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暗渠道への誘い 谷戸川編③ ~人工と自然の狭間で~

暗渠をたどるニッチなコラム、その谷戸川編の、最終回である。
間が空いたので、簡単にこれまでの川筋を振り返っておこう。

前回、ずいぶんと寄り道を繰り返した。復習も兼ねて、このタイミングで地図を載せておきたい。
(でも地図の下半分は本稿で辿るエリアである。ネタバレを避ける意味では、下半分はあまり見ない方がいいかもしれない 笑)

(Google My Mapsが見られない方は、下の画像をどうぞ)

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谷戸川の旅は、こんな心細い閉鎖空間の暗渠から始まった。

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いつのまにか「蓋暗渠」になり、

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小学校の脇から「ハシゴ式開渠」になり、

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支流が合流する「断面萌え」を何度か見せつけながら、

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いつ無くなるとも知れぬハシゴ式開渠の姿で、住宅地の合間を抜けていった。

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そして、世田谷通りをくぐる地点まで来て、前回はここで筆をいた。

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この先から話を再開しよう。一気にラストまで駆け抜ける。
例によって長いのだが、最後の最後にまた大展開があるので是非お付き合いいただきたい。



まだまだ続く”早着替え”


世田谷通りをくぐる橋はそれなりに立派なのだが、名前は書かれていない。
その先の谷戸川は、相変わらずのハシゴ式開渠だ。

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右側のさびれた看板には、「ゴミや土石などを川に捨てると洪水の原因となりますのでやめましょう 世田谷区土木部」とあった。
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そのすぐ先で、並走する道は早速消え、またもや一般人の立ち入れない空間となってしまう。
ぐるっと迂回すると、川の姿はまた変わっていた。

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とまあ、こんな感じで、これまで見た中でも最も幅の広い「蓋暗渠」と化していた。
最近はずっとハシゴ式開渠だったので、なんだか、ちょっと振り出しに戻されたような気分にさせられる。(いや……戻ったのか?進んだのか?どっちなのだろう)

見ての通り、並走する道路よりも、蓋暗渠の方が広い。
ここまで幅が広い蓋だと、下から蓋を支える柱がもっと必要なんじゃないか、と思ってしまう。中の構造が気になるが、伺い知るすべはない。

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そしてここの蓋暗渠は、周辺住民によってさまざまに利用されている。
ゴミ集積所、(非公式かもしれないが)駐輪場、それらはすべて水面の上に立地していることになる。

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このように「水路蓋」と明記されているのは、珍しいと思う。
こんな看板が立っていたり、「駐車禁止」と蓋の上に書かれていたりするわりには、堂々と駐車されている車を見かけた。大丈夫なのだろうか。
この先にはバイクも多く止めてあった。



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次の道路との交点まで蓋暗渠が続く。
ここには「横根橋」と書かれているのだが、注意していないと、「橋」だとは認識しづらいかもしれない風貌である。昭和38年にできた橋とのことだ。(矢印のところに橋名板あり)


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下流側はしっかり橋の風貌であった
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横根橋の下流は、一瞬だけ、ハシゴ式コンクリートすらも無い、開渠となっている。これを何と呼べばいいのか、「ふつうの開渠」で良いのだろうか。
とにかく、蓋暗渠から開渠に戻った。
そしてこんな場所で水鳥に遭遇した。

その先は再びハシゴ式開渠となる。

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このあたりは川が直角に曲がっているが、明らかに人工的な改修で流路が変更されたものだろう。
並走する道がなく、再び迂回する。

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次の「稲荷橋」から上流を見るとこんな感じ。
人が立ち入れない空間で、そして、ずいぶんゆったりした空間である。
このハシゴ式コンクリートは必要なのだろうか、と、思わないでもない。

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この「稲荷橋」は美術館通りという道にかかっている橋である。

さて、稲荷橋の下流側の光景は、突如として、今までの谷戸川の光景からは想像もつかないものとなる。



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稲荷橋の下流はこうなっています


……あれ? 川は?

