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【お手紙公開】教師が教え子から贈り物をもらうのは良いのか悪いのか的な話

2024年になりました。
超AI時代の幕開け1発目に相応しからぬ生っぽい記事?(笑)を綴ります。

2023年の年末は熱を出して寝ていたので、実家の帰省とお掃除は2024年になってからやりました。

…実家で大掃除すると、毎年必ず懐かしい掘り出し物が出てきてお掃除の手が止まってしまうのは、一体なぜなんでしょう?(笑)

化石が出てきたww

で、お掃除しながら掘り出し物を漁りつつ(ちゃんと掃除やれw)「他にも何か無いかなー」と、ふと本棚の奥の隙間を覗いてみると、何かがはみ出ている…

ソガ氏
(ん?あの奥にあるの、なんだろう?)

あまり記憶に無い、見慣れない紙の切れっ端が顔を覗かせていました。手を伸ばして、紙の切れっ端を掴みます。だいぶ劣化しているでしょうから、そーっと丁寧に外に引っ張り出してみました。

紙の正体。
それは…

(    )の文がなんともトキメキ…✨

なんと…
もう相当な時を経て劣化はしていますが、なんとも可愛らしい便箋なのはすぐわかります。

亜紀…?はて…

裏面の名前…
はて…教え子の記憶にはない名前のような(汗)

これはソガ氏的には由々しき問題なのです。
まさか、教え子を忘れた…⁈
おいおい、そんなダメな歳のとり方しちゃったの?

そんな…
じゃあこの手紙って教え子以外の誰かからもらったの?そもそも教え子以外って誰よ?ていうかなんの手紙もらってんのよ?


【手紙の中身】

記憶を確かめたく、恐る恐る手紙を開けます。
そこには何が書いてあるのか?

この1枚目の文章を読んで、一気に記憶が蘇りました。まだ大学生の僕が某大手予備校でチューターをやっていた頃、よくお話しに来ていた高校生が何人かいました。その中でも特によく来て、たわいない雑談もしたり、まあまあ真面目な進路相談も受けたりしていた高校生。それが亜紀ちゃんだったのです。

受験生の頃、大学受験予備校のチューターに憧れて、めちゃくちゃやりたかったチューターの仕事ができて…。今思うとこの頃は、チューターという仕事そのものに憧れと目的を持っていました。故に、或いは仕事の性質上、「教え子」という感覚は無かったのかもしれません。

ちなみにチューターに熱狂していたことを紹介している過去記事がこちら。

亜紀ちゃん、記憶を呼び戻してみると社交的でよく喋る子だったよなー、と。そして本人が手紙で書いている通りワガママ?というか、確かに自分のタイミングで作文添削とか人生相談をボン!っと待ってくる。その記憶が鮮明に蘇りましたww

…お兄様って呼ばれてたの?😂
それにしても手紙の保管状態が良き・・・

どうやらこの時「スーツに合う何か」をもらったようなのです。亜紀ちゃんが書いている通り、スタッフが生徒から何かモノをもらってはいけないはずなのに…。

ある意味美しいストーリーですね✨
…が、何をもらったかはまったく思い出せませんでした😂

【贈り物の真価】

今見返してみると、手紙に書いてある内容自体は、特別なことはない普通の挨拶みたいな感じですよね。でも当時の僕にとっては、この普通の手紙がたまらなく嬉しかったのだと思います。そしてどうしても忘れたくない思い出だからこそ、この手紙だけは無くさないように本棚の奥にしまったのでしょう。

長い長い時を経て、2024年の新年早々に亜紀ちゃんの思い出との再会を果たしたわけです✨

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民間教育業界ではよく語られるであろう「教え子や保護者からプレゼント(贈り物)をもらってはいけません」というトピック。おそらく他のサービス業全般でも「顧客からの贈り物は是か非か?」みたいな話題ってありそうですよね🤔

僕がエリアマネージャー時代に、教室責任者(校舎長)に、この手の話題について意見を求められた時に言っていたことが一つだけあります。

いなり寿司を持ってきてもらえるような教室を創れたら一人前

これでした。
(いや、賛否の意見ちゃうんかい!と😂)

プレゼントをもらって良いのか悪いのか?という単純な話にはあまり興味はありませんでした。
ただ、純粋に感謝の気持ちというか何かこう、いただいているお月謝以上の価値を感じてくれたからなのか、生徒や保護者の方々の感謝の想いが垣間見えた時にすごく気持ちが暖かくなる。感謝すべきはこちらの方だからこそ、より一層に・・・♨️

「気持ちが見えることが大切」だからなのか、贈り物って高価なものとか稀少なものだから良いとも思いにくい。
色々考えて選んで買ってきてくれたものも嬉しいけど、手作りのものって気持ちが伝わりやすくもあり。それはそのご家庭で普通に食べられているようなありふれたものとかの方が、より心に響くわけです。

その家庭の、日常の温度をそのままお裾分けされているような感覚が、心の距離の縮まりを感じられて。

互いの心が感じ取れて、互いに心理的に安全な場で学び合える。それって学ぶ環境の前提条件として素敵よね、と。

その象徴として、僕はよく「いなり寿司」という表現を使っていたのです。

当たり前ですが、贈り物は目的ではありません。
なんなら話題にならないのが普通のこと。
話題にならないはずのものが、例えばある家庭の夕ご飯どきに「今度先生にもこれ、持っていってあげようか?」と団欒のワンシーンにひょこっと顔を出す。

そんなストーリーは何にも替え難く大切だったよなぁ・・・と、昔を懐かしく振り返ったのでした✨


【時代は「生っぽさ」へ回帰する?】

さて、冒頭にも書いた通り時は超AI時代。
あらゆる知能が集合し、ほとんどすべてのことは苦もなく出来てしまう。知識と技術で困らない。語られ始めて久しいシンギュラリティは、もう始まっているわけです。

まあ日本は同質性も強いから、あんまりシンギュラリティの脅威に晒されない…けど、諸外国の影響を受けやすい日本ですから、諸外国の激変っぷりから、間接的にですがすぐ明らかな変化に気づくかもしれません。

そんな時に生存戦略っぽい文脈で必ず出る議論。それが、

「人間にしかできないことってなんだろう?」

みたいなやつで、大体その着地点にあるのが

「想像力/創造力が人類の最後のフロンティアだ!」

みたいな感じ?
間違っていないけど、この問い自体抽象度が高すぎるし、その答えがもうクリエイティブではないのですよね😂

僕が思うに・・・

・文字や文を見るだけで(読むだけで)なんだか落ち着く
・声や音を聞くだけで記憶が揺さぶられる
・色とか匂いだけでなんだか色々思い出しちゃう
・10年ぶりなのに昨日みたい

こういう、僕の言葉で言うところの「生っぽさ」が、本当のクリエイティブの種であり、超AI時代に輝きを増すんだろうなって思う自分らしさなのです。だからあまり明確に定義できないし、定義する必要もないのかも。

そして自分らしさは空気や風、水の如し…
2024年の時代観ぽいですね✨


この文章を読んでくださった皆様の2024年が素敵な1年となりますように✨

「一期一会」は自分自身に向き合う時にこそ大切な言葉

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