暗渠道への誘い 谷戸川編② ~取り残された空間たち~
間隔が少々空いてしまったが、谷戸川編、第2回である。
前回は、源流部から川下りをし、暗渠から開渠へと劇的に変わっていく川の姿を楽しんだ。そして「谷川橋」という橋のところまで紹介して終わっていた。
「萌え断」に誘われて
まずは、前回の最後の写真を再掲しよう。
何度見ても、良い。
「断面萌え」あるいは「萌え断」という言葉があるようだが、こういう状況で使うための言葉だろう。
暗渠の断面だよみんな!!!
当然、橋から身を乗り出して覗き込むよね。
フラッシュをたいて、断面の内部を頑張って撮影するとこんな感じだ。
フタがされているだけで、内部の構造は本流とほとんど変わらないことがわかる。ただ、幅は本流よりかなり狭い。
そして、本流とは違い水は流れていなかった。しかし水の流れの痕跡があるようにも見える。雨の日などは流れているのかもしれない。
よく見ると、けっこう奥にも植物が生えている。あんなところに植物がいるというのも驚きだ。
ハシゴ式コンクリ―トにそのまま蓋を載せているのかと思いきや、コンクリートと蓋の間は微妙に隙間があるようだ。不思議である。
支流の暗渠上から谷川橋を撮影するとこんな感じだ。
橋そのものは、1つ前の橋と同じような、素朴な趣の小さな橋である。
さて、今回はまず、この支流の方を遡っていくことにする。
谷川橋から西に向かう支流は、しばらく蓋暗渠という姿である。
暗渠はそのまま、果樹園のような敷地に突っ込んでいく。
実は、この場所を「雪の日」に撮影した写真がある。2022年1月、東京に4年ぶりの大雪警報が発令され、積雪10cmを記録した日の翌日だ。
ご覧のとおり、暗渠の部分だけ雪が少なかったのが印象的だった。これはやはり、地下の構造が違うからではないかと思う。
この場所ではかなりの迂回を余儀なくされる。北に進み、城山通りという比較的車が良く通る道に出て、しばらく東に進むと、暗渠の続きが見つかる。
続きはこんな姿。写真の奥がさっきの果樹園である。
道幅は一段と細くなった。
黄色いコーンの所有者はわからないが、ここまで明確に「入るな」と言っている所にズカズカと入るのは流石に遠慮した。
ズームで撮ってみると、「突き出し排水管」が暗渠へつながっているのが見える。奥の明るいところもフェンスで封鎖されているようだ。
さらに上流、道を挟んで反対側は、このような細い蓋暗渠がわずかに続いたのち、小田急線の高架にぶつかって消えてしまう。
ここで終わりか?と思わされるが、この暗渠道は、小田急線を越えた先にまだ続いている。(2004年にこの場所が高架化される前は、線路の真下を暗渠が通っていたと思われる)
小田急線を迂回するには、東側から回った方が早いのだが、ここでは西側から回ってみた。
その際、祖師ヶ谷大蔵駅の改札前を通ることになる。当然ここは人通りが多く、賑わっている。
暗渠を辿っていると、基本的には、人気の少ない静かな場所を通る場面がほとんどだ。突然、一瞬だが人ごみに紛れることになり、ちょっと不思議な気分になる。
北口広場のウルトラマンにご挨拶して、暗渠の続きを探す。100mほど東へ進んだところに、それは見つかる。
さて、入る勇気はありますか?
