見出し画像

061.『アルスエレクトロニカの挑戦』鷲尾和彦 著


5525帯

“ ―― 先端テクノロジーのアートフェスティバルだとか、あるいはビジネス向けの技術展とかの、どれでもない。むしろすべての要素がありながら、家族連れを含め一般の人たちが参加できる「間口の広さ」がある “

人口20万人の町リンツは、市民を巻き込みながら最先端のメディアアート・フェスティバルや国際コンペを開催、教育拠点のミュージアムや産業創出拠点のラボを設立、衰退した工業都市を創造都市へ変貌させた。市民を主体に約40年をかけた町のイノベーションに、都市政策・ブランディングに必要なクリエイティブメソッドを学ぶ


●Prologue:オーストリアの地方都市で出会ったアートフェスティバル(抜粋)

 「テクノロジーが人や社会をどう変えていくかって? そんなことを考えてみたいのなら、アルスエレクトロニカ・フェスティバルを体験してみるといいよ」。アルスエレクトロニカとの出会いは、知人とのそんな会話がきっかけだった。

 「アルスエレクトロニカ・フェスティバル」とは、オーストリアの地方都市リンツで行われている芸術祭である。コンピュータ以降のデジタル技術を活用したメディアアート、最先端のテクノロジーやサイエンスの研究プロジェクト等と世界中からアーティストや技術者、科学者がここには集まってくる。

画像2

リンツ市内中心部にあるOK現代美術センター前の広場は、いつも多くの人たちで賑わっている

 当時、私は博報堂DYメディアパートナーズのメディア環境研究所というシンクタンクで、研究員として「メディア環境変化の発見」と「メディアの新たな使い方の提案」を目的に、リサーチプロジェクトを担当していた。当時はブログ、ポッドキャストといったソーシャルメディアが飛躍的に普及し、フェイスブックが一般向けサービスとして公開されるなど、メディア・テクノロジーと生活者との関わりが急速に変わろうとしていた。私はそんなメディア・テクノロジーを、広告コミュニケーションへの商用活用にとどめず、「暮らしの有りようを変え、生活者や社会の価値観そのものをも刷新する力」として探求したいと考えていた。しかし、その当時参加した多くのビジネスカンファレンスではビジネスアイデア以上のヴィジョンは聞けなかった。進化の先にどんな「生活」や「社会」が現れるのか、その点に私の関心はあり続けた。

 一方、変化はいつでも個人から始まる。例えば、著名な作家が自身のエッセイを多国語に翻訳しPDFファイルで全世界に無料配布を始めていた。岩手県では南部杜氏の古い酒蔵の店主が、ブログやポッドキャスティングを駆使して自身が手掛けた日本酒をオンライン上で紹介し自ら語りかけていた。みんなそれぞれ主体的に世界に関わろうとしていた。新しい技術は人の可能性を広げていく。それを実体験した人たちに芽生えた価値観が、新しい生活文化を生み、社会を変える力になるかもしれない。こんなリサーチをするなかで、先の知人からアルスエレクトロニカ・フェスティバルの存在を聞かされたのだった。

アルスエレクトロニカ・フェスティバル

 それにしてもこんなにのどかな街だとは。初めてリンツを訪れた時の印象だ。「アルスエレクトロニカ」という名前のもつ印象、最先端の技術が体験できる場所というざっくりした情報だけを頼りに行ったため、そのギャップに正直驚いた。こんなところで何が起きているというのだろう。直観だけを頼りに来たけれど、報告できることが得られるのだろうか。

 中央広場を中心に古い街並みが残り、メインストリートも1本で、20分もあれば端から端まで歩いてしまえる。石畳みの舗道は路面電車が行き交い、ドナウ川沿いに停泊している客船のゆったりとした姿は気持ちを和ませてくれた。アルスエレクトロニカ・フェスティバルは、こうしたリンツの街なかに点在するいくつかの文化施設や中央広場、そして街なかの店舗や通りなどを使いながら開催されていた。

画像3

 路面電車が行き交うハウプトプラッツ(中央広場)

