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同種のコミュニティーに馴染むことの怖さ

大きな会社や同業が集まるようなコミュニティーで、似たような価値観を共有することで、それ以上になろうとする気持ちが削がれてしまう、という話

昨夜は久々にセミナーに参加。オンラインでの受講だったが、平日ということもあり、開始が19:00で終了したのは10:30を少し過ぎていただろうか、普段の私ならとっくにベッドにもぐり込んでイビキをかいているだろう時間。

仕事を済ませてそのまま事務所のパソコンから受講していたので帰宅は11時をまわっていた。完全な朝型人間からすれば11時過ぎの帰宅は深夜に相当する。

ノンアルコールでしかも3時間以上脳みそをフル回転していたせいもあり、放心状態で帰路についた。

そのまま風呂に入り、湯舟で放心状態の頭を少し整理していた。

今回のセミナーのテーマは『農業における経営改善』。

何も今の事業を廃業して農業を始めるというわけではない。以前から農業という業界がどことなく私のいる建設業に環境や状況が近しいこともあり、興味を持っていたのだ。

事業継承やなり手の不足、マーケティングなどの経営のノウハウや資金繰りなどのお金の問題など、少数で営んでいることも多いことから弊社のような末端の零細建設業と問題がかぶるようなところもあり、参考までに参加してみたのだ。

その中で、講師の方から農業の現状を説明するくだりがあったのだが、やはり建設業と似たような業界の構造であるようで「閉じられた世界で固定観念が蔓延している」とのこと。

私も以前、同業者が集まるコミュニティーに多数参加していた時期があり、同様のことを感じたのを思い出した。

互いの活動に刺激を受けて相乗効果で向上していく、ということなら有益なコミュニティーかと思えるが、大概は同じような悩みを打ち明けては、傷をなめ合い、苦労している同志がいることで安心を共有する。

みんながうまくいっていない=不況だから仕方がない、という答えに落ち着き、その後の懇親会にてその不安をアルコールで流してしまうのだ。

コミュティーに参加すること自体は否定しないが、私の見解としては、閉じた世界で同種の人間とつるんだところで何も変わらない。もしも現状を好転させたいなら、違う世界のコミュニティーに顔を突っ込むべきだ。

業界にかぎらず、大企業などの共同体も同種の人間が集まりがちで、そこでできた世界観が通用するのはその界隈だけだということを理解した方がいい。

孤立した環境が自立心を育み、足りないものを補うために別世界へヒントをもらいに行くのだ。

「閉じられた世界で固定観念が蔓延している」

まずは自身の考え方がすでに凝り固まってはいないか、と疑うことから始めてみるといいかもしれない。

同調圧力で均されてしまった考え方では新しい発想や変わるための行動は起こしにくい。平均的なコミュニティーに属しているという安心感は、それと引き換えに個人で戦う意志を忘れさせてしまうと思うのだ。

どこのコミュティーに属していようが、最後は自分自身で歩いていかなくてはならないゆえ、その安心感は偽物である。

そこに早く気づき、実力を身に着けた人だけが本当の安心を手に入れることができるのだと思う。

農業はそんな自立に向けて着々と新しい考え方を導入している。建設業に自立の意識が向けられるのはどのくらい先だろうか、寝落ちしてしまいそうな湯舟の中で悶々と考えていた。

別世界の価値観が、自身の環境に新しい気づきを与えてくれる




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