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若くして「さよなら」をした先生に自分の年齢が追いついてきた

がくさんです。

20年以上前のことです。

家族以外で初めて、
すごくお世話になった方が亡くなりました。



私は左利き(ぎっちょ)でした。

ボールを投げるのも
はさみを持つのも
ご飯を食べるのも
字を書くのも

全て左でした。

今では左利きの人でも
矯正しない人も多いかと思います。

ただ、

当時の母さんは、
字に関しては
右で書けたほうがいいだろうと

母さんが頑張って
矯正を試みましたが、

自分自身で教えることには
限界があったようです。

話は少しそれますが、

当時は父さんが独立したばかりで
ほとんど家にはおらず、

母さんも看護師として三交代で働きながら
兄弟(兄と私)を育てていたため、

そもそも時間的な余裕もありませんでした。

今でこそビデオ通話をすれば
ニコニコと話をする母さんですが、

幼い頃は
とても
とても
厳しい人でした。


母さんはよく叱りました。
僕はよく泣いていました。

母さん自身も気持ちの余裕が
なかったんだと思います。

あまりにも怒られすぎて、
保育園の先生に母さんのことを

「鬼」

と吹聴していたようです。


そんな母さんが左利きの私に
右で字を書けるようにと、

家の近くの個人塾を探して、
兄と私を入塾させることにしました。


5歳くらいだったと思います。

N先生はその塾の代表の方で
30代半ば位の女性、


肩まである黒髪で細身、キリッとした目で、
厳しそうだな、という印象を受けました。

今は、うっすら輪郭が出てくるかどうか
くらいでしか覚えていません。

雰囲気は当時の母さんと
似ていたと思います(要は怖い)。

母さんが入塾させる時に、
塾の先生にこう伝えたそうです。

「この子はきっとできないと言って泣くと思う」

「泣いている時は放っておいてくれていい」

「泣き止んであきらめがついたら、必ずやる(机に向かう)と思う」

「だからその日の課題が終わるまでは、お迎えの連絡はいただかなくても大丈夫」

「迷惑をかけると思いますが、どうかよろしくお願いします」

今思えば、

塾側にはとても迷惑な話だな
と感じますが、

田舎の個人塾でしたし、

塾の先生が私の母さんの
考え方に共感したためか、

「わかりました」


とすんなり受け入れてもらいました。

母の期待どおり、
私の想像どおり、

その先生は、
とても厳しい人でした。

どんな声をかけられたのかは
もう覚えていません。

ただ、母さんの当初の依頼どおり、
私が泣こうがわめこうが、

やるまで
できるまで
終わるまで

帰らせてくれませんでした。

N先生にもよく怒られたと思います。
怒ると、これまた怖い先生でした。

泣き虫だったし、
子供の頃はよく癇癪を
起こしていたこともあり、

とても面倒な生徒だったと思います。

ただ、N先生は、
匙を投げるようなことは一切せず、
根気強く付き合ってくれました。

その指導のおかげもあって、

最初は右手で点と点を結ぶだけの
練習から始まったのですが、

いつの間にか右で字が書けるようになり、

気がついたら、勉強することが
習慣になり、やればやった分だけ、
高成績も出るようになりました。


勉強が習慣としてできる
これは私の人生の最大の武器になりました。

N先生には小学校4年生になるまで
5年間程、お世話になりました。

小学校4年生の中頃、

N先生の体調が良くないことを
母さんから知らされました。


私自身はその変化に気が付きませんでした。

体調は一向に良くならず、

N先生は塾の運営ができなくなってしまい、
塾は閉めることになりました。

塾を閉める前に最後、
「さようなら会」をやったと思います。


はっきりとは覚えていませんが、
笑顔で「さよなら」をしたと思います。

その後、
母さんからN先生の病名を聞きました。


「脳腫瘍」でした。

「脳腫瘍」が具体的に
どういう病気かはわかりませんでした。


どれだけ事が深刻であるか、
はっきり分かりませんでした。

ある時、入院中に
N先生が母さんに手紙をくれました。


病気の影響もあり、
手紙に書いている字が震えていて、

何を書いているのか、
私には読めませんでした。


麻痺した手で書いた筆跡でした。

普通の状態ではないんだな、
ということは察知しました。


その1~2ヶ月後だったと思います。


N先生はこの世に「さよなら」を告げました。


正確な享年は覚えていませんが、
かなり若くして亡くなりました。


それまで、とてもお世話になった方が、
この世から、同じ空間からいなくなりました。

悲しかったのと、
まだいるような気がするのと、
不思議な感覚でした。


20年以上経ちました。
私は32歳になりました。

結婚して、
奥さんと息子と3人で暮らしています。

私はお酒を飲んだ時など、
たまに奥さんに、

「明日死んでもいいように、後悔のないように生きたい」

「いつ死んでもいい(という気持ちで生きたい)」

と話してしまいます。

奥さんからは

すごく
すごく

怒られます。

「死」という言葉を安易に使うなと。

安易に使っているつもりはありません。

ただ、なぜ僕がこういう言葉を
不意に使ってしまうのか、

自分でもわかりませんでしたが、
ふとゆっくり考えた時に、

N先生のことを思い出しました。

「人は、いつ、どうなるか分からない」
「いつの間にか近くの人がいなくなるかもしれない」

多分、無意識的に
自分の中に書き込まれているんだと思います。

だからどうというわけではありませんが、

仮に

明日どうなってもいいように

後悔なく、1日1日無駄なく
過ごしたいという気持ちが強いです。

 
今後の人生で使える時間を、
僕は何に使うのか。



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