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暗渠道への誘い 蛇崩川編① ~暴れ蛇を、逆撫でする~

こんな素敵な名前が、地名にも駅名にも残っていないなんて、もったいない!!

蛇崩、じゃくずれ、Jakuzure!!

住所に「蛇崩」って文字が入っていたら、私はカッコいいと思う。好き嫌いは分かれそうだけど。


かつては目黒区の地名だったのだが、それも消えて久しいようだ。
由来は目黒区のウェブサイトに記載がある。

江戸時代の文献に、「昔、大水の際、崩れた崖から大蛇が出たことから、この地名が生まれた」との記載があるようだ。ほかにも諸説あるらしい。

いま、この蛇崩の名前を残しているものは、多くはない。
「蛇崩」交差点、その付近にある数軒の店舗やアパート、「蛇崩・伊勢脇通り」という道、そしてこれから紹介する「蛇崩川緑道」くらいだろう。

由来にもあったとおり、蛇崩という地名は、川にかかわりの深い地名だ。
その川こそが蛇崩川で、今回のターゲット。現在はほぼ全編が暗渠となっている。

「暗渠道への誘い」も、今回がシリーズ3作目となった。
初回の烏山川編は、入門編として、暗渠サインに焦点を当てていた。
2回目の谷戸川編は、「暗渠と開渠」「自然河川が暗渠になるまでの変遷」あたりがテーマだったつもりだ。
で、3回目となる今回、何がテーマかというと……それはまあ、読んでからのお楽しみということにしたいが、この蛇崩川もなかなか濃い川だ。
下流から上流まで話題に事欠かないし、特に支流の光景は絶品である。
私が暗渠に興味を持ったキッカケとも、この川は関わりが深い。おいおい紹介しようと思う。

今回は下流からさかのぼっていくことにする。魅力的な支流も多いが、まずは本流から紹介したい。
この連載で初めて、世田谷区の外に出るぞ!





オシャレタウンの暴れ蛇


蛇崩川は目黒川水系の二級河川であり、最後は目黒川に合流する。
その合流点を目指して、オシャレタウンの中目黒に向かった。

ここは中目黒駅からほど近い場所。左右に流れるのが、近年すっかり花見スポットとして有名になった目黒川。
そこに何やら合流してくるルートが、蛇崩川の終点部分である。
目黒川に合流する直前の数十メートルだけが開渠となっている。

写真に映っている黒いカーテンの先を、これからたどっていく。

水が流れたような跡は見えるものの、普段はここに水は流れていない。
蛇崩川は現在、ほぼ全編が下水道幹線となっているが、下水道の流れはここから少し上流で別のルートに切り替えられている。さすがに目黒川に直接下水を注いではいない。
大雨が降って、下水道管に雨水が多く流れ込んだ時だけ、さばき切れなくなった分の水がこのルートに流れ込んでくるようだ。(「越流」という)

写真の左側にコンクリートの広場が見えているが、ここはその名も「合流点遊び場」である。

Goryutenという英字表記が異彩を放つ

すごい名前だと思うのだが、その名前のわりに、何が合流してくるのかについてここには一切説明がない。

少し離れた場所には、蛇崩川を紹介する看板が立っていた。

暴れるとか、激流逆巻くだとか、のたうつだとか、表現が全体的に穏やかでない。

「蛇崩」の名前の由来は複数あるようで、いろいろ紹介されているが、全体的に暴れている感じだ。これから辿る相手はどうやら、暴れ蛇のようだ。


蛇崩川の暗渠と開渠の境目にかかるのが、この「紅葉橋」。
蛇崩川に架かっていた橋は、現在では大半が失われてしまっているため、橋として現役の紅葉橋は大変貴重な存在だ。

さて、この場所から、蛇崩川暗渠の遡上をスタート!

