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【日記】22歳の引越しについて

ドレッサーを解体した。

ドレッサーというのは化粧をしたり身嗜みを整えたりするための、洗面台のような家具のことである。

私の部屋のドレッサーに関しては、確か私が大学2年生の頃に、ネットショッピングで安く購入して、3日くらいかけてひいひい言いながら組み立てた覚えがある。

詰めの甘い19歳の私が組み立てたそれは半年ほどで既にバランスを崩し始め、その度に叩かれたり壁に立て掛けられたりしながら、なお凛として部屋の真ん中に鎮座していた。

高校生だった頃の私は殆ど地元から出たことがなく、地元のイオンにあるnico and...のことをまるで世界に一つしかない秘密基地のように思っていた。そんな田舎っ子だった私が受験しながら描いた未熟な夢のひとつが、niko and...みたいな部屋を作ることだった。

そうしてやっと持てた私の部屋には、緑のカーペットにダークブラウンの家具で揃えたジェネリックniko and...のような空間の中で、気まぐれに買ったドレッサーのみが真っ白に輝くこととなった。

さておき、そんな夢見る田舎の高校生だった私もついに就職が決まって、職場近くの部屋へと引越しの準備を始めた。ふと、私は早めにドレッサーを解体してしまおうと思い立った。

大学4年生にもなると、このドレッサーは引き出しの部分と鏡の部分がほぼ離れかけ、辛うじて曲がった蝶番が形を留めようと踏ん張っていた。クリスマスに酔っ払った友達が瀕死のドレッサーにぶつかってからは、さらに様子が酷かった。
大学での最後の行事である卒論発表会が終わって妙に心が軽くなった私は、その勢いで崩れかけたドレッサーを解体して、引越しまでの負担を減らそうと思った。

ドレッサーの解体は、案外すんなり終わった。組み立てるのには3日もかかったのに、解体にかかったのはたったの2時間ほどだった。
ものを取り壊すという作業は想像するよりもずっと秩序立っていて、手順通りに物事が進んでいく感覚は快感だった。釘をドライバーで1つずつ抜き、板を外していくと、
光を乱反射しながらアクリルの取っ手が地面に落ち、ドレッサーは平面に戻った。

そうしてふと視線を上げると、自分の部屋はやたら広く、そして簡素になっていた。最近急に暖かくなってきた陽射しは冷たいままの壁に降っていて、余りにもここは3月だった。

ドレッサーを失った部屋は、部屋としての輪郭を露わにしていた。そこは私の部屋ではなく、間取り図をそのまま具現化した、ひとつの物件だった。

そういえばと、私はようやく思い出した。
この部屋は、とても広かったのだ。
高校生の頃、未成年だった私は親と一緒にこの部屋の内見に訪れた。知らない土地のこの場所は、あまりに広く澄んでいて、まっさらだった。

この部屋は、ただフローリングの匂いをさせて、カーテンのない剥き出しの窓からよそよそしい繁華街を映していた。ニトリで買った机もカーペットも、大学から支給されたパソコンも全部、知らない色をして澄まして私を見ていた。

倒れかけたドレッサーも、最初は新品だった。

私がこの土地で得たものは全て、どこへも動かせず形のないものだった。ここが私の部屋になったのは、なにも新しい物を買い揃えたからではない。私自身がここに居続けることで少しずつ、周りと互い見慣れていったからだと思う。意味の無い板の塊は、いつの間にか思い出の一部になって、そして失っていくのだ。

私はようやく、引越すということの寂しさを見た。ただいまと帰ってきていたここは、私の部屋では無くなるのだ。

あくせくと新生活の頁を捲るうちに、いつの間にか最後の頁が来ていた。高校生の頃の自分が漠然と描いていた夢は全部叶えた。バンドも組んだしバイトもしたし、髪は染めたし友達と徹夜したし、海も見たし星も見た。

だって、私はいつか卒業するのだ。

願わくばずっと、なんて思ってみても変わらないものはなくて、変わらないうちに離れられることは幸運でもあるのかもしれない。
好きや嫌いなどという感情と違って、自分の肌の一部のように、私の生活はただこの街にあった。

匂いを忘れ、形を忘れ、感触を忘れるように、言葉のみが思い出として残って、私はその抜け殻を頭の隅に置き続ける。
戻ることができないから、諦め悪く自分の一部として語って、ここにいた自分を殺さないように、何度も思い返してみるのだ。

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