極細支流暗渠という異世界
住宅地と住宅地の間に、ぽっかりと穴が開いているような、そんな印象の道だ。暗渠道の細さレベルで言うと、かなり細い方である。
入っていいものかと躊躇するのも無理はない。
しかし、この道の地面には、またも心強いサインがある。
「世田谷区」の境界標だ。ご丁寧にも両側につけてくれている。
なので、この暗渠道は私有地ではない。
境界標が示す土地の幅が、実際の道幅と一致していないのは気になるが、境界標はこのような置かれ方をしていることもけっこう多い。構造上の理由があるのかもしれない。
区のお墨付きをいただいて、安心して進むことにしよう。
とはいえ、ここから先は常に、民家の裏側に肉薄している場所を通ることになる。区有地だからといって、我が物顔で通るのも違う。
ぜひ謙虚な気持ちで進みたい。
実際に通れば分かるだろう。
それはもう、「おじゃまします……」「こんなところに部外者がすみません……」と、背徳感まみれでヒヤヒヤしながら通ることになる。
そういう極細の道である。
なぐさめの世田谷区境界標はコンスタントに置かれている。
この道は、蓋暗渠と、アスファルト舗装とが入り混じる。
雨水を流すためか、所々、こうして路面に穴があけられていたりする。
左の写真は、アスファルトの舗装の下に、コンクリートが覗いている。これはかつてハシゴ式暗渠だった名残かもしれない。
なお、私はこの左の穴の中に手を入れて、内部が空洞になっていることを確認してしまった。(ちょっと怪しい行動だよな……と思いつつ)
さて、この先は、こんな雰囲気の、極細でまっすぐの暗渠道が続いていく。
地図で見るとわかるが、ここは200m以上にわたりほとんど直線となっている。
その間、終始ずーっと、「裏側」である。
たっぷりと味わいながら歩いていこう。
足元の蓋暗渠は相変わらず、時折、ガタゴトと音を立てる。
途中で、洗濯物の洗剤のにおいを感じたり、テレビの音声が漏れ聞こえてきたり、そんな場面もある。
洗濯物だったり、裏庭に置かれた家財だったり、プライベートなものが、否が応でも視界に入ってくる。
そして両側にあるフェンスや塀の圧迫感からは逃れられない。
そういう体験をする200mである。
大げさに言うと、時間の流れが少し違うような感覚に陥るかもしれない。
あるいは、「ここだけ、時代が、ちょっと昔」のような気がしてしまうかもしれない。
このあとにも出てくるが、特に支流に多い"極細の暗渠道"は、
「時代から取り残された空間」のように見えてきて、
ちょっとしたタイムスリップと言ってしまうと嘘くさいが、なんだかそれに近いような感覚を味わえる。そういう魅力をもっている。
この支流暗渠は、最終的に細い道路に出て、個人宅の敷地にぶつかって終わる。その先の流路は判然とせず、辿れるのはそこまでだ。
振り返って撮影するとこんな感じだ。
「トンネルの入口」は、異世界への入口のような雰囲気を持っていて、実際いろいろな作品でそういう演出に使われたりもする。
でも、この「極細暗渠の入口」も、同じくらい、異世界への入口のような、魅力的な雰囲気をまとっているように思う。
まだまだ取り残される谷戸川
さて、谷川橋まで戻って、本流を下るのを再開しよう。
谷川橋から下流側を望むとこのような光景である。
写真の右側には、人ひとりが通れるほどの細い空間が映っているが、両端が封鎖されており、入るすべはない。
迂回して、次に見えている「五月橋」へ行ってみる。
すると、この橋の下流側では川沿いの道が封鎖されておらず、きれいに舗装もされている。せっかくなので、谷戸川とランデブーさせてもらう。
そして、「荒玉水道道路」(都道428号線)と交差する。烏山川編でも出てきたが、地下に水道管が埋設された道路だ。
ここも橋と呼ぶべきだろうが、名前は書かれていない。
水道道路と交差したあと、谷戸川の本流はまた一瞬、蓋暗渠の姿に戻る。
そして、区立の保育園と、草山公園という公園の地下を通っていく。
再びハシゴ式開渠となるのは、草山公園を越えたところにある「山野橋」からだ。
これが山野橋。写真の右側が下流で、白と緑のフェンスのあたりからハシゴ式開渠となって流れている。
道路のアスファルトには、川跡がくっきり浮き出ている。これは暗渠の橋跡でよく見かける光景だ。
そしてよく見ると、ここでまたもや、本流とは別方向に延びている蓋暗渠があることに気づく。写真の左側である。
これも谷戸川の支流暗渠だ。
川というのは案外、細かい支流を多く持っていたりする。都市河川の支流は、今やことごとく暗渠化されているが。
いったん、この支流を追いかけよう。
と言っても今回は手短に。
蓋暗渠の姿のまま、しばらく続いていく。飲食店やクリーニング店の目の前が暗渠だ。
やはり所々の蓋がガタついている。
そして、さっき交差した「荒玉水道道路」に再びぶつかり、少しだけ並走する。
蓋暗渠がぷっつりと途切れるような場所(写真右)に至るが、道を渡った反対側につながる。
そこは、こうなっている。
ここも個人的にかなり気に入っている光景。