最初は、暗渠道としては大分おしゃれな部類。

まずは、駅のすぐ横を抜けていく。

ここが暗渠と知らずに毎日通っている人、たくさんいそう。

ここは人通りが多く、暗渠という雰囲気は全くない。

しかし、ちょっと進んだだけで、ゴチャゴチャした「街の裏側」感が出てくる。

東急東横線のガード下にある「観音橋自転車置場」は、非常に細長い駐輪場。このような、暗渠上のスペースを利用した細長い駐輪場は、暗渠あるあるだ。
この「観音橋」という名前はまさしく、かつてここにあった橋のことである。
残念ながら、名前以外には何も残っていないようだった。


しばらく進んで駐輪場を抜けると、地面にこれだけ主張するマンホールが現れる。
先ほど述べた、「下水道が蛇崩川暗渠から別ルートに切り替わる場所」がまさにここである。
ここから上流は、蛇崩川の暗渠道の下にはずっと下水道の流れが通っていると考えていい。

このマンホールの場所には、かつて「伊勢脇橋」という橋があったようなのだが……

そこに「伊勢脇橋」の名が刻まれた遺構は何も残っていない。
しかし、なんだか不自然に切られたコンクリートの塊が残っていて、もしかしたら、と思わせる。


東急東横線をくぐって西へ向かう。駅周辺の喧騒を離れ、住宅地となる。

この地点には当時「二三橋」という橋があり、暗渠化された後も、しばらく欄干と親柱が残っていたようだ(参考文献『東京暗渠散歩』に当時の写真あり)。
しかし今は、親柱が非常に控えめに残っているのみ。

訪れたのが夏だったこともあり、旺盛に伸びる緑に、すっかり埋もれてしまっていた。


奥の土地よりも低くなっていることがわかる階段。
その横の石積みは、かつての護岸なのかもしれないが、確証にはやや欠ける。

さて、次の「諏訪山橋」の橋跡から先は、住宅地と住宅地の間に挟まれた、細い緑道となる。
基本的には、次の写真のような風景が続くことになる。

綺麗に整備されていて、歩きやすい。
しかし、もともと川だったことを示すサインは見え隠れする。
烏山川編でも紹介したが、やはり大きな特徴は「左右の家が、道に対して、玄関ではなく裏口を向けてくる」ことだろう。

この写真は日が差していることもあって非常に明るい印象となっているが、油断すると薄暗くなったり、両側の緑の圧力が強くなってきたりで、「街の裏側」という雰囲気も持ち合わせている。
それこそが、暗渠緑道の魅力だ。味わいながら先に進もう。



暗渠ならではの「謎オブジェ」


さて、暗渠道を歩いていると、「かつてここに川が流れていたこと」を示すいろいろなものに出会う。
橋の遺構、道の蛇行、銭湯やクリーニング店、広いスペースが必要な学校・団地……
それらを「暗渠サイン」と称して、これまでも紹介してきた。

それに加えて、特に緑道として整備されている暗渠道では、昔ここが川だったことを物語るかのように、ちょっと不思議なモノがあったりする。
たとえば、舗装に川の流れのような模様が描かれていたり、水辺の動物のオブジェがあったり。
暗渠サインが「自然にできたもの、残ったもの」であるのに対して、これは「意図的にあとから作られたもの」だ。
風情は無いかもしれないが、観察対象としては楽しい。

蛇崩川の場合は、まずこれだ。

ここ、「蛇」の名が付く川だけど、君は大丈夫なの??

緑道と道路が交差するところにある、車止めの上に、いた。
蛇の上にカエルを置くとは、目黒区さん、なかなかである。

道を進んでいくと、さらにバリエーションが増えてくる。

ナマズ? ザリガニ?

魚はちょっと怖い表情をしていた。
右はザリガニか…? ザリガニにしては恰幅が良すぎる気もするが。
まあとにかく蛇崩川では、暗渠になってしまったあとの現在でも、こんな感じで水辺の生き物に会える。

そして、暗渠道沿いにある目黒区立の「上四児童遊園」には、あまりにもストレートなものが……!

