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学校の学校⑼ 自分が生きることを(まず自分で)肯定する 坂口恭平『自分の薬を作る』論をニーチェから
こんにちは。
『ニーチェはこう考えた』を読んでいます。おもしろい! 『ツァラトゥストラ』を学生の時に読んで、挫折し、最近また読んでやっぱり「わからん」となり、千葉雅也先生が確かオススメしていたので、これを読んでみています。当然、『ツァラトゥストラ』が「わからない」というのと、『ニーチェはこう考えた』が面白いというのは全く別のことで、『ニーチェがこう考えた』を読むことと、『ツァラトゥストラ』を読
学校の学校⑻ 「楽しいことだけして生きていける」には注意しよう。
こんばんは。
なんでも、シンプルに言いすぎてはいけないと思います。「楽しいことだけやって生きていける」とかいうと、それはシンプル過ぎると思います。坂口恭平先生は、それに近いことを言うかもしれませんけれど、そんなにシンプルに言わないですね。先生がシンプルに言うことは、すごく具体的でわかりやすい行動か、あるいはシンプルだけど深い言葉です。最近の著作だってそうです。『自分の薬を作る』、シンプルだけど
学校の学校⑺ 学校の先生は感情を揺さぶるな!
こんにちは。1週間目の投稿です。
学校の学校は、坂口恭平先生のお金の学校の卒業生の、吉田カンゾーが始めた学校です。学校についての学校、学校を楽しくするための学校、あるいは学校に行かないための学校・・・なんでもいいんですが、というか自分でもわかっていないんですが、とにかく学校の学校です。中学生とか高校生に読んでもらいたいと思っています。
吉田カンゾーは8月まで10年間学校の先生をしていました。
学校の学校⑹ クラスのまとまりは人権侵害
おはようございます。
クラスのまとまりっていう言葉がありますね。一体感とか、そういうふうに言うこともあるかもしれません。学校によっては、あるいは先生によっては、そういうものをクラス目標みたいなものに掲げて、目指すかもしれません。あるいは学級委員が学級目標みたいなものに掲げて、クラスにいるみんなも「そうだな、まとまりが大事だな」ってなります。
しかしちょっと待ってください。いいですか? 「あな
学校の学校⑸ 学校の先生の「支配欲」という快感に協力しない
おはようございます。
私の住んでいるところは、今日は冷え込んでいます。ぜんぜん気温が上がらないようです。わたしは冬が好きです。だからうれしいです。ずっと部屋でじっとしていたい感じです。だから冬が好きなんです。
さて、昨日は時間割の話をしました。ちょっと付け加えます。まず、基本的に自分が設定した以上の時間で、勉強しないでいいよってことです。やりたくないことはやらないでください。やりたくなったら
学校の学校⑷ 自由になるための不自由としての時間割作り
こんばんは。4日前に開校した学校の学校の校長の吉田カンゾーです。
昨日は、「人権侵害である1週間以内が期限の宿題に対抗する方法」をみんなに教えました。ハッシュタグをごちょごちょつけてみたせいでしょうか、少なくとも4人の方に読んでもらえたようです。流れ始めたのかもしれません。
さて今日は、「自由になるための不自由」というお話をします。なんだかわかりにくいですね。レトリックを使っています。よくな
学校の学校⑶ 「1週間以内が期限の宿題」という人権侵害への対策
「学校行きたくない」というハッシュタグを見かけます。で、私は「行きたくない」って言えること・そう思っている人とSNSではあれ「繋がれる」ことや「行かなくていいよ」と言ってもらえる状況になっているのは、望ましいことではあると思います。「行かなくてはいけない」わけではないし、今通っている学校を卒業しなくてもいいと思います。でも、「できるなら学校に行った方がいい」と思います。あるいは、学校側の立場の人
もっとみる学校の学校⑵ 「どうすることが一番気持ちいいかな?」と自分の身体に問いかけること
おはようございます。
学校の学校の吉田カンゾーです。坂口恭平先生のお金の学校の卒業生です。このたび学校の学校という学校についての学校を開校しました。昨日登校した学校の学校⑴、だれも読んでいません。流れていません笑。でもいいです。とりあえず書いてみます。
昨日は「あなた自身が一番大事」という学校では教わらないことの話をしました。学校で教わらないことは「あなた自身が一番大事」ということだと話をし
学校の学校⑴ 「あなた自身が一番大事」
こんばんは。
坂口恭平先生の「お金の学校1」の卒業生の吉田カンゾーです。卒業したので、さっそく独立・開校を行うことにしました。開校する学校は学校の学校です。なんだかわかりませんね、「学校の学校」という学校を開校します。
学校の学校は学校についての学校です。なぜ私吉田カンゾーが学校についての学校を開校するかというと、私自身学校の先生で学校で教えてきたからです。でももう辞めました。その話はいずれ