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「課題の分離」の本当の意味

『嫌われる勇気』を理解するシリーズです。

今回は、対人関係の入り口である「課題の分離」について書きます。

「課題の分離」は、自由になるための方法です。もしあなたが他人の目に振り回されて「生きづらさ」を感じているならば、役に立つ内容ですので、できれば本と読み比べながら、じっくりお読みになってください。

「課題の分離」とは自分の人生に責任を持つこと

よく「課題の分離」は自己中心的に振る舞うことだと誤解されますが、アドラーが言っているのはそういうことではありません。

「課題の分離」の本当の意味は、自分の人生に責任を持つことです。

言葉を変えると、一切外部の責任にしないことです。

例を挙げて考えてみましょう。

高校3年生のAくんは、将来小説家になりたいと思っていました。そのため、4年制の大学には行かず、小説家の専門学校で小説の勉強をしようと思っています。それに対し母親は猛反対です。「普通の大学でも小説は書ける」「またやりたい事が変わるかもしれない」「小説家なんて不安定な職に就かずに、公務員になりなさい」など、色んなことを言われました。その挙句、「お母さんはアンタに幸せになって欲しいの」と言って母親に泣き出されてしまいました。結局Aくんは母親の意向を押しきれず、4年制の大学に進学しました。

これは、Aくんと母親のどちらも「課題の分離」ができていない例です。

Aくんからすれば、一見どうしようもないように見えるケースですが、どうすべきだったのでしょうか?

Aくんに足りなかったのは、「自分の人生に責任を持つこと」です。Aくんは、小説家になるのは厳しいことだと十分わかっていたはずです。それでも、辛いのは覚悟で、自分の人生にはこれが最善の道だと思ったなら、専門学校に行くべきでした。Aくんは自分の人生に責任を持てないがために、「母親を悲しませたくないから」という言い訳を作ったのです。これは、母親という外部的な要因に責任を押し付けた生き方ともいえます。

母親に足りなかったのも、「自分の人生に責任を持つこと」です。「息子が幸せなら自分も幸せ」というのは、自分から幸せになる責任を放棄し、外部の要因に依存した生き方です。だから、結果的に自己中心的な言動をしてしまったのです。母親としては、心配だと思います。しかし、その心配と上手に向き合うのが「自分の課題」であり、息子の人生を変えることは「自分の課題」ではありません。もしAくんに「小説家になりたいんだけど、進路に迷っている」という相談を受ければ、アドバイスをすればいいのです。

自由には覚悟と責任が伴う

先の例からわかるように、自由とは楽なものではありません。時には、他人に嫌われたり、他人を悲しませることもあります。自由には、それらも含めて、自分の人生に降りかかるすべてを請け負う覚悟と責任が伴うのです。これが『嫌われる勇気』というタイトルの本当の意味です。

「課題の分離」には強烈な”I want to”が必要

当たり前ですが、「課題の分離」は「自分の課題」があるから成り立つものです。しかし、今まで他人の目を気にして生きてきた人には、そもそも「自分の課題」がありません。このような人は、「恋人を作りたい」「大企業に就職したい」という”I want to”の裏に、「自分の価値を認められるために、恋人を作らなければいけない」「大企業にでも入らないと、自分には価値がない」という”I have to”があります。

本当の”I want to”を見つけない限りは、「課題の分離」のスタートラインにも立てないのです。

そして、”I want to ”が強烈であればあるほど、責任を持つ勇気が持てるのです。

結局、自己受容から始まる

承認欲求オバケの状態で”I want to”を探しても、”I have to”しか見つかりません。本当の”I want to”を見つけるには、「自分には価値がある」と思えていることが条件です。つまり、対人関係の入り口は「課題の分離」ですが、「課題の分離」の入り口は「自己受容」だということです。

自己受容のコツは前回の記事で書きましたのでコチラをご覧ください。

まとめ

今回の記事の要点をまとめると、

・「課題の分離」とは自分の人生に責任を持つこと

・自由には覚悟と責任が伴う

・承認欲求オバケには「自分の課題」がない

・課題の分離の入り口は「自己受容」

といったところです。

他にも『嫌われる勇気』に関する記事を書いているので、是非お読みになってください。

一緒にアドラー心理学を究めて、人生を変えましょう!

最後までお読みいただきありがとうございました。



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