修身教授録<Ⅰ>第19講 松陰先生の片鱗

松陰先生は厳しいイメージがあるが実はとても優しい。
本当に偉大な人は門弟に声を荒げて叱るようなことはしない。
声を荒げる時点で貫禄がないし、叱らなくても偉大な人には心服する。
偉大な人は門弟を共に歩む求道者と認識しているので、見下さない。
そもそも、偉くなるほど自分が愚かだと知り他人の真価が分かってくる。
「至剛̪而至柔」真に強くあろうと思えば真に優しくあるべし。

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前講の下学雑話に「愛する弟子には最も厳しく」という趣旨の言葉がありました。この講を読んで、その心はそれは上から言葉の圧で言うことを聞かせるのではなく、同じ求道者として数歩先を進んでるだけと認識し、妥協は許さず態度で示すことだと解釈しました。

これは教育者のみならず、組織の上に立つ人や親にも同じことが言えるのかと思います。しかし自分は全く偉大ではなく態度だけで人を心服させるような業は持ち合わせていません。時には叱るという手法を取らざるを得ないかもしれませんが、せめてその時の意識として、上からではなく同じ求道者という意識を持って最大限相手のことを思って行いたいです。

P.S.
この講には本題の後森先生の考えが何点かありましたが、どれも重要そうなので明日はそれだけをじっくり読んで読後感とします。

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