スーパーでいつも商品と一緒に持って帰るもの

ずっと気になっている、というか
感激していることがある。

それは、近所の某スーパーの店員さんが
どの列に並んでも本当に気持ちがいいということだ。

どの時間帯でもどの列に並んでもいつも丁寧で、
忙しいはずなのにイライラした様子を感じたことがない。
慌ただしいスペースでの数分で世間話があったり、
コミュニケーションがあるというわけではない。
でも、なんだかここはみんなそうなんだな、という温度を感じる。

商品を機械に通したあと、最近のレジって
カード払い、現金、スマホ決済と画面を選ぶシーンが
セットだと思うんだけれど、自分で支払い方法を
選択するところまでちゃんと押せているかな?と
覗き込んで見守ってくれるアフターサポート付きで。

ここまでやってくれるなんて!!!みたいな
スペシャルな行動というよりかは
ちょっとした目くばせや温かみのあるタイミングでの
ポイントカードの確認だったり、
そういう些細なことを感じるのだ。

そして、そういう些細なことが
人にしっかり伝わるのだということも
持って帰っている。

ずっと観察しているわけではもちろんないのだけれど、
私が毎回心地よいということは、
きっと全員が全員に毎回同じ接客をしているんだと思う。

我が家では特に推しのレジさんもいて、
たまたまその列に並んでいて声が聞こえてくると
夫婦で顔を見合わせては心の中でハイタッチしている。

その輝く推しの何が魅力的かって、
とにかくはきはきしていてとてもいい意味で
機械化されていて、一生懸命なところがぐっとくる。
男性で、年齢はたぶん30代ぐらい。
同い年ぐらいの男性って照れが勝ってしまって
あんなにも大きな声でレジ打ちしている人を見たことがない。

アパレル勤務の爽やかな「いらっしゃいませ」は
馴染みがあるのだけれど、なんだか心を奪われたのは
女性のレジさんに対応してもらう経験が
多かったこともあったからかもしれない。

引っ越したてのころ、早々に虜になっていたのを
思い出した。
いつも元気をもらっていて、くすっと笑えるような
気持ちにさせてくれる。
思わぬ当たりを引いた感覚。

***

とめどなくお客さんが列をなすレジ世界で、
ずっと一定に大きな声や笑顔、しぐさを保って
いついっても気持ちがいいと思わせてくれるお店が
日常の一番身近なところにあって本当に幸せだ。

わかりやすい行動での思いやりや優しさも
とても嬉しい。
でも、想いが込められた行動に触れたときに
”私”と”初めましてのあなた”の中でしかわからないことが
優しさを通して意思疎通できるのはもっと感慨深い。

ずっとやりたいことがあって、
”お客様の声”にいつもありがとうの言葉を
伝えたいなと思っているのだけれど、
全然あのスペースを見つけられずにいる。

しょっちゅう行くのと、みなさんに向けた想いだから
なんとなく気づかれたくなくて場所も聞けずにいる。
ほら、ちょっとしたサプライズ感覚でやりたいし。。

毎日疲れて帰ってきても、
例えそれがお仕事だとしても
丁寧さに触れた私の心は浄化されて
帰宅までの足取りが軽くなる。

いつもありがとうございます。
お疲れ様です。
また明日も行きます。

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