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美術館の温湿度管理[学芸員の大事なお仕事]

美術館(というか学芸員)が最も気を使っていると言っても過言ではないもの、それが温度・湿度の管理です。

ここでいう温湿度とは、当然ながら展示室および収蔵庫の温湿度の話です(事務室のエアコンの話をしても仕方ありませんね)。

温湿度管理が重要な理由

なぜ、私たち学芸員がそこまで温湿度を気にするのかというと、温湿度の変化と美術品の劣化や損傷は直結しているからです。

特に気をつけなければいけないのは湿度(相対湿度)の方です。

湿度が高い状態では、カビが発生する恐れがあります。

逆に乾燥した状態では、絵画であれば絵具層の亀裂や支持体となっている紙の裂けなどが懸念されます。

また、湿度が急激に変わると、ゆがみやたわみ、変形が生じ、それにより不可逆のダメージを美術品が負ってしまうこともあります。

湿度に比べれば、温度の変化が美術品に与える影響は少ないのですが、相対湿度は温度の変化と無関係ではないので、温度もなるべく一定にしなくてはいけません(詳しくは後述)。

以上の理由から、温湿度はなるべく一定に保つ必要があるのです。

美術品にとって最適な温湿度は?

では具体的に、私たち学芸員がどのような点に注意を払っているかと言えば、収蔵庫や展示室の温湿度を美術品にとって最適な基準値に近づける、そしてなるべくその数字をぶらさず一定の値に維持することです。
一日の平均値で見たら理想に近い数字でも、実際は大きなアップダウンがあるようではダメなのです(この理由も後述)。

美術品にとって最適な温湿度と一口に言っても、実はその美術品を構成する素材によって、適した湿度は変わります。当然と言えば当然ですが。

素材別最適湿度(温度を約20℃とする場合)
・45%以下 金属・石・陶磁器
・45~55% 化石
・50~55% 油絵
・50~65% 象牙・皮・羊皮紙・自然史関係の資料
・55~65% 紙・木・染織品・漆

ご覧の通り、適した湿度は素材によって異なるので、素材ごとに湿度設定の異なる収蔵庫に保管するのが理想ですが、そこまで完璧な収蔵環境を整えている美術館はほとんどありません。ですので、妥当なラインとして20℃、55%(±5%)に設定するのが一般的です。

最初に湿度が高いとカビが発生する恐れがあると言いました。
カビ発生の条件を詳しく説明すると、湿度65%では胞子がカビのコロニーを形成するまでに2年以上かかりますが、湿度70%になると途端にその日数が3、4カ月まで縮まり、80%では2週間以内、90%となるとわずか1週間でカビが発生してしまうというデータがあります。

カビのコロニーが出来上がってしまった状態

そのようなわけで、美術館では湿度が高くても65%を超えないよう、コントロールすることが肝心なのです。

温湿度変化が美術品に与える影響

温湿度の変化は、一日の中での変化、一定期間内での変化、そして設置場所を移動した際の変化など色々なケースが考えられますが、いずれにしても美術品に影響を与えます。

急激な温度変化の時に生じる自然現象として結露があります。

ここでちょっと理科の授業を思い出してください。空気中には水分(水蒸気)が含まれていますが、無限に水分を含むことはできません。
温度が高いほど空気中に取り込める水分量は多くなり、温度が低いほどわずかな水分しか取り込めなくなります。

空気中にどれだけ水分が存在するかを単純に示すのが絶対湿度(g/kgまたはg/㎥)です。
その空気が最大限取り込める水蒸気の量(飽和水蒸気圧)に対して今実際に取り込んでいる水蒸気がどれぐらいあるか、を比率で表したのが相対湿度(%)です。
私たちが「湿度〇%」と言う時に使っているのは、相対湿度です。

たとえば美術品を室温20℃湿度60%のところから10℃のところに移動すると、どうなるでしょう。「湿り空気線図」を見ながら考えてみます。
20℃・60%の時の絶対湿度は9g/kgですね。それだけの量が空気中に含まれていたことになります。
しかし10℃になると、9g/kgもの水分を空気中に抱えておくことができません(10℃だと相対湿度100%でも絶対湿度は9g/kg以下ですね)。抱えきれなくなった空気中の水分(水蒸気)はどうなるかというと、水に変わります。これが結露です。
温度が一気に下がると、美術品の表面には抱えきれなくなった水分が結露という形で付着するというわけです。

結露が起きると、そこにカビ胞子が付着し、その後条件が整うとカビが発生してしまいます。温湿度の波がないように注意するのは、こうした理由からです。

またそれだけではなく、湿度の変化は材質の寸法を変化させます。
木材や紙などは乾燥すると縮み、多湿状態では伸びる性質があります。美術品は多くの場合、複数の素材が組み合わさってできています。急激に湿度が変化すると、それぞれの素材の変化がうまく折り合わず、物理的な破損が起こります。
たとえば、絵画作品の支持体である紙や布が縮み、その表面にのっている絵具がその変化についていけず、剥離してしまうといった具合に。

