唱え終えると夏がきていた。|詩「夏の観測席」
口に含めば、甘くあふれ出すきみの名前。
見つけてしまった。
幾度も口ずさみ、断ち切ることなく味わっていく。
それが合言葉のように、唱え終えると夏がきていた。
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夏の観測席
文月悠光
窓ぎわ 右の列の三番目 ひじかけつき
観測席はそこにある。
発車時刻を待つバスの中、
わたしは坂道の向こうを見すえ、待ち尽くす。
赤い指先で、スカートのすそを引っ張っている。
やがて銀色の自転車を引いて
きみが坂を下りてきた。
きみの隣であの子、
ひなげしみたいによくわらう。
ふたりのまとう空気が
窓越しにしっとりとたなびいてくる。
校庭の白線は息がくるしいほどまっすぐで、たどっていたら四月きみが駆けていった。砂まみれのその髪が跳ねるたび、わたしは根なし草のごとく揺れうごいた。だだっ広い校庭の、荒野のような一帯を、青い涙で覆い尽くしていきたい。
口に含めば、甘くあふれ出すきみの名前。
見つけてしまった。
幾度も口ずさみ、断ち切ることなく味わっていく。
それが合言葉のように、唱え終えると夏がきていた。
もてあますほどの甘さが
きみとわたしのあいだにあるということ、
覚えていてよ。
気がついたのは梅雨の頃。
放課後、まぎれもないこの席で
走っていないきみの姿を観測したのだ。
きみはぎこちなく、あの子に傘をさしかけて
一歩一歩、惜しむように歩いていた。
あの子はきみの頭に手をのばし、
砂を払って、凛とわらった。
車窓から見つめるほどに、
夏服のふたりの背中は白く冴えていった。
ひなげしのあの子を連れて
この夏、きみはどこへ発つ?
そこに観測席はあるのでしょうか。
バスはふわりと ふたりを追い越して
わたしを きみのいない夏休みへ連れていく。
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18歳で中原中也賞を受賞し、以降、活躍の場を広げ続ける詩人・文月悠光。初エッセイ『洗礼ダイアリー』も話題の詩人が、詩の舞台で放つのは、恋にまつわる26編の物語。
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