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#36 あなわびし〜アナの一分(いちぶん)〜

今日は10年近く
思っていたことを
書いてみることにした。
うまく書けるかな?

スポーツ実況界隈に
「名?迷?実況」が蔓延る。


その一言に
感動とアスリートに対する敬意は宿っていたか?
その瞬間に絞り出された言葉だったか?

発する言葉の成分が
気になってしまうタチでして。



いつだったか
あるテレビ局は
フィギュアスケートシーズン前に
(実はバンクーバー五輪までのスケヲタ。平昌以降は知りません)

「名実況シリーズ」

なんて特集をしていた。
自画自賛の極み。

アスリートの姿とともに流れる
ポエミーなコメントに鳥肌。
こんな特集を恥ずかしげもなくしてしまう内輪ノリに唖然。

で、話をパリ五輪のスケボーに戻す。
このポエミーな実況は
某局の様式美・伝統になっているらしく
代々受け継がれ
オリンピックのスケボー競技で
ポエミー実況が炸裂している。

「メダルに恋した◯歳」
「◯歳、真夏の大冒険」

このコメントが
どうにも心地悪い。

昭和の畳の部屋の押入れの奥に束ねて積み上げてあるアイドル誌のコピーのようであり
選手を「愛でている」感。

事前の取材や競技についての下調べの積み重ねがあって、
それでも
なお
結局

年齢や
恋する◯歳
というワードチョイスになるのか
という謎。

選手を「女の子」として扱っている感。

そして
予め用意しておいた言葉にストーリーを当て嵌めてる感。

その言葉に
アスリートとしての姿勢や軌跡に対する敬意や共感は微塵もない感。

選手が実況するアナウンサーの発する言葉のパーツとして消費されている感。

…と個人的には思ったが、
  
SNS界隈で
賞賛の声がけっこうあるのに
ドン引いた。
新聞社まで絶賛してる…:(;゙゚'ω゚'):

いいんだ。
これを賞賛するんだ、今って…。:(;゙゚'ω゚'):

これはスケヲタ界隈では衝撃。
少なくとも私の周辺は不評だった。
単なるエコーチャンバーだったのか?


これは
もしや…
もしや…

私の感性が周回遅れ?

でもやっぱり言いたい。

それって誰のための仕事?
何の為の仕事? 

そして尋ねたい。

何が名実況なのですか?
何に感動しましたか?

個人的には

実況する者の

「名実況として、後世まで語り継がれたい
名場面として繰り返されたい」という功名心

で、コテコテのカチカチに塗り固められている言葉にしか聞こえない。

その傾向は、
今のスポーツ中継において(特にオリンピック)強化されているように感じる。

そんな時に
この文章に出会った。
…といってもかなり前。

テレビ朝日
森下桂吉アナウンサー。 

2006年
映画「武士の一分」公開に先駆けて
「アナの一分」をテーマにリレートーク。

それを言っちゃあ
おしまいよ

わかりやすさとか
キャッチーなコピーの陰で
ヒトの
感性の絨毛突起は
荒く
太く
剛毛化しているのか?

空気を読むことが最重要命題のはずの人々が
なぜか
間とか
行間から
何かを感じることは
自ら手放していく。

コスパが悪い
面倒な話なのかもしれない。


あなわびし。




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