と、いうか、建物も無くなって、森のようになっていますけど……



50mほど先で姿を現す谷戸川は、こうなっている。

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え? え????

あまりのことに、気持ちが追い付かず、置いてけぼりにされてしまう。


自然の姿なのか、人工物なのか


地図を見ていた方はお察し頂いていただろうが、谷戸川は途中で大きな公園の中を突っ切っていく。世田谷区内最大の公園、砧公園である。
ついにその地点まで来たのだ。

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公園の案内図がこちら。
この図は南北が反転しており、図の下の方が谷戸川の上流にあたる。
谷戸川が公園内を縦断しているのがわかる。


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先ほどのこの写真は、稲荷橋の下をくぐった谷戸川が、ポンプでくみ上げられて再び地上に出てきた姿である。
そして、ここの地下にはこのような浄化施設があるようだ。(国土交通省のウェブサイト内のPDFにリンク)
一見、岩に囲まれて自然の川のような姿となっているが、ポンプで上げているし、浄化設備を通っているし、実体は完全な人工物と言っていいだろう。


ここから先、公園内を流れる谷戸川の姿は、今までとはまるで違う。

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いきなりだが、「吊り橋」が現れる。これで谷戸川を渡るというのだ。

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いやいや、なんでわざわざ「吊る」の!?
……と思うのも無理はない。
ここは山間部の渓流などではなく、世田谷区の公園の中である。そこに吊り橋って!!

いや、公園の中だからこそ、子供たちの遊具としての意味も込めて吊り橋にしたのだろうか?? 
などと考えてしまう。


でも、ちゃんと吊り橋になっている理由があって、渡れば分かる。

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吊り橋の反対側(左岸側)がこちら。
右岸側からは階段で橋に上ったが、左岸側には階段はなく、橋からそのまま地面に着く。つまり、右岸と左岸でかなりの高低差があるのだ。吊り橋にした理由の一端もおそらくここにある。

「公園」というと、人工的に遊具を配置し、木を植えて、なんなら土地も平らにならして……などなど、人工的に作ったものを想像しがちだが、砧公園の敷地に広がる「高低差」は人工的に作られたものではなく、谷戸川が長い時間をかけて作った自然の高低差だ。それをそのまま生かしている。
公園が広大なので、写真では伝わらないのだが、砧公園の敷地内には、標高にして約10mもの高低差がある。
また、園内の木々も、すべてではないが、かつての雑木林や屋敷林をそのまま生かした部分もあるという。

改めて、吊り橋の上から谷戸川を望む。

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おかしいな、この連載は「暗渠道への誘い」という名前だったはず……(笑)

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橋を横から見れば、この様子である。
護岸が石垣積みなので、さすがに「大自然のよう」とは言えないものの、うっかりすると山間部で撮った写真のように見えなくもないから恐ろしい。
ここは標高30メートルの世田谷区内である。

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さて、吊り橋をあとにして、下流へ向かおう。
しばらくの間、「谷戸川に沿って歩く」とは、この写真のような場所を歩く行為になる。
少し前まで、蓋暗渠の上をガタゴト鳴らしながら歩いていたり、地面の境界標を見つめながら歩いていたのは、いったい何だったのか? と、思わなくもない。
暗渠を好んで辿っていた人間からすると、正直、テンションの持って行き方がわからなくなってくる。

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「一の橋」から「四の橋」

先ほどの吊り橋に続いて、公園内には谷戸川を渡る橋が5つ出てくる。そのうち4つは、「一の橋」から「四の橋」という名前。
それらの橋から川を眺めたときの光景は、だいたいどの橋でも同じで……

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こんな感じだ。
谷戸川は、さっきまで暗渠やハシゴ式開渠だったとは思えない、清流然とした姿で現れる。
浄化施設を通ったこともあり、水はそれなりに透き通っている。

これは人工物なのだろうか、自然の姿なのだろうか。
正直、どちらとも言いにくい。
ただ、ここに限らず公園全体で、「自然に近い谷戸川の姿を可能な限り残そう」という意図は感じられるだろう。


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「四の橋」から下流を望むと、次の橋が見える。なぜかこの橋だけ名前がない。
橋はそれなりの高さに架かっていることがわかる。
谷戸川の浸食が深いのだ。


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名無しの橋からの眺め。水面はかなり下の方である。
そして、遠くに見える、緑色の看板に気づいただろうか?

