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「叱る」を変えよう

叱るとは、子どもたちがしてしまった過ちに対して、
強くとがめて注意すること。

叱るとは、怒るとは違うとよく言われますが、
感情が入っているかどうかってことの違い。らしい。

怒るはその人の苛立ち・不機嫌などの負の感情が入っている。
だから「怒るはよくない」と言われている。

怒るはだめ、でも叱るは大切と言われる。

しかし、一般的にイメージする「叱る」はどうか。
結局はきつい口調で、子どもを責めていくことではないだろうか。
だらだらマイナスなワードを使って子どもたちを怖がらせる。

子どもたちの反応はどうか。
叱られたあとは、「あーおわったおわった」という気持ちになるのではないだろうか。
結局「怖い先生だな」「怖いからやめよう」だ。
「よし、次から気を付けよう!」とプラスの思考に果たしてなっていくか?
日頃からポジティブ思考で生活している子どもを除いては、そうはならないだろうが。

叱ることによって、子どもたちに残るのは、
不安・恐怖・苦痛・悲しみ・学校に行きたくない
先生は怖い・話を聞いてられない
そんな感じのような気がする。

叱ると怒るは、紙一重だ。
大人が「全然違うよ」と比較しているが、
子どもからしたら「あっそう」だと思う。

大事なのは、言葉の定義を考えて比べることじゃない。
子どもたちに、言葉で何を与えるか、だと思う。

自分なりの「叱る」定義を作っちゃえ

辞書では、冒頭で示したことが書いてあるが、
先生によって、叱るのイメージはいろいろあると思う。
最初に述べたのは、私の考える一般論ね。

尾木直樹氏の考え

しつけは、イライラをぶつけることではない。
厳しくすることではない。おしおきもだめ。
しつけ=叱るを捨てることが大事。
叱るは、「具体的な方向性や方法を言葉で示す」ことだ。
その上で、子どもに練習させてみる。
「こっちのほうがいいんじゃない?」
「ママと一緒にやってみようか」

または、なぜいけなかったのか、じっくり考えさせること。
「どうすればよかったと思う?」など。
叱らない子育てが大事。
感情が入ってしまったら「ごめんね」と謝る。
間違ったことは素直に認め、謝る。
愛情を伝え、子どもとの信頼関係をアップさせる。
親は子どもとともに育つ。

しつけない道徳(尾木直樹)

土居正博氏の考え

「叱らないほうがいい」が出回っているが、
手段の目的化にならないように気を付けるべき。
教師の力量を向上させる意味で「叱らない方がいい」という縛りをかけることは大切である。
しかし、人権を否定することやいじめ問題などでは、毅然とした態度で厳しく叱るべき。
子どもが危険な目にあっている場合は、悠然と見ているのはおかしい。大きな声でも出してすぐに止めさせるべきである。
逆に、重大な案件以外で叱ることはあまり意味がない。(例:忘れ物)
それよりも、どうしたら解決できるか、どうしたらその問題を防げるかを一緒に考えていくことの方がはるかにその子の成長につながる。

教師のNG思考(土居正博)

著者2人の考えを紹介した。
前者は親目線、後者は教師目線で書かれている(と思う)。

私が考えた「叱る」

  • 困っている子どもを助けるときに、やむを得ず大きな声や厳しい口調で使う。

  • 基本的には大きい声や厳しい口調にせず、「語りかける」もの。

  • ポジティブに考えられるように、子どもに対して具体的な方法を教えるもの。

  • 環境の工夫、教師のちょっとした手助けで解決できそうなことは、叱らない。

  • 叱るは最終手段。

今のところ、こんな感じかな。

そうえいば、緊張感を生むために使うものなのか?

よく、「叱って」教室に緊張感を生みだそうとする教師がいる。
「緊張感」はある程度必要だ。和やかな雰囲気で授業するのも大切だが、
だらだらした雰囲気になってしまいがち。だって人間だもの。

大人の研修でも同じだと思う。
1時間ずっと講義を聞いていると、だんだん眠くなるものだ。
眠いのは聞き手の集中力がないとか、学ぶ意欲がないとか、あなたのせいでしょとも言われるが、
結局は話し手のせいだ。授業であれば授業者のせいでしょ。

だから、上手な話し手は、緊張感を作るのが上手い。
近くの人と話す時間を設けたり、言葉を巧みに使って聞き手をひきつける。

では、緊張感を生むために「叱る」を使っていいのか?
これは、だめでしょう。
先に述べたように、叱るは子どもたちにとってマイナスだ。
いいことはない。結局「うわ、またおこってる・・・こわっ!」だけ。

だから、緊張感を生むために、様々な方法をベテランは持っていると思う。
例えば、子どもを「立たせる」こと。

「〇〇さん、立ちなさい」
「〇列目、立ちなさい」

代表的な例だと思う。
これは、一見すると怖さがあるような気がするが(私だけ?)、
全く叱っていない。怒ってもいない。
ただ、指示しているだけなのである。
しかし、「自分があてられるかもしれない」と、子どもは思う。
怒られているわけではないが、話を聞かなきゃ、勉強しなきゃ、と参加せざるを得ない状況を作っていける。

こうやって、怖さを一切見せずに、
緊張感を生むことも、指導する上で大切だと思う。

「怖い」は意味なし

何度も言うが、やっぱり「怖さ」は必要ない。
「悪いことしたら大人は怖いぞ」と思わせるのも大事な気はするのだが。
でも、世の中のルールを感情で教える?それは違う。
何度考えても、子どもは「怖いからやめよう」という思考にしかならない。

大事なのは、自分で考えて、自発的に「これはよくないからやめよう」となることだ。
自分で考えてもらうためには、大人がヒントを与えなければならない。あるいは答えを教えなければならない。
そのためには、具体的に、分かりやすく、優しい口調で。落ち着いて。
ゆっくりと説明していく必要がある。
それが、私にとっての「叱る」だ。

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