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書店に風は吹いているか(最終回)

「この20年で変らなかったのは、本への思い入れを読者に伝えようとし続けた書店員たちの存在である。彼ら、彼女たちがこれからも書店を支え続けるのである。・・・」 学芸出版社営業部の名物社員・藤原がお送りする、本と書店をめぐる四方山話。

現在書店に勤務している人からは信じて貰えそうにないが、僕が書店に勤め出した頃はこんな感じだった。

関西資本で東京に進出しているある書店に入社して最初の3か月は本がぎっしり詰まったトーハン9号段ボールの重さを体に滲みこませることが仕事だった。大型書店だったため午前、午後の2回合計100ケースぐらいを担いだ。一日が終わるとへとへとだった。

そして検品のスピード感を身につけること。マシンガンのような早口で商品を読み上げる先輩。伝票の数字を追い、照合するのが大変だった。「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」「こら!検品にいつまでかかってるんや。早よ商品を店に出さんかい!」

そんな日々を繰り返し店頭デビュー。人文書を担当する先輩、通称OKABENの下に付く。初日の仕事は「棚にある本を見て回ってください。棚を眺めるのではなく、本をしっかり見てください。読んでもいいよ。」で一日中棚をウロウロ。

翌日の仕事も、その翌日も棚を見ること。10日ほどして「本を棚に入れてみる?」とやっと仕事を貰った。しかし10冊を棚差しするのみ四苦八苦。そんな繰り返しが続いた。

ある日、先輩たちの会話を聞いていると、どうやら棚から抜けた本の書名が言えるらしいのだ。棚の本を全部覚えている! 岩波文庫の書名を言うと番号(赤の何番とか)が言える人もいた。僕は恐ろしい世界に来たのだと実感したのは、入社してそれほど時間が経たない時期だった。

先輩のOKABENが「そこにある平台にあんたの好きな本を積んでもいいよ」と言ってくれたのだが人文書の知識などない。困っていると「別に人文書じゃなくていいよ。好きな本。それでいいんだよ」

悩んだあげく積んだのは「草間彌生」の本だった。12点ほどだったと記憶している。売れるかどうか心配だった。一日中気になって平台を見ていた。お客さんが本を手取って書名をメモしたときには「やった!」と思った。その時の感動は今もリアルに記憶に残っている。

このミニコーナーの販売結果はちょっと売れたような気がする、という記憶しかない。自分で選んで仕入れて売った初めての経験は、この後の僕の書店での仕事に大いに役立った。いまでもOKABENに感謝している。これがなければ僕は、書店という仕事の最初で躓いていたかもしれない。


僕が書店にいた時代の風景は「犬猫堂の人々」として記録しました。
またその後、書店が変貌していく1997年代後半には「売れる書店はこうだ 本という商品の考え方」として書店の基本をまとめました。
売行きが低迷したことによる本の徹底した商品化と販売の効率化という考え方は、人件費の削減には大いに貢献しましたが、もともと人手をかけることでしか販売できない本という商品が並ぶ店頭から書店の魅力を失わせてしまいました。
そして2000年に入りトーハンさんのご厚意でトーハン週報に2年間「一言半/甘辛書店時評」を連載させていただきましたが、すでに書店は経営の効率化の方向へまっしぐらで、書店が大型化して行く中での極限までの人減らしが行われました。そして平成の黒船「アマゾン」がやってきました。

「書店に風は吹いているか」と聞かれたら、「吹いています」と僕は答えます。しかしながら、その風を捕え読者を店に導く術を書店は失っています。
空回りです。空回りの原因は、考える時間が圧倒的に不足していること、先輩から後輩へ伝えるべきものがなくなっていることです。

誰もが寡黙に仕事をしています。搬入された新刊本はベルトコンベアに乗せられた商品のように店頭に出て行き、POSデータを照らし合わされて商品が入れ替えられます。今や、店頭を牛耳っているのは、店員の経験や勘ではなくデータです。

書店では読者の欲求を書店員のこれを読んで欲しいという熱意がぶつかる時に風が吹きます。そしてその風が大きくなった時、書店には自然と貨幣が溢れていきます。風は待っていても吹きません。吹かそうと思ってもそう簡単に風は立ちません。書店で本と出合いたいと思う読者と本という商品と向き合う書店員の思いがあってこそ吹く風です。


短い間でしたが、連載はこれで終了です。ありがとうございました。また逢う日まで。

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