少しばかり自然の姿を取り戻したかに見えた谷戸川だが、公園の南端で、巨大人工物へと飲み込まれていくことになる。

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橋のたもとから少し降りた場所。
唐突な「0.9」という数字。
このフォント、見覚えのある人もいるだろう。
高速道路のキロポストである。なぜかここにある。

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かくして谷戸川は、東名高速道路の下に吸い込まれていった。
コンクリート壁に「東京1」と書かれているが、これは高速道路の橋梁で見かける表示だ。

砧公園の敷地そのものが、南端は東名高速ですっぱり切られて終わっている。
高速ができる前は、もう少し南側まで砧公園の領域だったようである。(当時は砧緑地といった)

というわけで、川を追うには、東名高速を越えねばならない。

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ここでは大迂回を強いられた。
西に100m以上も移動して、公園から出て、東名に架かる橋を渡る。その名も「公園橋」であった。

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橋の上から、東名高速を眺めることができる。画面の奥が都心側。
谷戸川が高速道路の下をくぐっているのは、写真に見える緑色の看板の少し先の場所だ。

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橋を渡って、また100mほど東に進むと、川と再会する。
反対側にもやはり「東京1」の表示。
高速道路の方から伸びてくる側溝のようなものも合流していた。

ここから谷戸川は、再び、住宅地の中を縫うように進んでいくのだが。
その姿は、砧公園に入る前の谷戸川とは、もはや別物である。

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ただの開渠も悪くない


ふつうと言ったら申し訳ないのだけど、ここから先の谷戸川は、ふつうの川である。
暗渠でもないし、ハシゴ式開渠でもない、ただの開渠なのだ。

上の写真の場所は、岡本1丁目・3丁目の境界。
このあたりの集落はかつて「谷戸」という名前だった。谷戸川の名前の由来という可能性もある。
(もっとも、「谷戸」という語はほとんど「谷」と同じ意味であり、地名や集落名としてそれほど珍しい名前でもない。なので、この集落名が川の名前の由来だという確証はない。川があれば谷戸の一つや二つ、必ずどこかにできそうなものなので、そもそも「谷戸川」という名前は、ちょっとシンプルすぎる名前だなという印象をもっている)




さて、実は、現地を取材しているとき、「谷戸川編」をここで終えようかとも考えた。
なにせ、もうここから先は、暗渠ではないのである。

しかし、谷戸川の終点はここからそう遠い場所ではないし、せっかくなので、最後まで追いかけてみることにした。


この先、「一之橋」から「八之橋」まで、数字を名前にもつ橋が連続していく。
間に小さな「庚申橋」という橋もあり、全部で9つの橋がある。

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谷戸川下流 橋名板コレクション(三之橋だけなぜか橋名板がない)


ただの開渠に、橋が架かっている。
それが、谷戸川下流部の光景だ。

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二之橋を上流側から望む

都市を流れる河川として、ごく普通の姿である。

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二之橋の上から、下流側を撮影。三之橋、四之橋も遠目に見える。

暗渠ばかり追いかけてきたけど、改めて見ると、こういう「ただの開渠」も悪くない。
両側が道路になって、開放感がさらに増してきた。

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四之橋と五之橋の間で、上流側を望む

「家の近所に川が流れている」という地域は、東京の23区内では、決して多くはないだろう。
私の家の近所も、暗渠はあるが、こんな感じの開渠の川はない。
なので、こういう景色は少し羨ましくもある。

それでも、暗渠を辿ってきた者としては、やはり、こういう所に目が行ってしまう。

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五之橋の直下に開口する下水管

開渠の川にも、よく見ると、さまざまな場所で下水管が接続している。
橋の下は、下水管の開口部が高確率で見つかる場所で、やや太い管がつながっていることも多い。
道路の側溝からつながっているものも多いのだろう。
地下の構造を推測して、ちょっとワクワクしてしまう。

