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「怒り」は怒りの感情から湧き上がるものではない

今、3ヶ月集中プログラムの「Love Myself Program」を
受けてくださっている方々に自分の感情を深掘りしていくための
「自己対話ノート」を書いていただいている。

それを書くにあたって、質問や疑問などにお答えしているのだけれども
「感情」はやはりフェイクだなと感じている。

特に「怒り」の感情を私たちが持つときに
それが「怒り」から端を発したものではないことを
深掘りしていくことで理解することになる。

誰かの言動などにおいて「怒り」が沸いたときに
怒りだけにフォーカスしていると
ずっと怒りの感情を手放せないまま疲弊していく。

それは心も時間も身体においても。

怒りの感情が湧き上がった要因を探っていくと
じつにさまざまなことに気づいていく。

時には「自分を蔑ろにされたことへの傷つき」
それは「悲しみ」の感情だったり

また「理解してもらえないことへの傷つき」
それは「孤独」の感情だったりと。

大抵の場合、怒りという燃えるエネルギーは
悲しみや孤独、辛さといった静のエネルギーが
転換された感情だったりするのだ。

本当に不思議なのだけれども
対極にあるような感情が真の要因だったりする。

占星術においても同じことが言える。

補完関係にある「アスペクト」
天体と天体との緩衝度合いを示すものの中でも
ハードアスペクト(角度が鋭角)の180度の関係性の場合。

この対極にあるものがいることによって
バランス、調和が保たれていると感じる。

星座という考え方においても然りで
獅子座の対極にある水瓶座は
全く異なる性質を持っているわけではなく

少し違ったところから世界を観ているだけの
仲間のような存在なのだ。

悲しみを悲しみとして感じ取ったときに
それを受け入れることが辛いと感じたら
悲しみを怒りのエネルギーに転換するにかもしれない。

そうすることで自分を保つ
バランスを保とうと自然と私たちは行っているのかもしれない。

しかし、それも長年やり続けてしまうと
感情にすら鈍感になって、「自分自身」を見失ってしまう。

悲しければ、悲しいままに。
怒りたければ、怒ればいい。

素直にそれを表現できるようになれると
きっとバランスが自然と保たれていき
自分らしさも守れるのではないかと思う。


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