 私は不思議な違和感を覚えながら、街のあちこちで繰り広げられている、大小さまざまなイベント、カンファレンス、展覧会を一つずつ覗いていった。日常のなかにおもちゃ箱をひっくりかえしたように、ユニークな体験が用意され、誰もがこうした混沌とした状況を楽しんでいる。いわゆる先端テクノロジーのアートフェスティバルだとか、あるいはビジネス向けの技術展とかの、どれでもない。むしろすべての要素がありながら、家族連れを含め一般の人たちが参加できる「間口の広さ」がある。もしかしたら、東京のような賑やかな大都会よりも、こののんびりとした街の方が、「未来」を考える環境として相応しいのかもしれないと、だんだん思えてきた。

画像4

街なかにはオープンテラスのカフェなども多い

 中央広場を抜け、シンポジウムに参加するためにドナウ川沿いを歩き、会場であるブルックナーハウスに向かった。この街出身のクラシック音楽家、アントン・ブルックナーの名を冠したコンサートホールだ。コンパクトな会場は満席で、高校生や大学生らしき若者もたくさんいた。米国のブロガー、香港の建築家、ロシアのアーティスト、英国から来た大学教授、さまざまな国から集まってきた登壇者たちが、この年のフェスティバルテーマ「シンプリシティ」について実践的な方法論を提案していた。

画像5

仮想空間上にシミュレートされたオブジェクトに、直接触れる感覚を提供する「スキンインターフェイス」。デモンストレーションを行うデザイナーのシャーロット・フューレ。アルスエレクトロニカ・フェスティバル(2016)

 会場でフェスティバルの芸術監督であるゲルフリート・ストッカーに会えたので、このフェスティバルが「アート、テクノロジー、社会の祭典」と呼ばれる理由を尋ねてみた。私がその時書き留めたメモには、彼のこんな言葉が残っている。

───私たちは、アートとは理屈や論理を超えて、エモーショナルな方法で人の人生や社会を探求する方法だと考えています。新しい技術によって文化がどう変容しようとしているのか、それを理解することを助けてくれるものとして。(ゲルフリート・ストッカー/アルスエレクトロニカ芸術監督)

 この言葉は私のなかの問いに対する大きな手がかりとなった。そして私はその意味を体験的に学ぶためにその後10年に渡り、このオーストリアの小さな街に通い続けている。

画像6

市民参加型プログラム「リップダブ」。市民の多くが知っているヒット曲を一緒に歌いパレードしながら、みんなのスマートフォンやカメラを使って様子を撮影し、1本の映像作品をつくる。アルスエレクトロニカ・フェスティバル(2014)


●書籍目次

Prologue:オーストリアの地方都市で出会ったアートフェスティバル

第1章 地方都市で生まれたメディアアートの祭典

①オーストリア第3の都市リンツ──陸路と水路の結節点にある工業都市
②再生──工業都市から文化芸術都市へ
③第1回アルスエレクトロニカ
・インタビュー
・エピソード

第2章 公営企業としてのアルスエレクトロニカ

①パブリック・カンパニー
②アルスエレクトロニカの新たな事業部門
・インタビュー
・エピソード

第3章 [挑戦1]フェスティバル 市民のためのクリエイティビティ

①市民一人ひとりをアクター(主役)に
②進化するフェスティバル
③社会的空間(ソーシャルスペース)としてのフェスティバル
・インタビュー
・エピソード

第4章 [挑戦2]コンペティション 国際的ネットワークの中心になる

①国際コンペティション部門の設立
②各部門の審査
③審査員──審査基準は「どれだけ社会を変える力を秘めているか」
・インタビュー
・エピソード

第5章 [挑戦3]ミュージアム 市民の創造性を育む場所

①アルスエレクトロニカ・センター
②センターの中をのぞいてみよう
③50人のインフォトレーナー
④「未来の美術館」から、「未来の教室」へ
・インタビュー
・エピソード

第6章 [挑戦4]フューチャーラボ クリエイティブ産業創出の拠点

①研究所から産業創出の拠点へ
②ラボメンバーのワークスタイル──シェアード・クリエイティビティ
③ダイムラー社・自動運転カーモデルの共同リサーチプロジェクト
・インタビュー
・エピソード

第7章 リンツ市とアルスエレクトロニカ 経済政策と文化政策の両立が社会の質を決める

①リンツ市の挑戦
②鉄鋼の街から、文化都市への転換
③市民にオープンであること
・インタビュー
・エピソード

Epilogue:変化にオープンでポジティブな都市

あとがき

写真クレジット

いただいたサポートは、当社の出版活動のために大切に使わせていただきます。