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中学生が語る「多様性」尊重の難しさ

こんにちは。ヒロセガクトです。

みなさんは、「多様性」とは何だと思いますか…?

多様性とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

Wikipediaによると、難しいですが、「多くの性質が存在すること」
らしいです。

最近は、いろいろな人が「多様性を尊重する教育をー!」と提言してます。
僕もその中の一人でした。
でも、最近考えてみたんです。「多様性」が何か。教育とはなにか。
哲学的になりますが、僕が精いっぱい考えてみた結論を書いてみたいと思います。

1章 教育とは?

まず僕が訴えたいのはこの点です。
そもそも、教育というのは、

教育者 ・ 教育を受ける人 ・ 場所 ・ 教育者を教育する人

この4つがないと存在しないと思うんです。
教育者、教育者を教育する人、そして教育を受ける場所、人。
何が言いたいかというと、

ヒトがヒトを教育する時点で平等ではない

です。

AがBを教えて、BがCに教える。

Aを教育者を教育する人
Bを教育者
Cは教育を受ける人(生徒・児童)
と例えると、

BはAの教育を受け、CはBの教育を受ける。

そして、Cが教育学部に入り教員になったとすると、
Cは教育者になるわけです。
そうしたら、新しく教育を受けるDが出てくる。

AはBを教育して、BはCを教育する。CはDを教育する。

このサイクルが起きてる時点で、DはCの
価値観・倫理観・固定概念
の影響を受けるわけです。

そして、人はもっと続いてるわけだから、

AはBを教育して、BはCを教育する。CはDを教育して、DはEを教育…

っていう繰り返しを100年続けてきた。
その結果、変われてないんです。教育も、日本も。

幼稚園から大学は文部科学省の指導要領に従って教育をします。
この場合教育者を教育する人を文科省にすると、

文科省が変わらないと、教育は変わらないんです。
そして、それと同時に教育者も変わらないとだめなんです。

ですが、学校法人が運営してる私立学校は文部科学省の要領には
従う必要はあるものの、公立学校とは違い教職員の移動はないので、
環境が動かないまま10年過ごしてるかもしれません。

そうなると、尚更変われないんです。

そして、文部科学省の要領に従ってる時点で
「多様性」なんて存在しないのです。
要領ベースの教育にしか過ぎないのです。



2章 多様性とは?

多様性、多数の性質が存在することです。例えば、

A君はゲームが大好きでプロゲーマー志望。なるべく勉強したくない。
B君は将来エンジニア志望。留学するので理数系の勉強だけ。
C君は夢が国家公務員で国公立大学に進学したい。5教科全て進めたい

3パターンだけ上げてみました。
そして、これらを達成するには…?
文部科学省が変わっても、教育者が変わっても。
全て同じ場所に置いといたって全員満足しません。
同じような価値観を持った友達と一緒に居たいはず。

一番いいのは、学校(場所)を分けることです。
ですが、都会で達成できたとしましょう。それを地方でも達成できるか、
と聞かれたら僕はNOだと思います。

そもそも文部科学省の要領に従ってる時点で
「教育の多様性」が達成できません。
N中等部のような教育をした場合学校として認められません。

「多様性を認める教育」をするには
「教育」にも「多様性」が必要。
そうすると法律を変える必要がありますが、憲法すら変えられない日本。
20年で各自GDPが0.3%しか成長できない日本。
絶対に変えて見せたいです。

まとめると、
・多様性を達成するには場所を分ける必要がある
・その場所を地方でも用意できるのか
・教育の多様性は達成出てない。
です。



3章 押し付けた時点で多様性ではない

例えばGIGAスクール構想。
Global and Innovation Gateway for All。
別にGlobalじゃなくていいし、PC触らずにずっと油絵を極めるA君。
そんなA君にPCの使用を迫ったとき、それは「PC触りたくない!」
というA君の意志を押しつぶすことになる。

PC触らない子がいたっていいじゃない。
そんな多様性をつぶしてるのでは…?

多様性ってかなりアバウトな言葉です。
確かにレンジを広げればなんでもOKになってしまう。
けれども、自主性を持って~とか最新鋭の教育~とか。
それは希望する人にだけ教育をすればいい。

多様性を使わない、創造性を使わない仕事だってたくさんある。
ゴミ収集員さんは多様性も創造性も使わない。
これは否定してるわけではなく、一つの根拠としてです。

いくら最新鋭の教育でも、PCを使ってても。
教育を受けること自体強制したらその瞬間多様性も自由も
なんもなくなります。



4章 僕が考える多様性を尊重する教育

LITALICOさんが運営する「LITALICOジュニア(元Leaf)」
学校法人角川ドワンゴ学園運営の「N中等部」
市教委運営の公立校
この3つの主催もカタチも違う居場所に通ってみました。

そして僕が行きついた、「多様性を尊重する教育」
それの条件は、

・学校の在籍は必須(中学校まで)
 ▶あくまでも子供の居場所は担保する。

・登校は任意(成果報告書とともに成果物の提示(都度))
 ▶自身の成長をしっかりと報告して、成果物の作成で遂行能力を磨く

・文部科学省の指導要録撤廃
・その代わりに学校が活動詳細を文科省に報告
 ▶要録は撤廃するが、教育の質は担保

・文科省の官僚の中に現役学生導入
 ▶アドバイザリーボードでもいいから意見を取り入れよう。

・通信制中学校の解禁
 ▶家でいいやん。自主性あれば。

・生徒が在籍する学校の校則の決定権
 ▶生徒総会で決定後市教委に持ち込み許諾を得る。判定は大学生が。

・制服は自由。自分が制服と思えば制服です。
 ▶なにもが制服。自分で制服をデザインしよう。

・中学生からインターンシップ実施
 ▶実践的な教育を。早めから実践しといて損はないです。

・飛び級制度解禁
 ▶個々のレベルに合わせよう。

この10個の項目です。

かなり細かくなりましたが、
説明も書いてみました。
これを達成できれば多様性というものを尊重できる気がする。
ですが、これはあくまでも達成すべき項目であり、
バックには日本の腐った資本制度や社会制度の改革や
文科省やその他関係省の改革なども含まれてます。
もちろん教育者のケアも、教育もです。

ここまでフォローして、何も行動も実践もPDCAもできない子は
向いてないと思うんです。ぶっちゃけ。

得意不得意がある。4大卒で公務員になって安定した人生を送るのだって
立派な人生です。

その人に合った人生を送らせるべき。
その子供の人生は親のものでも、教育者のものでも社会のものでもなく
その子のものなんです。尊重しましょう。

そしてその結果就労者がいなくなった職業が
機会ができることなんだと思います。
無くならなかったら人にしかできない。需要もある。
そういう事だと思いました。


今回は長くなってしまいましたが結構割とまじで語ってみました。
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