再びハシゴ式開渠に戻り、そして、通行できなくなってしまう。
川の横幅はすっかり、大変細くなってしまっている。
左右の住宅はいずれも比較的新しい。その間に挟まれた、無用の空間であり、やはりここも、時代の流れに取り残されてしまったような場所だ。
いつ埋められてもおかしくない場所だが、埋めた所で使い道もほとんど無いので、埋められずに残っているのかもしれない。
ここを迂回した先はどうなっているかというと、
前回も出てきた山野小学校にぶつかって終わっている。そこにある門はその名も「谷戸川門」だ。(この名前は昔からあったわけではなく、比較的最近つけられたようである)
この小学校の地下、もしかして、暗渠が走っているのではないだろうか……
この小学校の東側にも、なんだか暗渠くさい道が何本かあり、面白そうなエリアなのだが、確証に欠ける部分もあるので割愛しよう。
本流に戻る。
二つの意味で早く見るべき光景
分岐地点だった山野橋に戻って、下流側をのぞき込むと、こんなことになっていた。
大きな開口部があり、水が勢いよく、谷戸川の本流へとそそいでいる。
先ほどの蓋暗渠の下には、それなりの水が流れていたということだ。
最後の狭い開渠の所では水が枯れていたので、その間に水を集めてきたということだろうか。
次の「砧橋」もまた、こじんまりとした、古びた橋であった。
そして、写真でお分かりだろうか。
緑のフェンスの向こうには、未舗装の細道が並走していて、そしてその部分は封鎖されていないので入ることができるのだ……!
砧橋から。この左側に見える道です。
行っちゃいます。
未舗装の細い道で、心理的なハードルがある道だが、入らせていただいたのは、ここが公的な土地だという確証があったからである。
この道では、写真のような「砧」と彫られた境界標が多く見つかる。
現在の世田谷区に砧土木管理事務所という組織があるので、そういった組織のものではないかと想像している。
先ほどの極細支流と同じく、区有地だからと言って堂々とせず、謙虚な気持ちで進む。なにせ、本当にすぐ左側は住宅である。
この道へ降りてくる階段を備えている家が見つかる。
この道で出会えるのは、こういう光景だ。
擁壁から排水管がニョキニョキと伸びて川につながっているのが見える。
奥に見えているのは「中の橋」。その橋の下流でも、同様に、川の左岸に沿って細い道が続いている。引き続きお邪魔する。
対岸に、とんでもない状態の境界標が見えた。
そうまでして境界標を打たねばならない場所なのだろうか…?
(おそらく先に境界標があって、そのあとコンクリートの壁ができたのだろうが、それにしてもなかなかな姿だ)
「中の橋」の先の典型的な光景。
工場、マンション、児童館、それぞれの裏側に囲まれてしまう。
やはり多くの排水管が見える。
このあたりの景色から想像したいのは、「もし、ここに蓋がされて、暗渠になったら」ということだ。
あの排水管は、もう少し延長されて、蓋の下へ突っ込んでいく。それが、烏山川緑道でも見かけた、突き出し排水管という暗渠サインになる。
いま、この川に玄関を向けて建っている家など、当然1軒もない。だから、暗渠道になったら、すべての家が裏口を向けることになる。
そして、ここが暗渠になるというのは、案外すぐにでも、現実に起こりうる話である。
私は個人的に、このハシゴ式開渠という姿はとても魅力的に感じていて、残してほしいと思っているが、周辺住民の方の印象は違うだろう。
物が落ちてしまったら簡単には取れないし、子供が落ちたら危ないと感じている人もいそうだ。酔っ払いが川に落ちたりしているかもしれない。
万人にとって「美しい」と感じる光景でもない。「汚い」と思う人もいる。
現在の谷戸川は、水質が著しく悪いとか、悪臭がするとか、そういう都市公害のような環境ではない。それでも、「早く蓋をしてくれ」という声はあるだろう。
烏山川編が終わり、谷戸川編を予告した時に、「二つの意味で早く見るべき谷戸川」と紹介した。
早く見るべき理由の1つ目は、暗渠の蓋の下に何があるのか、暗渠を歩くというのは何の上を歩いているということなのか、それをイメージするのに十分なヒントを与えてくれるから、である。この場所の光景もそのヒントの1つだ。
そして2つめは、この光景がいつまで残っているかわからないから、である。
その先にある「塔之下橋」は、今までと違って鉄製フェンスの橋になった。作られた時代が違うのだろう。この先、右岸が公園になっているので、そこを進む。
名前のない小さな橋があり、その橋の上から振り返って撮影した。この区間、川の片側(写真左側)は公園、反対側(写真右側)は封鎖されたスペースとなっている。高い塀などが無いので、やや開放的な印象になった。
この先で、しばらくの間、川に沿って進める道がなくなってしまう。
その間に川はカーブして東から南へと向きを変える。
その区間の様子は、周辺住民のみが知るところである。
大迂回をして、川に触れられる地点までやってくると、今回もまた一匹の「暗渠猫」に出会った。
暗渠というか、もう開渠なので、「開渠猫」か?