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六之橋と八之橋にある下水管

こんなところまで読んでしまった読者の皆様は、今度からぜひ、川に架かる橋を見かけたら、下水管が開口していないかどうか、のぞき込んでいただきたい。

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七之橋から上流側を望む

七之橋はごく最近(2018年)に架け替えられた、真新しい橋である。

ところで、実は、「谷戸川」と書かれているものは、谷戸川流域ですら、ほとんど見つからない。公園の中などにある地図(案内板)に散見される程度である。なので、この銘板は貴重だ。




さて、とかなんとか、いろいろと考えながら川沿いを下っていたら、七之橋と八之橋の間で、度肝を抜かれる光景に出会ってしまった。

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なんだ、あれは……?
川の「上」に、なんかあるぞ……


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川の直上にある、東急バスの「岡本もみじが丘」バス停

なんと、バス停である。
よくもまあ、こんな作り方をしたものだ。
大小二つの東屋を備えていて、なかなか豪華。

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こんな感じで川を眺めながらバスを待てる。粋ではないか。

それに比べて、反対側のバス停は、至極普通なたたずまいなのだが。

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さて、この写真で、バス停の隣に見える黄色い車止めに目が行ってしまったアナタは、もう立派な暗渠ウオーカーである。

そうそう、車止めは暗渠サインであり、車止めが中央に打たれて封鎖された道というのは何かあるかもしれない。
もしかしたら、支流の暗渠かもね!

せっかくなので、あちらの道にも進んで、チェックしておきましょう。


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……いま、とんでもないものを見つけてしまったんじゃないか。


もう終盤も終盤なのだが、このタイミングでこんなものに出会えてしまうあたり、谷戸川、にくい。


あの構造物のことは、事前に調べておけばわかったのだろうが、
お恥ずかしながら、谷戸川を取材したこの日の私はそれをしておらず、
全く何も知らない状態でさっきのアレに遭遇した。

なので、頭の中は、
「いやいや、アレ何? 落ち葉に埋もれてたけど何?? 聞いてないよ!」
「谷戸川の終点よりあっちの方が気になるよ、アレどこに繋がってんの!?」
「遺構!? それとも現役の何か!?」
といった感じになって、ちょっとゾクゾクしたのを覚えている。


読者のみなさんも、あの構造物が気になって仕方ないだろうが……

とりあえず、先に谷戸川の旅を終わらせようと思う。
なにせ、あと数百メートルでゴール、という地点まで来ているのだ。
謎解きはそのあとで。

謎解きのヒントは周辺に散りばめられていたので、ここにも散りばめておく。

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再び自然と人工が交差する、終点。


先ほどの写真で、青い扉の埋もれたトンネルのような構造物のことは一旦置いておいて、その後ろが鬱蒼とした森のようになっていたのに気づいただろうか。

七之橋を過ぎたあたりから、谷戸川の右岸は小高い台地のようになり、そこは砧公園とはまた違う雰囲気の森となっている。

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左奥に見えるバス停のあたりが「八之橋」

ここは、区立岡本静嘉堂せいかどう緑地という。

岡本静嘉堂の詳細な説明については公式サイトに譲ることとするが、かの岩崎家のコレクションを収蔵した「静嘉堂文庫美術館」を中心に、専門図書館、庭園などがある。その一帯は豊かな緑に囲まれた緑地となっている。
(なお、美術館の展示ギャラリーは2022年秋に丸の内へ移転する予定で、現在は閉館している)

ここは地形でいうと、国分寺崖線に沿った、「舌状台地」という小高い台地に位置している。

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谷戸川は、この岡本静嘉堂緑地の中へと吸い込まれていく。
右岸のほうに遊歩道があるので、そこへ入って追いかける。

