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クリエイターをクリエイターたらしめるもの/ぼくたちのリメイク6巻 書評

ぼくたちのリメイク6巻読みました。

今回は途中退場した貫之を連れ戻すべく、貫之どころか、貫之の父親にまで会いにいき、説得を試みるというのも。

本編では恭也とナナコが貫之を連れ戻すべく、奮闘しているように見えたけど、かなり貫之本人の葛藤も描かれている。

その葛藤は、クリエイター職がどれだけ茨の道なのか、何故好きなのに踏み込みきれないのか?と言ったクリエイターを目指す人の悩みを掘り下げたものだった。


貫之は、鹿苑寺家といういくつもの病院を運営する由緒正しい家系に生まれ、将来も約束されたような場所で生まれた。親の家系にならい、エリート街道を進む事も出来たが、小説や映画といった娯楽に貫之は魅せられ、芸大に入る。

貫之の境遇とまで言わなくても、芸大に入る事を懐疑的に思う親や、クリエイターを生業にする事はやりたいと思った全ての人間が出来る事ではないのはない。貫之の境遇を考えれば尚更、安定した仕事につき、趣味として創作活動をしたって良い。

何を仕事にして生きていくかは、とても大事な事だ。好きなことを仕事にするか、それとも折り合いを付け、堅実に生きていくか。どちらが正解なのかは、人それぞれだ。

クリエイターという職業が、どれだけ魅力的なのかと同時に、その道を進むリスクや現実的な側面を、今までは当事者として取り上げてきた。しかし今回は、より客観的には見せていて、そこが本巻の特徴の1つだと思う。


それでも、その魅力に魅せられ、同じようにクリエイターを志す人は常にいる。好きなものを自分でも作る事で充実感を感じれたり、自身のアイデンティティを形成してくれるからこそ、その道を志す人は後を絶たない。

物作りにおいて、壁を乗り越え前に進む原動力としてほかならないのが、自分が作った創作物だ。仲間や、時間やお金と同様、自身の作ってきた作品が、前に進む為の原動力となる。自分が作った作品というものは誇らしいものだし、辛いことや嫌な事があっても、「自分はこれだけのものを作ったんだ」という何よりの形として残る自信なのだ。それを他人と共有する事も出来るのが創作の素晴らしさなのだ。

恭也やナナコ、シノアキは、こういった自分が生み出せる喜びや、自分の苦悩や喜びをしっかり形としておける創作活動において、自分達以上に創作に対する喜びや苦悩を知っている貫之を連れ戻す事は絶対にやらなきゃいけない事なんだと思う。

ぼくリメは次回から大きく物語が動くと作者は言っているが、どういった動きを見せるのか、創作という行為をこれ以上どうやって掘り下げるのかとても楽しみだ。







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