ネコ

無理ないペースで文章あげていきたいと思っています。 よろしくお願いします!

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最近の記事

詩「ハイライト」

近所のコンビニ 身に付けた常識 昼は明るく 夜は死にたく 今日も今日とて僕はピエロ そんな日々にアイツはイエロー 洗い立てのキャミソール 代わりに買ったメンソール 「やっぱりこれだ」と言う君に 照れ臭いけど愛を誓うんだ

    • 詩「25の夜」

      ミギへナラエ、ヒダリへナラエ そんなありきたりな常套句 とってつけて並べただけで 僕らの世代じゃ当たり前のこと コブシヲフラズ、コエモアゲズ ただただ僕達は誰かが傷つくのを眺めてるだけ バイクどころかチャリで走り出す勇気もない 火炎瓶を投げ捨てる器量などさらさらない ただただ僕達はことばで人を殺せるようになってしまった この幼さからの卒業

      • 詩「海と酒」

        アルコールの海で溺れたいや ラブなんてロンリー 諸行無常の論理 君の言う通り この世界は孤独だ アンコールの果てで踊りたいや

        • 詩「二十五.二十四」

          夢ならきっと叶うから 平気な顔してウソつくあんた あーなんだかアホらしい 真夜中、白ハイエースとDTM 努力なんて言葉 飲み込むフリして吐いて捨てた 君ならきっと出来るから 対したことないしがない旦那 あーなんだかアホらしい 真夜中、ポールダンスとBGM 孤独なんて言葉 飲み込むフリして吐いて撒いた あーなんだかアホらしい

        詩「ハイライト」

          詩「cloudy」

          せねばをしたいに変えた時 僕の心に何が残るの? 想いを死体に変えた時 そんなことして何が変わるの? 月夜も照らさぬ果ての底 今日もこの街は四輪と孤独が駆け巡る 張り合いの果て くたびれるまで 日々のひび割れ 胸の痛み  ありのままで ありふれたまれ 君の片割れ 日々のしこり 夜の散歩 君と喋ろう たわいもないこと垂れ流そう

          詩「cloudy」

          詩「胸焼け」

          地獄の底のありふれた日々 あの日あんなことなければと 去れど追えども虚無の日々 刺せど刺せども血の気の落ちぬペティナイフ もし何もすべてこのまま ありのままでいられたら 気の抜けた戯言よ 待てど暮らせど孤独よ癒えぬダッチワイフ 処女作も捨ててばらばら 果ての底へ逃げれたら 気が腫れた化物よ

          詩「胸焼け」

          詩「散歩」

          サーチライトの灯の下で 集まりこびつく虫ケラよ 希望を求め 期待を集め ただ黙々と そこへ集えど 残暑のぬるみ 空虚なわたし ぽっかりくっきり爛れた痛み 血反吐纏う程の呪いを 涙垂れる程の想いを 切り落としてきた思い出も 心で殺した糞共も 潰して丸めて丸ごとそのまま 心の隙間に埋められたらな

          詩「散歩」

          文章を書くということ

          久々に文章を書いたような気がする。 久々といっても確か二日ぶりだろうし、一か月前ならよく目にするような状況だったとは思う。だが、この状況に違和感を感じるということは毎日noteの効果と継続性を表しているということになるだろう。 なんで私は言葉を書いていたいと思うようになったのだろう。 気付いたら文章をスマホでポチポチと打ち込み、noteに挙げるといった新たな取り組みもいつの間にか生活の一部分へと浸透してきている。 これだけ続くということは文章を見ることも書くことも嫌い

          文章を書くということ

          言葉を浴びて、吐き出して

          今日も沢山の本を読んだ。やはり本を読むことは楽しいなと感じるし、何より無心になることができ、その間は嫌なことをぐるぐると蘇らせることがないことが多いからだ。 昔からある特定の物事に対しては極端に集中することが多かった。 自分にとって一つの代表例がマンガだと思う。 精神的に参った時にいつもそばにあったのがマンガだったかのように思う。中学生の頃、イケてないどころか変わったところが多すぎて生きている価値なんぞないと感じてしまっていた。 そんな頃に休みの日に何度も何度も読み返