すると、これまでの住宅地とはまた雰囲気が一変し、静謐せいひつな空気に満ちた森となっている。

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これは、谷戸川ではなく、この緑地内の湧き水から流れてくるせせらぎ。
東京都環境局により、東京の名湧水57選にも選ばれているそうだ。
心が洗われるような光景である。
(と言いつつ、内心は、さっきのトンネルが脳裏にちらついて気が気ではない状態で歩いていた)

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こちらが、緑地内を流れる谷戸川。護岸はしっかり整備されているものの、左右には緑が多い。

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緑地内の説明看板。
曰く、この周辺は昭和20年代から姿をとどめてきた森とのことである。

さて、この地図の中で、ついに谷戸川のゴールが示された。
この川は、この先で「丸子川」に合流する。
谷戸川という名前はそこまで。あとわずかだ。

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緑地内にある「紅葉橋」が、谷戸川に架かる最後の橋である。

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写真で左からやってきている丸子川に、右上からやってきた谷戸川が合流する地点。
谷戸川編の連載開始から、なんだかんだで2カ月以上かかってしまったし、
文字数でいえば2万文字以上(!)もかかってしまったが、
ようやく谷戸川の旅が終わりを迎えた。

ちなみに丸子川は、かつて「六郷用水」として開削された用水路の中流部分が整備され、現代に川として残ったもの……という、少々変わった出自をもつ。要するに、自然な河川ではなく、人工的な河川である。
その歴史は江戸時代初期まで遡ることができ、これはこれで大変面白いのだが、「暗渠」という本稿のテーマからは外れるので、ここでは深追いはしない。
現在の丸子川の上流端は、ここから1kmほどさかのぼった地点、仙川ともほど近い場所にある。(かつての六郷用水はもっと西、現在の狛江市元和泉が起点である)

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その後、丸子川はこんな姿で、南東に向かって流れ下って行った。

私はこの先を追っていないが、丸子川は世田谷区と大田区を流れたのち、およそ6km先の大田区田園調布1丁目で多摩川へと合流する。
Google Map上ではこの先がずっと青い線で描かれており、どうやら丸子川は最後まで開渠のようである。


さて、川の方は無事にゴールしたので、
最後に、あの謎を回収して本稿の締めくくりとしよう。



さらに交差する、もう一つの水流


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こいつの正体を解き明かすべく、谷戸川下流部の地図を示す。
★の地点が、この青い扉の、トンネルのような構造物がある場所。
地図を見て、怪しいものがあることに気づいてほしい。

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現地に「水道」を示す境界標などがあったので、水道関連の施設であることは、現地の私もなんとなく想像がついていた。

地図で見てみると、あのトンネルの前後に、明らかにほかの道とは異質な、まっすぐな道があるのに気づく。
これは、地下に水道管が埋設された道、いわゆる「水道道路」の特徴である。
(Google Mapがご丁寧に「水道みち」という名称を入れてくれているので、バレバレなのだが……)


あのトンネルから、台地を挟んで反対側。
谷戸川が丸子川に合流する場所から、丸子川をさかのぼること数百メートルの場所にある「岡本公園」に、すべての答えがあった。

訪れてみると、そこにはこんな看板が立っている。

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これだけ丁寧に解説していただける看板はありがたい。
なんと、100年前に作られた、水道管を通すための隧道(トンネル)であった。

説明を頭に入れたところで、いざ、実物とご対面しましょう。
「民家園」に入って、その先に進んでいくと……

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こちら側(上流側)には、力強い「岡本隧道」の文字。
向こう側にも書いておいてくれたら、すぐに正体がわかったかもしれないのに……
でも、おかげで、ワクワクさせてもらったよ、岡本隧道。
上流下流のどちらの坑門も、重厚な作りで、ただならぬ存在感を放っていた。


興奮して写真をバシャバシャ撮っていたら、民家園の係員の方が声をかけてきてくれ、いろいろ教えていただいた。
このトンネルの中にある水道管は、上水道としての現役は退いているものの、今でも、その中には水が流れているのだそうだ。
なんと。ロマンのある話だ。

