g.m.design&art works 野本 昌宏 (がめちゃん)
病気の発覚から手帳に書いていた、闘病・治療のことを書いたものをまとめています。
2023年SS商品として、急遽リリースすることになったバケットハット、『avoid UV bucket hat』の製作秘話~LOOKBOOK作成のためにモデルさんに着用撮影したイメージ写真をまとめたマガジンです。
骨髄移植が出来れば、大丈夫。移植が終わればすぐに元気になれると思っていた、治療開始当初。 白血病には全く縁のない生活を送っていたので、知らないことばかりでした。 実際はそんなことはなくて、治療の後遺症や、重めに症状が出てしまった移植片対宿主病(GVHD)をコントロールするために、長く免疫抑制剤を服用しました。 そして弱くなった肌を守るため、GVHDの悪化を防ぐため必須となったのが紫外線対策です。 ブランドの立ち上げのきっかけはいくつかありますが、大きなポイントは、この紫
白血病サバイバーのがめちゃんこと、野本昌宏です。 6月17日に受けた、膵臓尾部・脾臓摘出手術から2か月半がたちました。 約3か月後となる9月10日に、2回目の外来検査・診察があり、それまでは身体の中の状態を血液検査による数値で見ることは出来ませんが、今のところの体感としては、順調に回復できていると感じています。 膵炎の原因だった患部を切除して、どの程度消化能力が戻ってくるか分からないので、不安を抱えてはおりますが、食事制限はなくなり、意識してよく噛んで食べれば、量はまだ
ヘルプマークを取得しました。 今回のnoteは、サバイバーさんや病気でお困りの方のために、私が取得した手順を最初に書いて、その後取得したきっかけや現状を踏まえた日記的記録を書きます。 1、取得した手順 私は地元長岡市の市役所に行って、総合窓口のコンシェルジュ職員さんにヘルプマークの取得をしたい旨を伝えて案内してもらいました。 案内してもらった窓口は、1F東棟の福祉窓口というところでした。 念のため病気の証明が出来るように、移植者手帳を持っていきましたが、特に不要でした
2024年6月17日 開腹手術 6月17日月曜日。昨年見つかった膵臓の障害を取り除く手術を行いました。 患部の膵臓尾部とそこにできた嚢胞が癒着してしまった脾臓の全摘出です。 以前の記事を読んでくれた方はご存知ですが、手術日まで2ヶ月半は大変な日々を過ごしました。 4月5日に体調を急激に悪化させて救急車で搬送されて緊急入院し2週間ほどで退院。その後5月12日に再度緊急入院でそのまま入院加療しながら手術を待っていました。食事が膵炎のスイッチになり、激痛で動けなくなるので、
今週初めの血液検査で、CRP(炎症値)が0.1になり、数ヶ月ぶりに標準値に落ち着きました。 禁食にして入院加療した甲斐がありましたし、手術に向けてどうするのが良いか、私の意見も聞きながら考えて提案してくれた主治医のおかげです。 状態が落ち着いて体調もかなり良いので、3日前から重湯にチャレンジすることになりました。 この病院では膵臓食Ⅰと表示されていて、重湯の他、具なしの味噌汁と栄養強化されたジュースなどいわゆる流動食が提供されます。 ほぼ1ヶ月ぶりに口にするしょっぱ味
6月になりました。そして手術日が決まりました。 インフォームドコンセントで言われていた6月前半ではなく、後半に差し掛かる6月17日の月曜日です。 現在入院している消化器内科の主治医や看護師さんは、『少なくとも6月前半ではないですね…』と気遣ってくれましたが、外科手術は週の前半の方が予後が良いという情報も耳にしたので、前向きにとらえるようにしています。 白血病サバイバーのその後の日常を書いていこうと思って始めていたのに、いつの間にか活動の報告がない時に、書くネタがないと思うよ
4月5日に腹部の激痛で動けなくなり、救急車で病院に搬送され、そのまま緊急入院しました。 昨年見つかった膵臓の障害が悪化し、内科的処置ができない状況になり、手術しか選択肢がなくなったのが、この入院時でのことです。 痛みが治まるまで強めの痛み止め、レペタンという非麻薬ではかなり強い薬剤を数日使って、もうろうとしながら過ごしました。 2週間ほど入院治療をし、最初は禁食で痛みが落ち着いてから重湯からスタート、5分がゆまで食上げをできたところで退院となりました。 白血病での入院
2024年3月30日、31日の2日間。新潟県三条市のSANJO PUBLISHINGさんにて、ポップアップ出店をさせて頂きました。 縁あって、昨年からお付き合いが出来たSANJO PUBLISHINGさんですが、3月より本棚を1区画お借りして、当方の古書部門の取り扱いをスタートすることになりました。 今回のポップアップはその記念イベントという形式でした。 初日に闘病のこと、ブランドのこと、本のことを語るトークイベントも行う予定で企画した今回のポップアップでしたが、トークイ
