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修身教授録1日1講

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毎日1講読んで、簡潔なまとめと自分の思いをつづってます。3日坊主を克服して学びの習慣を付けるために。
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2021年2月の記事一覧

修身教授録<Ⅰ>第26講 仕事の処理

人間の生活は仕事の連続である。
優れた人ほど仕事が多いので強く感じているはず。
真の修養とはある意味この仕事の処理に中心があると言えるほど。
少しも仕事をためないで当面の仕事を次々と処理していく。
結局この点を離れると真の修養は積めない。
そのためには「とにかく手をつける」こと。
最初から100点を目指すのではなくまず80点でというつもりで。

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修身教授録<Ⅰ>第25講 質問

森先生「今日は皆様からの質問にお答えします」
・私は小学生の教育に頼りない気がする
 →小学生の方が純粋で影響力の点では非常に大事。
・禅宗の本を教えてほしい
・万葉集に関する本を教えてほしい
・歌に関して何から始めたらいいか
・小説を教えてほしい
・新聞広告にある書籍はどうか

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正直な所、学生の質問のレ

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修身教授録<Ⅰ> 解題

寺田清一という方が執筆されている、後書き解説のような項です。
本著書を読み進める前に読むべき項とお薦めをいただいたので、読み進めている途中ですが読んでみました。

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森先生の「人と思想」の源流がこの『修身教授録』
学生に口述筆

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修身教授録<Ⅰ>第24講 性欲の問題

性欲は人間にとって最も貴重なものでおろそかにはできない。
性欲が強い人間でないと偉大にはなれない。
旺盛な性欲をいかに律するかという所に人間の力が現れてくる。
精液は生命のエッセンスで、漏らすと生理的生命を損なう。

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この講

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修身教授録<Ⅰ>第22講・第23講 鍛錬道

加藤先生が三宅先生という方に鍛えられた話。
高等師範時代に三宅先生に見いだされ、漢文の厳しい鍛錬を受ける。
卒業後も週4で夜に習いに行き、12時を過ぎるまでマンツーマンで鍛錬される。
そのうち残りの週3もちょいちょい来られるようになった。
三宅先生は4万冊という膨大な本がどこにしまってあるか全て把握している。

昔の師弟関係はこのように厳しく、またこうでないと凡人は真の人間にはなれないが、現在の学

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修身教授録<Ⅰ>第21講 血・育ち・教え

血・育ち・教え(遺伝・躾・修養)は人間の三大要素。
特に血と育ちは根強い力を持ち、これらに根差した「人間のあく」はいくら修養を積んでもなかなか抜けない。
若いうちからそういうものと気づき懸命の覚悟で除いていく必要がある。
そのためには自分の血と育ちによる卑しさを客観的に見なければならない。
身近な気品ある言動に触れて自分と比べることで卑しさが見えてくる。
しかしその気付きは教えの光によって照らされ

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修身教授録<Ⅰ>第20講 雑話

書物は義務意識で読んだのでは理解できない。
真の修養とは人間的威力を鍛錬すること。
そのためには読書と実行がかみ合わなければならない。
人生ほんとうの花が咲くのは40くらい。実を結ぶのは60くらい。人生の勝敗は死ぬ時に決する。偉人になると実が結ぶのは死んでから。
真に書物を読むことを知らない人には真の力は出ない。
偉い人を真に知るとは、現在の国における位置を知るのみでなく、歴史的位置を知ること。

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修身教授録<Ⅰ>第19講 末文

人間の知恵=自分んで自分の問題に気付いて自ら解決すること
そうやって克服することで自己を形づくる支柱となり力となる。
学校でこういう教育はできないので、学校での教育を基礎としてその上に各人が学びと経験を積んでいかなければならない。

人間が真の自覚を発するのは人生を半分くらい生きた頃から。

漫画本は良くない。知を開くことが早いと人間が平べったくなる。

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修身教授録<Ⅰ>第19講 松陰先生の片鱗

松陰先生は厳しいイメージがあるが実はとても優しい。
本当に偉大な人は門弟に声を荒げて叱るようなことはしない。
声を荒げる時点で貫禄がないし、叱らなくても偉大な人には心服する。
偉大な人は門弟を共に歩む求道者と認識しているので、見下さない。
そもそも、偉くなるほど自分が愚かだと知り他人の真価が分かってくる。
「至剛̪而至柔」真に強くあろうと思えば真に優しくあるべし。

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修身教授録<Ⅰ>第18講 人を植える道

教育とは木を一本ずつ植えていくようなものであり、教師本人が亡くなっても植えた木が自ら成長していくように育てるべきもの。
一斉教授である学校教育のみでは人を植えることはできない。
その場限りの教育は幼稚園児の相手をしているのと何ら変わりはない。
そんな教師のまま退職すると後には荒野しかなく虚しさしかない。
そうならないためには、有志の青年たちの読書会を設けること。
そこから育った人材が世に出ることで

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修身教授録<Ⅰ>第17講 一道をひらく者(2)

一道を開くということは、自分自身を救うだけでなく同じ職域にいる他の人々の道も照らさなければならない。
真の偉大者は偉大な信念の所有者であり、その言葉は門弟子によって死後に残される。
私(森先生)自身も人生半ばにしてようやくそうした一道を開くことに人生意義を見出したが、若い諸君は同じ轍を踏まないよう志を立ててほしい。

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修身教授録<Ⅰ>第16講 一道をひらく者(1)

教育者は2、30年先の国家を常に思い浮かべていなければならない。
一個人は国家から見れば微小ではあるが同時に代えがたい存在である。
明治以降、国民教育の分野で若者の心を動かすほどの巨人が現れない。

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経済分野においては将来を

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修身教授録<Ⅰ>第15講 諸君らの将来

年と共に忙しくなる。
受動的な忙しさから、自ら主体的に学ぶ必要が生じる。
今学んでいなければ、将来もっと若いうちに学んでおくべきだったと後悔することになる。
自ら心から必要と感じて行う読書だからこそ真の学びを得られる。
研究発表だとか講演だとかに迫られて読むようでは得るものは少ない。

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修身教授録<Ⅰ>第14講 真実の生活

人間というものは現在の位置より一段上にいたいと思うもの。
それ自体は向上心の表れとして結構なことだが、それに囚われず一つ所に留まって、掘り進めることが大事。
上を目指せばキリがなく、また国民全員が上を目指せば下で頑張るべき人がいなくなり社会が回らなくなる。
上を目指すなということではないが、下の立場であっても嘆いたり自暴自棄になるのではなく、それぞれの立場で力を尽くすこと。

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