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風で膨らむスカートのように|詩「落花水」

   落花水
                 文月悠光

透明なストローを通して美術室に響く
〝スー、スー〟という私の呼吸音。
語りかけても返事がないのなら
こうして息で呼びかけてみよう。
画用紙の上の赤い色水は、かすかに身を震わせ、
あらぬ方向へ走りはじめる。
やがて、私の息の緒に触れてしまったように
つ、と立ち止まるのだ。
小指の爪にも満たない水彩絵の具は、水に溶け込み、
赤い濃淡で夕暮れをパレットに描きだしている。
その一片を筆でさらい、画用紙に落としては、
まっさらな肌が色を受けつけるまで
しばし頬をゆるめた。
ストローを動かしながら
気ままな水脈に再び息を吹き込んでみる。
私の青いシャツに赤い色水が跳ねて、まるくなった。

(彩る意味を見いだせないこのからだ。
「お前に色なんて似合わない」
そう告げている教室のドアを〝わかってる〟と引き裂いて、焼けつくような紅を求めた。古いパレットを、確かめるように開いてみるけれど、何度見てもそこには私しかいない。それは、雨の中でひっそりと服を脱ぐ少年の藍)

色に奪われた私の息吹が
画用紙の上で生き返る。
水となって吹きのびていく。
この水脈のたどりつく先が
誰かの渇いた左胸であれば、
私もまた、取り戻せるものがある。
取り戻すための入り口が、まぶたの裏に見えてくる。
「水になりたい!」
風に紛れて、雲をめざし駆けのぼる私。
白い雲の頂で手をつき、密やかにしゃがみこんだ。
あるとき、筆にさらわれて
ぽっと街へ落とされたなら、
風で膨らむスカートのように
私は咲いてみせよう。

ーー詩集『適切な世界の適切ならざる私』(ちくま文庫)より
https://www.amazon.co.jp/dp/4480437096

適切な世界の_書影_帯付

解説:町屋良平
帯 推薦コメント:綿矢りさ
装画:カシワイ
装丁:名久井直子

「だから/おりてこいよ、ことば。」「されば、私は学校帰りに/月までとばなくてはならない。」―学校と自室の往復を、まるで世界の淵を歩くようなスリリングな冒険として掴みとってみせた当時十代の詩人のパンチラインの数々は「現代詩」を現代の詩としてみずみずしく再生させた。中原中也賞と丸山豊記念現代詩賞に輝く傑作詩集が待望の文庫化!

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発売日 : 2020/11/12
ISBN-13 : 978-4480437099
文庫 : 158ページ
出版社 : 筑摩書房 (2020/11/12)

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▶︎目次(※一部。文庫版あとがき、町屋良平さんの解説が入ります)

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