見出し画像

自分の時給を上げて行け

時間当たりの生産性を真剣に考えていくと体はラクになり、さらに売上げもあがる、という話

毎月一度来社していただいている税理士さんが帰ったあと、少し考えていた。

その月の売上げやその他経営に関わる数字の内容を説明していただいたあとに前年比のグラフを確認するのが恒例の流れだが、今期も今のところまずまず。この数年微増のゆるい右肩上がりなのだ。

今月もご多分に漏れず前年比数パーセントの微増。

情けない上がり方がいかにも私らしいのだが、それよりも最近感じていたのが、前年比微増にもかかわらず、労働時間の長さや内容に余裕ができてきているのだ。

実際に時間当たりの生産性を数値化したわけではないが、明らかに去年より体はラクだが成果は横ばいか少し増している。

体がラクをしている状態は決して手を抜いたりサボっているということではなく、日中の仕事の割合が第一領域的(作業など)なことより、第二領域的(作戦会議など)なことの方が多くとれているということだ。

同じ日数で成果は増しているということで、時間的余裕ができ、その時間をさらなる成果向上のために投下できるという好循環。

その投下した時間で考えた施策が利益として還元されるまでは時間がかかるだろうが、そもそもこの第二領域の時間が割けなければ商売はいつまでたっても苦しいままだろう。

この繰り返しでいかに少ない労働時間で生産性を高めていけるかがキモとなるが、その仕組みを極限まで高めた一つの形が株式や不動産などの不労所得になるのかと思う。

最終的にどこを目指すかによっても意味合いは大きく変わるが、薄給で長時間働かされるより、短時間、もしくは寝ている間にでも利益を生む仕組みを構築できるのが理想ではないだろうか。

何も不労所得を推奨しているわけではないが、自分の仕事にある程度自信があるのならその報酬は高いほどいいに決まっている。

小学生の息子たちと最近よく一人暮らしやらアルバイトやらの話をするのだが、時給をもとに算出される生活費に子供達も驚いている場面がよくあるのだ。

例えば横浜市で人気沿線の駅から徒歩10分の物件。家賃の相場を伝えた後、食費からはじまる生活費を足していくと子供たちの世界観からすると大金が必要と気が付かされるようで「この時給だとこんなに働かなきゃならないのか」とうなだれるのである。

この話をしていると度々我に返りはたして今の自分の労働生産性は時給換算するといくらになるんだろう、と考えてしまうのだ。

この2年程、役員報酬を上げてはいるが労働時間は平均より長いだろう。休日も仕事をしていることも多く、好きで働いているとはいえ、正直それならもう少し報酬をいただいてもバチが当たらないのではと思っているのは私だけかもしれない。

とはいえ、今は発展途上段階と捉えている。今の報酬の額がどうこうというより、この先の将来にもう少し短い時間でより高い報酬が得られるような仕組みを構築中ということで現状の待遇は一旦棚上げとしよう。

それにはまだまだ顧客に対しての価値提供の質を上げ、喜んでいただける人の数をもっと増やしていかなければなるまい。

自分という資源を最大限活かすにはどうしたらいいか考える



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?