今年初め、友人がSNSで勧めていて、お世話になっている書店さんも推していた、柚月裕子さんの『風に立つ』を読みました。 この方の作品は、『慈雨』を読んで以来。読み始めてすぐに物語に引き込まれた記憶がありましたが、今回もあっという間に引き込まれて、もともと遅読で、しかも一日に割ける読書時間が少ない私が、1週間かからずに読み終えました。 読書をしていると自分が知らなかったことを知ることが少なからずありますが、恥ずかしながら、今回初めて補導委託制度というものがあることを知りました。
若年性がん/新潟AYA世代コミュニティHUGMEのオフ会に参加してきました。 3月17日に、若年性がん/新潟AYA世代コミュニティHUGMEのオフ会に参加してきました。 基本的には女性限定の会なのですが、昨年末の開催の時にも声をかけて頂いていたのですが体調がすぐれず参加が出来ず、今回も男性参加OKということで改めて声をかけて頂き、参加しました。 がんになった後というのは、ただ気楽に話したいと思っても、自分たちの抱えている見た目には分かりにくい、生きにくさや苦しさは、周囲
私がアート作品を作り始めた理由は、単純に絵を描くことが好きで、モノをつくることが好きということもありますが、白血病の治療で入院中に看護師さんから言われたことがきっかけの一つです。 『治療がうまくいった患者さんが作るものや寄贈されるものからは、良い気が出ていて、患者仲間が受け取るとそのエネルギーを受け取って治療がうまくいくんです。』 白血病の治療は、通称セミクリーンと言われる、準無菌エリアでの治療となります。治療の最中は基本的にそのエリアから出ることは出来ず、抗がん剤投与中
移植後5年のタイミングで、新たにInstagramをフォローしてくださる方や、イベントを通じて知ってくださる方が増えてきたので、なぜハットや帽子、ロンTを作るのか、背景を書き記しておこうと思います。 私が急性骨髄性白血病の骨髄移植後患者であることは、おそらくほとんどの方が知ってくださっていると思います。 私は移植後3か月くらいから、移植片対宿主病、通称GVHDという移植患者特有の後遺症を抱えながら経過観察が続いています。 症状がほとんど出ない患者さんもいる中で、私は結構重た
年末の移植後5年経過タイミングでリリースしようと思っていた新商品。自身の体調不良で遅れていましたが、ようやくリリースとなりました。 今回も自分自身が感銘を受けた、自分自身を鼓舞してくれるメッセージをデザインに取り込みました。 All we have to decide is what to do with the time that is given to us. 私が好きな映画、ロードオブザリングの中で、登場人物の一人ガンダルフが話すセリフです。 字幕には 『つらい目
自身の体調不良を抱えながら、妻がコロナ感染でダウンし、病人が病人を看病しながら、冬休みに入った子供たちをケアするというなかなかにタフな年末の1週間を過ごしました。 そして疲れを抱えながら年が明けて、妻がなかなかよくならず、自身も身体のだるさを感じて、冬休み中に少しは楽になるかなと考えていたお正月。 子供たちと1階リビングで休んでいたところ、まさかの緊急地震速報で、テーブルの下に避難。大きな揺れで、モノが落ちたり倒れたりする音が2階からして、2階で休んでいる妻が心配になりまし
先月末、11月29日に8月末に検査入院~急性膵炎後の経過観察が続いていた、膵臓の状態確認の3か月後検査がありました。 状態によって、外科手術による部分切除も想定されておりましたが、患部奥の膵尾部にあった膵液だまりの嚢胞が小さくなり、アミラーゼ値も下がったようで、手術は回避することになりました。 知人医師から聴きましたが、膵臓の手術は侵襲度が高いから、手術ダメージが結構大きいそうで、出来れば避けたかったので、ほっとしました。 服薬と食事制限は続ける必要がありますが、改善が
先日、ヒダノマナミさんの運営するYouTubeチャンネルに出演、対談してきました。 私が今g.m.design & art worksでの仕事で関わっている方には、YouTubeを運営している方が数名いまして、皆さんかなりの数のフォロワーさんがいます。 コンスタントに動画をアップするには、ネタ探しも大変だと思いますが、撮影後の編集が特に大変ということを共通でおっしゃっていました。 自身のチャンネルを持つことは、私も興味はあるのですが、本業の仕事にg.m.designでの動