吉村 元輝 (Yoshimura Genki)

みんなのかかりつけ訪問看護ステーション有松所長/緩和ケア認定看護師9年目 大学病院で1…

吉村 元輝 (Yoshimura Genki)

みんなのかかりつけ訪問看護ステーション有松所長/緩和ケア認定看護師9年目 大学病院で13年勤務し、訪問看護へ。 在宅終末期ケア、在宅看取りに力を入れています。 もっと多くの人が緩和ケアに興味を持ってほしい。そんな思いで始めました。 日々の学びや気づきを投稿します。

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緩和ケア認定看護師がnoteを始めた理由

「緩和ケアってイメージが悪いから働きたいと思わない」 「緩和ケア病棟で働いてるけど、やりがいがわからない」 緩和ケア認定看護師の僕には、多くの医療者からこんな声を聞きます。 僕は緩和ケアはとてもやりがいのある、魅力的な分野だと思っています。 そこで僕は、2つの目的でnoteを始めることにしました。 ・緩和ケアに関わる人を増やしたい ・緩和ケアに関わる人のモチベーションをあげるお手伝いがしたい 緩和ケア病棟は、主に余命を宣告された患者さんが入院する場所です。 身体

    • 残された時間の重さ

      人の命にはいつか終わりが訪れます。この世に生まれた瞬間から、私たちに残された時間は限られています。 そんなことは誰でも知っていること。ではその残された時間の重さは、誰にとっても同じなのでしょうか。 健康的に過ごす若い人と、末期がんの終末期の人は、残された時間を同じような重さでとらえるのでしょうか。 末期がん患者さんの夜中の願い僕が緩和ケア病棟で働いていたときのエピソードをご紹介します。その日は僕は夜勤でした。 夜中2時過ぎ、ナースコールで呼ばれて患者さんの部屋にいきま

      • 笑顔で、楽しく、笑ってバイバイ

        緩和ケア病棟で最期を迎えた、ある患者さんの話です。 僕は看護師として、何度も生き死について話し合ってきました。 その方は、症状の進行とともに徐々に動けなくなり、ほぼ寝たきりの状態になっていました。 ある日、ベッドから天井を見たまま、彼は言います。 「笑顔で、楽しく、笑ってバイバイするんだもんな…」 自分の人生に。 自分の大切な人に。 自分の命に。 笑顔で、楽しく、笑ってバイバイしたい。 誰かに伝えるのではなく、まるで自分に言い聞かせているようでした。 彼は命の終

        • 患者さんの気がかりを感じ取るチカラ

          その日は突然の豪雨でした。 病棟の窓から外を見ると、大きな音とともに雨が絶え間なく降っています。 夜勤をしていた僕は、夜中にナースコールで呼ばれ、入院していたSさんの部屋に行きました。 「体がだるいの……」 Sさんは気圧によって体調が変わるそうで、天気がくずれると痛みやだるさがあらわれます。 つらさを和らげるため、薬を投与。そのままそばにいることにしました。 だるさは大雨の影響もあるかもしれないですね、と伝えます。 「そうか、大雨なんだね。早くあがるといいけど…

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        緩和ケア認定看護師がnoteを始めた理由

          何かを「する」より、そこに「いる」ことの大切さ

          目の前に苦しむ人、悩む人がいるとき、僕たちはどんなことをすればよいのでしょうか。 つい「何かをしなければ」と考える人もいるでしょう。 ただし目の前にいるその人は、本当に何かをしてほしいと思っているのでしょうか。 人によっては、何かをしてもらうことではなく、誰かに側にいてもらうことが必要なことがあります。 僕が看護学生さんの実習指導をしていたときのこと。 グループの中の学生さんが、終末期の患者さんを担当していました。 その患者さんは、若い子と関わることが大好きで、担

          何かを「する」より、そこに「いる」ことの大切さ

          善い死とは人生を生き切ること

          誰かが亡くなったときに、時々耳にする「善い死に方」という言葉。 善い死、とはなんでしょうか。 死に"善い"や"悪い"があるのでしょうか。 僕は緩和ケア認定看護師として、今まで多くの方の死に関わってきました。 その中で僕が考えたことは、死の瞬間だけを切り取って評価できないということ。 死の瞬間だけをみて「善い死だった」とはいえない、ということです。 僕たちは、亡くなった人に死の瞬間がどうだったか聞くことができません。 死を迎えた人に死の評価を聞けない。 だからこそ