「砧下浄水所」で多摩川から取った水を、この岡本隧道の中にある水道管を通して、駒沢にある「駒沢給水所」まで運び、非常時用の水として蓄えているという。

その水流は、谷戸川をどこかで横断していることになる。
そしてそれは間違いなくあのバス停の下だが、あの地点に川を横切る配管のような設備は見つけられなかった。
水流は、おそらく谷戸川の下をくぐっているのだろう。


Google Map等の地図で、この岡本隧道を含む「旧渋谷町の町営水道」をぜひ辿ってみてほしい。
砧下浄水所 ~ 岡本公園 ~ 駒沢給水所 ~ 三軒茶屋までの区間は、ほとんどの区間が直線で、容易にたどることができると思う。
奇しくも、世田谷学園の所在地である三軒茶屋まで直線でつながっているというのは、偶然としては出来すぎているので、いずれこの道も辿ってみる必要がありそうだ。
ただ、これは暗渠とは違うので、どれくらいサインが残っているだろうか……。

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先に示していたこの写真、「渋水79」と彫られた境界標なのだが、
これはまさに「渋谷町水道」の意味であった。
水道道路をたどると、たぶん、番号の違うものが見つかるのだろう。


ちなみに、説明の看板にも出てきた駒沢給水所は、もともと、どこかのタイミングで紹介しようと考えていた施設である。
と言っても現時点では私にとっても未踏の場所で、写真でしか見たことがないのだが……
大正時代に作られた「双子の給水塔」がシンボリックにそびえ立つ、たいへんロマンのある光景の場所なのである。
こんな形でリンクしてしまったこともあるので、いずれ訪れて紹介したい。


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これは、岡本隧道から上流側、多摩川の砧下浄水所まで至る水道みち。
確かに、まっすぐだ。
ついでにこれを辿っていくという選択肢もあったけど、時間的にも体力的にも厳しかった。すまん、また今度ね!!




さて、まさに紆余曲折といった内容の「谷戸川編」をようやく終えることにする。

暗渠界隈において、この谷戸川は、少々異質な存在かもしれない。
「暗渠道への誘い」というタイトルで書いてきたが、ご紹介の通り、谷戸川の本流の半分以上は、暗渠ではない。
しかしこの川は、「自然の状態の川」が「都市の中を流れる河川」となり、そして「開渠から暗渠へ」と姿を変えていく……その過程で現れるであろう光景を、これでもかと詰め込んでいると言えそうだ。

今回の行程は、全部で5kmに満たない。さほど長大な川ではないのだ。
にもかかわらず、辿っていくと、その姿が目まぐるしく変わる。
谷戸川がもつ特異な魅力である。
区内でもややマイナーなこの川を、烏山川に続く2回目の主役に抜擢したのは、私自身がその魅力にとりつかれてしまっていたからに他ならない。



また1つ、「好きな川」が増えてしまった。
川を辿ると、なんだか、川に愛着がわいてしまう。このコラムを書き始めてから感じていることだ。(ちょっと変態的だが…)
地図を眺めて、次はここ、いずれはここ……と思っている川はまだまだある。いずれ辿ったら、きっとまた愛着がわいて、気づいたら記事にしているのだろう。


谷戸川編 参考文献
・世田谷区教育委員会『世田谷の河川と用水』(1982)
・田中正大『東京の公園と原地形』(けやき出版、2005)
・北川善廣、山口浩三、吉武成寛(2011)『世田谷の河川環境整備に関する調査研究』(水利科学 318, 68-98)
・本田創、高山英男、吉村生、三土たつお『はじめての暗渠散歩 水のない水辺をあるく』(筑摩書房、2017)
・皆川典久(監修)『東京23区凸凹地図』(昭文社、2020)
・本田創(編著)『失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩 改訂版』(実業之日本社、2021)
・吉村生、高山英男『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』(KADOKAWA、2021)
・このほか、現地で、公園などにある案内板を大いに参考にした。


次回
もう名前からして魅力的。「蛇崩川」をゆく。



柏原 康宏(かしわばら やすひろ・理科教諭) 


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