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残された時間の重さ

人の命にはいつか終わりが訪れます。この世に生まれた瞬間から、私たちに残された時間は限られています。

そんなことは誰でも知っていること。ではその残された時間の重さは、誰にとっても同じなのでしょうか。

健康的に過ごす若い人と、末期がんの終末期の人は、残された時間を同じような重さでとらえるのでしょうか。

末期がん患者さんの夜中の願い

僕が緩和ケア病棟で働いていたときのエピソードをご紹介します。その日は僕は夜勤でした。

夜中2時過ぎ、ナースコールで呼ばれて患者さんの部屋にいきました。その患者さんは、私に「座らせてほしい」といいました。だるさや筋力低下のため、自分では身体を支えられず介助が必要です。

彼女のお願いを聞いて、頭の中で(どうしよう?)と少し考えてしまいました。他の業務に遅れが出ないか、心配したのです。夜中でしたが、ナースコールが多く、別の病室には状態の悪い患者さんがいて、決して時間がある状態とはいえません。

彼女を介助して座ってもらうことはできる。でもその時間を使ってもよいのか?

僕の心配は顔に出ていて、彼女に伝わっていたのかもしれません。「お願いします。座りたいんです……支えてもらえますか」彼女はふりしぼるように声を出します。僕は彼女が座るお手伝いをすることにしました。

僕の介助でベッドに座った彼女は、お茶を2口飲みました。満足したのか、彼女は横になりたいと言います。背中を支えながら彼女の体をゆっくり倒し、寝る体制を整えます。

「迷惑かけてごめんね……」

彼女は申し訳なさそうに、小さな声で言いました。ここまで、わずか3分のことです。わずか3分の介助を「迷惑かけて」と感じさせてしまった自分に気づきました。

彼女の3分、僕の3分

当時の僕は30代前半。健康的な生活を送ることができ、病気の心配はありません。一方で、彼女は末期がんと診断され、余命数ヶ月と宣告されていました。僕と彼女が過ごす3分の重さは、同じなのでしょうか。

僕が80歳まで生きられるとしたら、何十万という時間が残されています。彼女には余命宣告されたとおり、おそらくわずかな時間しか残されていません。

もちろん時間の重さをどう捉えるか、単純には比べられないでしょう。彼女の3分と僕の3分が、どちらが重いのか、どちらが価値があるのか、誰にもわかりません。ただ少なくとも、最期の瞬間が近い彼女にとって、3分という時間はとても尊いものであったはずです。

相手の「今」に全力で応えること

僕は彼女のかけがえのない3分を、他の業務のために「惜しい」と思ってしまった。他の業務はほったらかしにしてもいい、ということではありません。看護師の仕事は、常に優先順位を考えて行動する必要があります。

でも彼女の「座りたい」という思いに、僕は全力で応えなければならなかった。緩和ケアに携わる者として、彼女が求めること、願いに、もっと耳を傾けなければならなかった。

僕たち医療者の行動は、患者さんのわずかな時間を輝かせるお手伝いができる一方で、わずかな時間を価値のないものに変えてしまうこともあります。

「僕たちに残された時間は限られている」

わかっているつもりでも、日々の忙しさに追われていつの間にか忘れてしまいます。彼女とのこの出来事は、時間は有限であることをいつも思い出させてくれます。僕は自分の時間を大切にしたい。でも目の前にいる相手の時間も大切にしたい。

彼女から学んだことを、今の訪問看護の現場で、ケアという形で利用者さんにお返ししています。利用者さんの限られた時間を、精一杯輝かせられるように。

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