(ハシゴ式開渠はキャットウオークだらけなので、猫にとっては楽しいかも)
この猫の視線の先に、こんな光景があった。
ふたたびの萌え断、その先の絶望
「谷川橋」「山野橋」で出会った支流は、直角カーブのような合流をしていたが、ここでは自然の川に近い、緩やかな合流だ。
今回断面を見せている支流には、しっかりと水が流れていた。
断面にばかり気を取られず、道の上を見ると、蓋暗渠になった支流が奥へ伸びているのが見える。
この支流を辿って、そして本稿はそこでおしまいにしよう。本流下りの続きはまた次回。
迂回して、あの断面の直上まで行ってみる。
毎日こんな光景を見られるなんて、この場所の住民が羨ましい。
住民の方が育てるプランターが置かれているのは、"暗渠あるある"だ。
これらは一部の有識者の方々によって「路上園芸」と名付けられており、観察対象として楽しい。
遡っていくと、これも暗渠あるあるだが、自転車、物置など様々なものが雑多に置かれた蓋暗渠となっている。
そして、その先では「絶望」に出会える。
いつまでも
あると思うな
ハシゴ式開渠(字余り)
フェンスから覗き込んでみると、真新しいパイプが足された排水管が、蓋の下へ潜っていっている。
蓋は汚れてはいるが、しかし年期を感じさせる蓋ではない。
インターネットで検索してみると、この少し先の地点が開渠であった頃の写真を載せている方のブログが出てくる。
おそらくここも、最近になって蓋がされ、そして暗渠道として開放されることなく封鎖されてしまったようだ。
ほかにも、インターネット上の古い写真では開渠なのに、いまは蓋がされた暗渠になっているという場所は、多く見つかる。簡易的な蓋暗渠が、本格的にアスファルト舗装されて、川の痕跡が極めて薄くなってしまう例もある。
やはり、開渠/暗渠のある風景は生き物なのである。
……というわけで、気になっている方は、早めに見に行った方がよさそうですよ?(笑)
この先は、家と家の狭いスキマに、今までで一番細い暗渠が走る、たいへん面白い空間になっているようだ。
ただ残念ながら多くが私有地の中にあり、立ち入るのは憚られる。
私有地に立ち入らずに、公道から撮影できたのは、少し進んだこの地点。
もはや、川というより水路、ドブといった風情になっている。
奥に見える小さな橋のあたりから先は、個人のお宅である。ここでも路上園芸が暗渠に彩りを添えている。
この水路はすぐに蓋暗渠となり、道路に沿って北へ向かう。
最終的にはこの「砧一丁目ろっかく公園」という公園まで追うことができた。すぐ向こうは環状八号線だ。
周辺は再開発中で、なんだかさっぱりした場所になってしまった。
本稿では、谷戸川の支流暗渠を3本たどった。
3本それぞれに、印象的な光景を持ち合わせている。
暗渠探索の真髄は、支流にこそあるような気がしている。
今回は寄り道を繰り返してルートが複雑になったので、ここで地図を示しておこう。
川の下半分は次回の探索エリアなので、ネタバレを避ける意味では、地図の下半分はあまり見ない方がいいかもしれない。(笑)
(Google My Mapsが見られない方は、下の画像をどうぞ)
さて、本流はというと、先ほどの断面萌え地点のすぐあと、世田谷通り(都道3号線)の下を橋でくぐっていく。
谷戸川の旅も、ようやくこれで半分を過ぎた。(まだ半分!?)
今回はここまでにして、次回、一気に最後まで下っていくことにしよう。
次回、谷戸川編最終回。
まだまだ続く、谷戸川七変化。
柏原 康宏(かしわばら やすひろ・理科教諭)
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