          言葉を浴びて、吐き出して

          朝にコーヒー豆を挽く

          コーヒーを365日毎日飲み続けている。 朝起きて朝食の用意をする。大体がパンで済ませるので、食パンをトースターで軽く焼いているうちにコーヒーミルで豆を挽く。最近はこの時間が大好きだ。こんな日々をしばらく続けていたい。 Twitterみたいになってしまった。だがそれでいい。続けることが大事なのだから。

          朝にコーヒー豆を挽く

          煮え切らないまま、ありのまま

          はっきりと相手に物事を伝えることが苦手だ。 色々なことをぐるぐると考えすぎてしまう。ある意味リスクマネジメントは出来ているのかもしれないが、色んなことに目が行き過ぎて身動きが取れなくなってしまっているのかもしれないと思った。 仕事に対してもそうだし、自分の内面に対してもそうだ。仕事だとスピード感のある人からは煮え切らない態度と感じられ、内心イライラされているのではと感じることもある。そして自身の内面についてもあーだこーだと理屈を並べ、本当はやりたいことであったはずなのにや

          煮え切らないまま、ありのまま

          バンドやりたい

          バンドがしたい。昔から音を鳴らすあの空間が大好きだ。かといって演奏スキルを兼ね備えている訳ではないので、昔は大ボラを吹くかのように『ミュージジャンになりたい』と心の中で自身にいい聞かせていたが、弱冠24歳。未だに音楽という形で金銭が入ってきたことは一度もない。 最近演劇をやってみたいと改めて思った。学生時代演劇部に数合わせで入部し、色々あって辞めた。だけど自意識過剰が強かったせいでやめただけで、演劇には未だに興味を持ち続けている。 先日、劇団の稽古を見学しに行った。本気で

          バンドやりたい

          詩『ただただ』

          ただただただただ好きなもの ただただただただ続けたいだけ このままそのまま成し遂げなくても 明日もだらだら遊びたいだけ ただただそれだけ

          詩『ただただ』

          『本を読む』という冒険

          本屋という空間をこよなく愛している。 小学生の中学年ぐらいまではマンガぐらいしか読んだことがなかった。 時間があれば友達の家に行ってドュエマかスマブラをするか、野球かサッカーの練習をするか近所の草っ原を走り回っているようなどの地域を見渡しても腐るほどいるスポーツ少年そのままだった。 ちょうど同じぐらいの時期から学校という空間に居心地の悪さを感じるようになった。そして『自分』というものに価値を感じられなくなってしまった。  相手の気持ちが分からない。何故か知らないが相手

          『本を読む』という冒険

          料理も創造

          久々に料理をした。そして初めて青椒肉絲を作った。 自分で言うのもあれだが、比較的自分は料理が得意だ。元料理人の友人がいて、何回か手料理を振る舞ったが、めちゃくちゃ褒めてもらえる。そうやってポジティブな行動強化によって料理に対して楽しいという自己イメージを持ち合わせている。 そして料理をしている時間は集中できるので嫌なことも忘れることができる。自分にとって大事なストレス発散方法だ。 たけのこのシャキシャキ感、ピーマンの食べ応え、そしてあえて牛肉ではなく豚肉で作ってみたが、柔

          料理も創造

          すぐにクタクタになるのだ。

          頭の容量が小さいように感じる。 要領がいい訳でもないが、頭の「容量」の方が問題あるように感じる。すぐに疲れてしまうし、疲れている時は死んだ魚の様な目をしていると思う。 体力には比較的自信がある。運動能力が高いという訳ではないが、幼少期は勉強なんかより動き回っている方が楽しいと思っているような子どもだったし、小中と野球をしてきたので人並みに運動に取り組んできた。その上で生活の中で生じる最低限の力仕事は完遂することができるはずだ。 しかし、心の不器用さは否めない。ぶつかって

          すぐにクタクタになるのだ。