美術品の温湿度環境が、最も大きく変化するのが輸送の時です。美術品の保存のことだけを考えれば、収蔵庫にずっとしまっておくのが一番ですが、そういうわけにはいきません。
美術館は展覧会の時に作品の貸し借りを行います。そこでもできる限り、温湿度の変化をゆるやかにしなくてはいけません。
そのために、輸送用のトラックには空調設備のついた美術品専用車を手配するのが基本です。

これは日通の美術品専用車

国内でも遠距離の地方に作品を貸し出す場合や、海外の展覧会に作品を出す場合は、飛行機を使うことになります。飛行機の貨物室は温湿度コントロールができません。
ではどうするかというと、クレートと呼ばれる美術品より一回り大きな輸送用の箱を特注で作成し、なるべく外気から遮断した状態にします。美術品と外気の間に空気の層を作るのです。この後で説明する調湿材をクレートの中に設置することもあります。

これは寺田倉庫の輸送用クレート

そして現地に美術品が到着しても、すぐにクレートを開梱してはいけません。1日程度はその場所の環境になじませてから開梱をします。そうすることで、美術品を取り巻く温湿度環境が急激に変化することを防止するのです。これを「シーズニング期間」(seasoning=慣らす)と呼びます。

それぐらい温湿度の変化には神経をとがらせているのです。

温湿度の計測方法について

温度や湿度は、ある程度肌で感じることはできますが、当然ながらきちんと計測するためには専用の機材が必要になります。いくつか種類があって、それぞれ一長一短あります。

1. 毛髪式温湿度計


美術館の展示室の隅っこによく置かれている、謎の箱みたいな物体がこれです。
その名の通り、毛髪で温湿度を測定する機器です。人間の髪の毛は、温度の変化、湿度の変化によって伸び縮みします。その性質を利用しているわけですね。
電池式で自動で長期間記録をつけてくれるので重宝します。
メリットは、温湿度の推移が目視ですぐに確認できる手軽さです。とくに温湿度が上下しているかどうかが一目瞭然でわかるのが便利です。
デメリットは、結構場所をとること、展示室にあるとどうしても存在感が出てしまうことでしょうか。

2. 温湿度データロガー

原理はよく理解していないのですが、電気的な性質を利用して温湿度を測定するのがデータロガーです。ロガーに記録された温湿度のデータは、PCに吸い上げて確認できます。有線ケーブルでつながずにWi-Fiでデータ送信できるタイプもあります。
データロガーのメリットは小型・軽量で、どこにでも目立たず設置できることでしょう。
デメリットは、リアルタイムの温湿度はその場で表示されるものの、一時間前や昨日、一昨日の温湿度がどうだったのかなど、一定期間の変動はPCにデータを落とさないと確認できないことです。それからアナログの毛髪式とは違い、データの吸い出しをミスするとデータがゼロになってしまう、というのも怖いところです。

3. ポータブルデジタル温湿度計

毛髪式温湿度計、温湿度データロガーはいずれも備え付けタイプですが、それらが置いていない場所の温湿度を知りたい、または展示室のいくつかの場所の温湿度を確かめたい、そんな時にあると便利なのがポータブルのデジタル温湿度計です。
長期的に測定するものではないので、サブ的な位置づけとなります。

4. 設備備え付け温湿度センサー

美術館の展示室や収蔵庫には、設計段階で温湿度計測センサーが備え付けられている場合が多いです。データは、監視盤で確認できます。
ただし精度は、専用機器に比べると劣る場合が多いです。センサーの位置がどこにあるかによっても、実際の温湿度と齟齬が生じる場合があります。
目安として傾向を見る分には役立ちます。

以上のように、それぞれメリット、デメリットがあるので、できれば複数を組み合わせる形が望ましいです。また異なる計測機器を同じ環境で用いることで、精度の狂いに気がつきやすくなります。単一の計測方法だと、それが少しずつ狂っていってもなかなか気づけませんからね。

温湿度をコントロールする方法


日本は四季がある国ですから、季節によって外気の温湿度は大きく変化します。また、当然一日の中でも時間帯や天候によって刻刻と温湿度は変化します。では、そうした温湿度の変化に引きずられることなく、美術品を安定した環境に置くには、どのような方法があるのでしょうか。

1. 建築構造やケース性能

まず、最初に理想を言ってしまうと、美術館の設計段階で温湿度管理を考慮した設計を行うことが重要です。この後に説明する空調設備がどれだけ優れていても、極端な話、すきま風だらけの木造一軒家のような建物だったら、温湿度を一定に保つことなんて不可能ですからね。

美術品を飾る展示室や、保管する収蔵庫は、外気に面した場所ではなく、建物の内側につくるのが望ましいです。
展示室や収蔵庫と外部環境との間に、ロビーや荷解き室、前室、風除室などいくつかの空気の緩衝エリアを設けることで、外気の温湿度が上下してもその影響が緩和されることになります。
外気に触れないといっても、地下に展示室や収蔵庫を作ることは避けるべきです。地中はどうしても湿気がたまりやすく、そこに美術品を置くような部屋を作るとカビの被害が出やすくなってしまうからです。
逆に、正倉院をみならって高床式のような構造にできれば、湿気対策が格段に容易になります。