なんと、公園の遊具に、かつての川そのものが描かれている!
おそらく、これは珍しい。
心なしか蛇のような姿で描かれているようにも見える。

ここで遊んでいる少年少女たちは英才教育を受けているなあ。


前回の「谷戸川編」で出てきた暗渠道には、このような、かつて川だったことを意図的に残すような細工はほとんど見られなかったと思う。
谷戸川の暗渠は、緑道のようにきれいに整備されたものではないという理由が大きい。必要に迫られて、最低限の暗渠化がなされて、それ以上は加工されなかった姿だ。

それに対して、前々回の「烏山川編」の緑道は、随所に細工がされていた。人工的に川のせせらぎが再現されている区間があったのを記事中で紹介したが、それ以外にも、実はいろいろとあった。謎のオブジェもある。
また、同じく世田谷区の暗渠緑道である「北沢川緑道」に至っては、傍目に見れば普通の川じゃないかというくらいに、川の姿が再現されている区間がある。(私が過去に書いたこの記事の最後の方に写真あり)

単に川に蓋がされて暗渠になっただけではなく、その後に公共事業として「歩きやすい緑道・遊歩道」に整備されると、このような細工や加工がされる場合が多々あるようだ。
これを「余計な加工」と見る向きもあるだろう。
でも、誰かしらの「かつて川だったことを後世に残したい」という意図、もっと言うと愛着のようなものが垣間見える気もするのだ。
加工のしすぎはどうかとも思うが、このくらいならば許したい。



暗渠に架かる橋=「暗渠」のせめぎあい


暗渠研究家として多くの著書がある高山英男さん・吉村生さんのお二人は、最近の著書の中で、暗渠に架かる橋を暗橋あんきょうと名付け、様々な考察をされている。(参考文献『暗橋で楽しむ東京さんぽ』)

今は水が流れていないところに橋が架かっているというのは、不思議な話なのだが、実際、暗渠道には橋がたくさん架かっている。
あるいは、架かっていた橋の痕跡が残っているのだ。

ここで遅まきながら、蛇崩川の「暗橋」シリーズを紹介しておこう。

このほかに「伊勢脇橋」もあったが、現地に何も残っていなかった。

最初の「紅葉橋」以降、橋の構造物が保存されている例はほとんど無い。
「二三橋」は親柱がかろうじて残っているが、それ以外の6つの橋は「ここにこういう名前の橋がありましたよ」ということを示すだけのモニュメントと化している。
以前、私はこれを「墓標」とも呼んだ。もともとの橋の構造物を一切含んでいない。


たとえば「諏訪山橋」の跡地はこんな感じだった。
奥に見える2本の柱は街灯となっていて、そこに橋名を示すプレートが取り付けられている。中央には植樹があり、その手前には車の侵入を防ぐための車止め。そしてその1つにカエルが鎮座している。
見方によっては「墓」のように見えないだろうか。


そんな中、目黒区の暗渠区間で唯一、完全な橋の形状のまま残っているのが、この「蛇崩下橋」だ。

橋名板の字体も味がある
緑道を遮って残る、堂々のたたずまい!

親柱と欄干はなんだか新しい気もするが、暗渠化後にこれをわざわざ作るとも思えないので、暗渠化前のものだろう。蛇崩川が川だったころの末期に、ギリギリ架け替えられたのかもしれない。

暗渠緑道を辿り慣れていない人がこの写真を見たら、「ここ、道どうなってるの?」と思うのも無理はない。
緑道は、橋によって完全に塞がれ分断されている。緑道ウオーカーは、一度緑道から横の道に出て、道路を渡り、再び緑道に入り直すことになる。
通行する人にとっては紛れもなく不便なので、この状態のまま橋が残されることは珍しく、欄干や親柱が撤去されるケースは多い。欄干の中央部分が切り取られるケースもある(例:烏山川緑道の若林橋)。

昔のものを残すか、それとも、利便性、新しい街のデザイン…といったものを優先するか。
暗渠に架かる橋「暗橋」にはそれぞれのせめぎ合いがあって、その「解」のかたちも実に様々である。



目黒と世田谷、その「性格」の違い

さて、蛇崩下橋から少し進んだこの地点。

特に何もないように見えるが、重要な地点だ。
灰色の花壇と茶色の花壇の間に、何があるかというと……


境界が見える

目黒区と世田谷区の境界があった。
ふだん見えない境界が、こんな形で目に見えてしまった。

1つ前の写真には、左右に立看板が写っていたのだが、左は目黒区、右は世田谷区の看板だった。

両区の看板。それぞれちょっとレトロで味がある。


見えない「区の境界」を示すものは、これだけではない。
この先、明らかに緑道の様相が今までと異なってくる。

少し先にある「砂利場橋」跡の車止め

なんだかファンシーな看板が「ここは蛇崩川緑道っていうんだよ!」と主張してくる。フリガナまで振ってあるから小さい子でも名前が覚えられる。
目黒区側には、ここまで主張の激しいものはなかった。