          善い死とは人生を生き切ること

          卒業式

          自分も6年間通った小学校を三男が卒業 僕自身の入学式は雨だった。 3/19…この日が晴天で何より 感動の「卒業生別れの言葉」 でも、一番は無事に卒業をむかえてくれた こんなコロナ禍で 元気に学校に行ってくれた この経験が必ず将来の糧に… 桜は一年のこの時期にしか咲かないから 儚いからこその美しさ 人の命も長い歴史の中では儚いもの 人の人生の四季 僕の人生は秋を迎えているんだろうな 秋になり大学院修士課程を修了できた 共に卒業を迎えられたことに感謝です

          緩和ケアの現場は人生の学校

          「治療ができなくなった最後の手段」 「あとは死を待つだけ」 少しずつ認知されてきた緩和ケアですが、今でもこのように言われることがあります。 医療者の中にも、緩和ケアに対してネガティブなイメージを持つ人もまだまだいらっしゃいます。 僕の経験上では、緩和ケアをネガティブに考える人のほとんどは、緩和ケアそのものをあまり知らずに誤解されているようです。 僕は緩和ケア認定看護師として、多くの方の最期の瞬間に関わってきました。 もちろんつらく悲しいことはありますが、緩和ケアで

          緩和ケアの現場は人生の学校

          命は太陽の光のように

          緩和ケアの認定看護師をしている僕は、今まで多くの方の最期の瞬間に立ち会ってきました。 涙を流して声をかけ続けるご家族のそばで、だまって一緒に看取りをすることも珍しくありません。 この場面で僕がよく思い出す言葉があります。 「人の命は太陽の光に似ている」 これは僕が認定看護師になるための学校で、先生が教えてくれた言葉です。 太陽が登る時、実際に姿をあらわす少し前からあたりを照らしていきます。 それは生命の誕生を待つ時に、みんなの心が明るくなるように。 地球を照らした

          命は太陽の光のように

          遺された僕たちが受け取るもの

          ある患者さんが最期を迎える時のこと。 僕はご家族と一緒に、患者さんが旅立つ瞬間を見届けました。 「もうどうしようもないんですよね……」 「ほら、息をして、息をして」 患者さんのそばで、ご家族は話されます。 人はこんなに悲しまれ、惜しまれ、尊ばれて旅立つことができる。 人は死の瞬間まで聴覚は残されているといいます。 僕はご家族の言葉が、ちゃんと患者さんの耳に届いていることを伝えました。 「そうですよね……きっと聞いていますよね……」 ご家族は患者さんを囲みながら、

          遺された僕たちが受け取るもの

          そして次の世代へ。僕たちが受け継ぐ「生」の大切さ

          看護師である僕が、いつもがん患者さんから学ばせてもらっていること。 それは生きることに対する難しい理論や理屈ではなく、その人がどう生き、何に一生懸命になり、何を大切にして、何に感動したかということ。 人がいつか迎える、老い、病気、死… 誰にでも訪れるのに、誰もが「まだ大丈夫」だと思っているかもしれません。 普段の生活から隔離された病院内では、病気や死はまるで特別な出来事のようです。 いつでも僕たちのとなりにあるのに。 患者さんの生き様は、そのまま僕に「生きるとは何なのか

          そして次の世代へ。僕たちが受け継ぐ「生」の大切さ

          生き方を見つめ直す時

          「私の人生は今後発展することがないことは自分でも分かってる。だから私は、残り少しの時間を苦しまず自然に逝きたい」 ある患者さんが私にポツリと話してくれたこと。 自分が人生で頑張ってきたこと、大切にしてきたことができなくなる。それは生きがいや生きる希望の喪失というスピリチュアルペインとして、大きな苦しみとなります。 普段生活していて自分の生きがいに気づいている人はどれ位いるんでしょう。 がん患者さんはよく、病気になって自分の生き方を見つめ直すと言います。 がんになって

          生き方を見つめ直す時

          最期の時に医療者としてできること

          緩和ケア病棟で働くある日、若い男性をお見送りしました。 その男性の父親は亡くなっていて、母親と親戚に見守られながらそのときを迎えました。 「もうすぐお別れだね…」 「やっと楽になれるね…」 「今まで本当に頑張ってくれました…」 「本当にありがとう…」 たくさんの言葉と涙に囲まれながらの旅立ちでした。 「…お父さんに…会ってるかな」 我が子を見送ること。 母として、見送る立場になるなんて想像もしなかった。 我が子の旅立ちはできることなら天国で迎えたかった。 そんな魂の

          最期の時に医療者としてできること