近年は、文化庁が高気密・高断熱構造の収蔵庫を推奨しています。これは壁などの内装に用いられる素材に調湿性能や断熱性能の高いものが開発されてきたこと、機械空調の機能が上がってきたことが主な要因でしょう。
施設の調湿性、断熱性が高いほど、空調設備に負荷がかからなくなり、電気代というランニングコストも抑えられることになります。

そして、美術品を入れる展示ケースも開閉部のガラスにパッキンのついたエアタイトケースにすると、ケースを閉じた段階で空気が密閉状態になるので、ケース内の湿度は比較的維持しやすくなります。
ただし、温度はケース外の温度変化に影響を受けるので、それによってケース内の相対湿度もある程度動く点には注意が必要です。

2. 空調設備(空調機)

温湿度をコントロールするために欠かせないのが空調設備です。大抵、美術館の裏手に空調設備のある機械室が設けられています。

いわゆる家庭用エアコンが温度のみをコントロールするのに対し、美術館用空調設備(空調機)は温度と湿度の両方を制御する機能があります。
簡単にその原理を説明すると、空調機は冷却、加熱、加湿の3つを行います。外部から取り込んだ空気を冷却し、低温になったことで生じた結露を取り除くことで湿度を下げます。そこから設定温度まで加熱し、さらに設定湿度まであらためて加湿します。
そうすることで、設定している温湿度に近い空気をつくり、ダクトを通して展示室や収蔵庫へと送るのです。

鋭い人は気づくかもしれませんが、この原理でいくと、外気温が低くて湿度が高いような場合(梅雨寒のような)は、そもそもの外気温が低いので冷却して結露をとるという除湿があまり機能しません。空調機も万能ではないのです。

それともう一つ大きな問題として、空調機は稼働するための電気代コストがかさみます。大きな美術館施設のところでは、年間で億単位にのぼると耳にしたこともあります。そんなわけで、コストを軽減するために24時間フル稼働は行わないところも少なくありません。
そうした時に、収蔵庫や展示室が外気の影響を受けにくい構造になっていると、空調を切ってもある程度温湿度が維持されるので、やはり設計が何より重要ですね。

3. 調湿材

美術館でよく使用するのが「アートソーブ」「ニッカペレット」などの商品名で販売されている調湿材です。展示室のケースの中に置かれているのを見たことがある人もいるでしょう。

富士シリシアのアートソーブ

調湿材は、シリカゲルや粘土などの多孔質の材料でできています。湿度が高くなった時は空気中の水分を吸収し、逆に空気が乾燥してくれば水分を放出して、湿度を一定に保つ助けをしてくれます。
油絵などに適した50-55%設定のもの、日本画や染織品、漆工品などに適した55-65%設定のものなど、いくつかの設定湿度にあう調湿材が用意されています。

ただし永久に使えるわけではなく、2、3年で効果は落ちてくるので、メーカーに再調湿を依頼するか、買い替える必要があります。

4. 加湿器、除湿器

日本は1年を通して、外気の湿度は40%台から90%近くまで変化します。冬場の乾燥が厳しい季節、梅雨の多湿の季節など空調や調湿材ではコントロールが間に合わない場合は、独立した小型加湿器または除湿器を必要に応じて稼働させます。
業務用の機器を使っているところもありますが、小さな展示室などで家庭用のものを使っているところもあります。

加湿器は手入れを怠ると、カビが発生し、下手するとカビをまき散らすことにもなりかねないので、定期的な手入れが欠かせません。
また除湿器は、頻繁にタンクに溜まった水を捨てなくてはならず、手間がかかります。

5. その他

その他の方法として、最近はあまり見かけなくなりましたが、ケースの中に水の入った容器を置く、というとてもアナログな乾燥対策も行われていました。
ただ、室温で水が気化することはほとんどないので、湿度を上げる効果は気休め程度でした。逆に、うっかり展示ケース内で水をこぼす危険の方が…。

ここまで色々と温湿度管理の対策を説明しましたが、それでも完璧にできるわけではありません。そこで学芸員としては、季節に応じた展示を考える必要が出てきます。
どうしても湿度が低くなる冬場は、乾燥につよい陶磁器や金工品の展覧会を行い、紙や絹といった乾燥に弱い素材が使われている日本画は、気候が穏やかな春にやるなどといった感じですね。

おそらくどこの美術館でも、学芸員が日々温湿度計とにらめっこしているはずです。

【参考文献】
『文化財の保存環境』東京文化財研究所[編]、中央公論美術出版[発行]、2011年

本記事は【オンライン学芸員実習@note】に含まれています。


バックナンバーはここで一覧できます(我ながら結構たくさん書いてるなぁ)。


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