺れた状態でぼーっとニュースサイトをみて、このニュースを知りました。この映画を見る日まで頑張らねば!と思いました。まだ終わってはいけない。不思議だけれども「まだ頑張らないと」そう思ったのです。上橋菜穂子さんは凄いな。上橋菜穂子さんの描く「心が溺れても、折れない人」達はとにかく格好いいのだ。映画化のニュースに心が救われた。頑張ろう、明日も。
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