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教員が抱えるジレンマ

教育とは、あらゆる子どもが必ず持っているその子固有の長所を見つけて、それに感動してやること、そしてそのことを子どもに伝えてやることだと思う。
短所を探し出して直してやることなど、本当はしなくてもよいことだとさえ思っている。
容易なことでは直せないし、その前に子どもの人格を、元も子もない状態に壊してしまうことが多い。

「育てたように子は育つ」(佐々木正美)

子どもの短所はすぐに気付く。どうしても集団だと「浮いて」しまうものだ。
子どもは未熟だ。できないことがある。もともとの知能の差もあるのだから、できる子とできない子がいる
教師はそれを厳しく叱ることがある。

もちろん、ある程度はこのようなことは必要かもしれない。「指導」するということだ。。

だが、行き過ぎた指導は子どもを苦しめる。
「行き過ぎ」というのは、どのレベルから「行き過ぎ」なんだろう。
教師によってその考えは違う。
だから、「厳しい先生」「優しい先生」がいる。
そして、
「厳しい先生」の中にも、決して子どもの人格を壊さない先生がいる。
「優しい先生」でも、長所に気づかない先生がいる。

さて、子どもが「問題行動」を起こしたときはどうだろうか。
「いじめ」「けんか」はもちろん、
「ルール違反」「忘れ物」「態度」なども叱るのが一般的だと思う。

しかし、その失敗にある原因の中には、「短所」もあるかもしれない。
それが、発達障害に関わることだろう。

自分はなんでできないんだろう。そう子どもは思ってる。
発達障害(グレーゾーンもね)に苦しんでいる子どもをたくさん見てきた。

なんで手が出てしまったんだろう。
自分は怒りがおさえられないのかな。
自分はなぜかうまく片付けができないのかな。とかね。

結局は「厳しく叱る」ことが教師としてよしとされている気がする。
「悪いことは悪い」「あなたのしたことはいけないことだ」ってね。
表向きは「悪い」のだが、子どもの心の中には葛藤があるのかもしれない。

一人だと叱る必要がないのに、集団だと周りに合わせられずに、周りとうまく関われずに叱ることが増えてしまうこともある。

さらに、「学級経営」が存在することで、叱る機会がもっと増える。
集団をまとめる上で、「秩序」「緊張感」を必要とするから、叱るという場面がある。

人それぞれ、子どもの事情も違う。なぜ、こんなに叱らなければならないんだろう。
教師だって、様々な考え方がある。同僚から、先輩教員や管理職から指摘されることだってある。なぜ、自分の教育観が壊されるんだろう。

いろいろと、「教育ってこんなはずじゃないのに」と思いながら、
教員やってま~す。

これが私にとっての最大のジレンマです。

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