少し先には「世田谷区立 蛇崩川緑道 案内図」が登場。ずいぶんと新しい。
かつて蛇崩川に架かっていた橋の名前をすべて網羅し強調した、蛇崩川マニアにはたまらないデザイン。
そして、この図には目黒区側の緑道は描かれていない。説明文に「目黒区の緑道につながり~」などと書かれているだけだ。冒頭で「蛇崩川緑道は、駒沢二丁目から下馬一丁目まで続く全長2990mの緑道です」と言い切っている。いや、目黒区の区間はどうした!!


いっぽう、目黒区側の案内図はというと、こんな感じだった。

貫禄の目黒区看板 (https://blog.bagend.info/2021/01/blog-post.html  様より)

この看板、二三橋の近くに掲げられていたのだが、残念ながら比較的最近になって撤去されてしまったようである。写真は、過去の報告を上げておられるブログから引用させていただいた。
これは、緑道の案内図というよりも、普通の街区案内図に近いのではないか。右下の説明文が緑道を紹介しているが、図の部分だけ見たら、ただの地図である。

文字の所には「蛇崩川緑道は総延長1042mあります(ただし、目黒区管理分のみ)」とあった。こちらも世田谷区側を無視して距離を書いているが、カッコ内に但し書きがあるだけ世田谷区よりましだろうか。
「なお橋名は蛇崩川当時のもので現在橋はありません」という一言が寂しい。


ところで、目黒区の看板には、私が書こうとしていたことがご丁寧に説明されている。

「緑道は区民の方々の散策や健全な憩いの場として、また災害時の避難路として設けられた公園の一種です」

そうです! 暗渠緑道は「公園」です!
ものすごく細長い公園なのでございます!!

目黒区側では、あまり主張されていないので、その事実になかなか気づきにくい。
いっぽう、世田谷区側では、世田谷区からの「ここは区が管理していますよ! 公園ですよ!!」という主張がものすごい。

なにしろ世田谷区では、「園内での喫煙は禁止します」という文言が頻出するのだ。

「園内」と言われると、緑道であっても公園だということを意識させられる。世田谷区は「区内全域の道路・公園での喫煙を禁止」しているので、この表記がある。
いっぽうの目黒区は、「歩きたばこやポイ捨ては禁止」で、さらに特定の駅周辺を路上喫煙禁止区域に指定しているものの、それ以外の区域では、喫煙自体はOKのようだ(2023年10月現在)。だから暗渠緑道に禁煙の掲示が無かった。


実際にこの暗渠道を辿って頂ければわかる。
目黒区側から世田谷区側に入ると、やたらと看板が増えるのである。
区ごとの条例の違いも、明文化されてはいないが何となく感じられる「区の性格」の違いも、緑道ににじみ出てきていて、興味深い。

ちなみに東京都内には、暗渠を彩るアイテムに特色がある自治体もある。
杉並区の暗渠には「金太郎が描かれた車止め」があるようだし、練馬区の暗渠には「路面が青くペイントされ、道路標示で『水路敷』と書かれている」という特徴があるという。
(私も直接見たことはなく、参考文献中で見ただけで恐縮だが)
整備や管理にどれくらいの予算を割くかも、おそらく自治体ごとに異なるのだろう。
以前に書いた透かしブロックではないのだけど、こういう地域差も楽しめるのだとしたら、間違いなく暗渠の面白さを広げてくれる要素になる。




さて、また悪い癖で長くなってしまっているので、蛇崩川編の初回はこのあたりで。
目黒区には後ほど支流の探索で舞い戻ってくるのだが、次回はひとまず世田谷区内の本流をずんずん遡上していこうと思う。そこで、暴れ川・蛇崩の本領も垣間見えてくるだろう。

次回 蛇崩川編②
暴れ蛇 vs 人間 その攻防の現場へ

柏原康宏(かしわばら・やすひろ)

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