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成長した子どもの姿を見て得意げになるのはやめてほしい

〇〇先生のクラス、すごいですね!!
子どもたち立派です!

こう言われたことはないだろうか。
または、同僚が言っているのを聞いたことはないだろうか。

子どもの姿は、その子の一部分でしかない。

元気に走り回っている子がいたとする。
果たして心も落ち着いて明るい気持ちでいるだろうか。
当然、心の中でどう思っているかはわからない。

下を向いて表情が暗い子がいたとする。
おそらくほとんどの教師は気にかけるだろう。
もちろん、私は注意深くその子の行動を見るようにしている。
何か困ったことはないか。友達関係?家庭?悩んでいるのだろうか…と。
しかし、ただ眠いだけかもしれないし、勉強したくないという怠惰かもしれない。

授業中、全員が姿勢を正して教師の話を聞いている。
ノートもしっかりとり、声もはきはき。
だが、果たして子どもたちは
「知りたい!」「学びたい!」と思っているか。

「先生に怒られるのイヤだからノートをとっておこう…」と思っているかもしれない。

子どもの行動から、心を読み取ることは難しい。
あくまで一つの手がかりになるだけだ。

「先生!〇〇についてわからないので教えてください!」
なんと興味関心のある主体的な子どもだろうか!
しかし、心の中では
「先生から褒められるからやろう」
「点数が上がるから聞きに行こう」
かもしれない。

教師の「コントロール」力の結果なのかもしれない。

指導したことの多くは、教師の理想像であり、日々教師がコントロールしてきたことだと考える。

授業中にノートをとっている子をほめ、「ノートをきちんととることはすばらしい」と他の子に思わせる。
褒めてその子を「子どもたちにとってのお手本」にする。
なんとやらしいことではないか。

授業で、子どもに意図的な指名をする。
これはよくある教育技法のひとつだろう。
まあ、これは授業を進める上で必要なのかもしれないけど。
授業が終わったときに「素晴らしい板書」「授業の流れが素晴らしい!」となるだろう。

学びってのはスムーズにいくものじゃない。
試行錯誤の末、やっと結果がでるものだ。
いや、現代では「正解がない」とか「まだ結論は出てない」ものだって山ほどある。
クラスというのはいろいろな考えが混在する。
右往左往するものではないだろうか。
うん、まあ、改めて考えてみると、1時間で何とか終わらせるには
結局「意図的な指名」なんでしょうかね。。うーむ。

現在、教育において「何が正しいかはわからない」状態になっていると思う。
その中で、教師の一人ひとり異なる「価値観」「教育観」によって、
子どもはコントロールされて、過ごしている。

時に教育観の齟齬が保護者と起こる。
これで苦情が来ることもあるだろう。
当然のことだ。

「よい子ども」「立派な子ども」なんて、ない。

大人が勝手に決めつけた理想像である。
どうか、一喜一憂しないでほしい。というかする必要はない。

他の教師が管理職から
「立派ですね!」と褒められても、
悔しがる必要はない。

管理職が考える(きっと古臭い)理想像だ。(ちょっと言い過ぎ?)

もしかしたら「やりがいがない」と感じるかもしれない。
教師という仕事はそういうものだと思っている。
手柄などない。
「結果」が見えないからだ。

周りの同僚の「〇〇すべき」もだ。
自分が違うと思ったら忘れてしまえ。
一人ひとり、「〇〇すべき」は違う。
ダメなのは、法律に書いてあることだろう。
それ以外は、教師が自ら考えることだ。

教師の指導による「結果」って?

そんなのない。
子どもの行動や心が変わったのは、
友達の影響かもしれない。
家庭の影響かもしれない。
本や漫画、動画かもしれない。

もしかしたら、この指導をして、子どもがよりよい方向に行ってくれるかもしれない。

そう信じて、できることをやるしかないのだろう。

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