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ショートショート 『深夜の交番』

 その男が来たのは、深夜近い時刻だった。
 酒井巡査はちょうどトイレに入っていたところだった。手を洗いドアを開けると、デスクの前のパイプ椅子に男が座っていた。
「お待たせしました。どうかしましたか?」
 酒井は聞いた。
 寒さが厳しくなってきた頃で、男は厚手のコートを着ていた。荷物は薄いブリーフケースのみだ。
 駅から離れた場所にあるこの交番は、夜になると訪れる者が一気に減る。
 きちんとネクタイを締め髪を整えた40代くらいの男は、先の坂をのぼったところにある団地の住人のように見えた。毎朝、交番の前を通っていく数百人のサラリーマンたちの一人だ。会釈をするくらいはあっても、彼らが交番に立ち寄ることはあまりない。
「………ええ」
 男は少しぼんやりした様子で、酒井を見あげた。酔っているようには見えない。落とし物だろうか? 酒井は男の対面に座り、ボールペンを手にした。
「はい、どうぞ」
 男を促す。
「あの、質問がありまして」
 男は言った。
「道をお訊ねでしょうか?」
「いえ」
 男は首をふった。「あくまでも仮定の質問なんですが、良いでしょうか?」
「構いませんよ」
 少し緊張しながら酒井はうなずいた。警察学校を卒業し、この交番に着任して三年になるが、仮定の質問をされたことは始めてだった。まして深夜だ。巡回に出ている先輩の太田が早く戻れば良いのだが………。
「………もし宇宙人を殺してしまったら、自首すべきなんでしょうか?」
「殺したんですか?」
 聞き返し、酒井は後悔した。冗談を言っているのだ。見た目では分からないが、酔っているに違いない。
「仮定です、あくまで」
 男は言った。まっすぐに酒井を見る。笑みも酒の匂いもなかった。
 酒井は首をひねった。
「………私は法律の専門家ではありません。あくまで一般論ですが」
「構いません」
「日本の現行法では、その、………宇宙人は人として認められていないですよね、まだ」
「そうですね」
 男は素直にうなずいた。
「つまり、殺しても殺人罪に問われる可能性は低いということになるでしょうね」
 分かりました、と言った男が包丁を出して暴れだす図が頭をよぎった。しかし男は椅子に座ったまま、
「しかし………」
 眼鏡のブリッジを押し上げた。「宇宙人って、何でしょうね?」
「はい?」
「宇宙にいる人、まあヒューマノイドみたいなイメージですよね」
 男は言った。「となると、我々地球人だって宇宙人だと言える。そうじゃないですか?」
「集合の話になってしまいますが、そうなるでしょうね」
 酒井は言い、指先で宙に入れ子の円を描いてみせた。「大きなカテゴリとして宇宙人があり、その中に地球人がいることになる。逆の関係ではない」
 ………何で夜中にこんな話をしているんだろう?
「つまり殺人罪が適用されるのは、あくまで地球人を殺した場合に限ると?」
「まあ、そうなるでしょうね。地球レベルで考えなくても、国レベルでも殺人に対する取り扱いが違いますけどね」
「法律は絶対的なものではない。今、この国で宇宙人を殺しても、罪に問われる可能性は低い」
「おっしゃる通りです」
 酒井は言った。
「じゃあ」
 男が酒井を見た。奇妙な冷気が足元をよぎった。「本当に宇宙人を殺したのだとしても、お巡りさんに相談するのは間違っている?」
「殺したんですか?」
「かもしれません」
「いつ、どこでです?」
 酒井は頭をふった。「まず、なぜ相手が宇宙人だと分かったんですか?」
 宇宙人の与太はどうでも良い、この男は単純に人を殺したと言っているのかもしれない。嘘でなければ、それ以外の着地点はないはずだ。
「なぜ?」
 男は首をかしげた。「名乗ったからです」
「名乗った? どんな風に?」
「ワレワレハ、宇宙人デアル」
 男は言った。
「それは………」
 酒井は言った。「冗談だったんではないですか? 良くある」
 子供の頃に見ていた笑点で、木久蔵がやっていた。今は木久扇か?
「しかし名乗ったんですよ、そう」
 今ここに、人らしき者を殺したと本気で言っている男がいる。酒井は、厳重に保管されている拳銃が欲しくなった。
「どこです?」
 酒井は聞いた。「とにかく、あなたの殺した宇宙人を見てみましょう。もしかしたら殺したと思っているだけで、負傷したり気を失っているだけかもしれない。それなら対処は早いほうが良い」
「………そうですね。さすがお巡りさんだ」
 男は安心したように言った。「ついそこの、ひまわり公園です」
 2百メートルも離れていない児童公園だった。滑り台と砂場、ブランコがあり、ウィークデーには近隣の老人たちがゲートボールに興じている。
「行きましょう」
 酒井は立ち上がった。
 死体はもちろんあった。
 公園の街灯のあかりが届きにくい植え込みの陰に、それは横たわっていた。
「この寒さで頻尿気味でしてね」
 男が喋っていた。「公園のトイレで用を足して出たら、いたんですよ。出会い頭って言うんですが、こっちも驚いてですね、それで、つい突き飛ばすような格好になって………。最近、不審者が出たらしいじゃないですか? この辺も以前は住宅ばかりで何もなかったのに、あそこにコンビニができてから若い人や、ちょっとおかしな人が目につくようになってきましたよね。いや、私は若い人が皆、おかしいなんて言っているわけじゃあないんですよ。部下にだって若い人はたくさんいますし、彼らは真面目ですよ。真面目すぎるくらい真面目で、かえって遊びがないと言うか、人間、遊びの部分がないと、結構もろくなるもんですよね、私が思うに………」
「これは、何です?」
 酒井は男をさえぎった。「どこがどうなっているんですか、これは?」
 指した指の先が震えた。
「だから、言ったでしょう。宇宙人って名乗ったって」
「しかし、こんなことは………」
「どうすれば良いんですか? お巡りさん」
 男は当然のように聞いた。「マニュアルとかあるんじゃないですか?」
「あるわけないじゃないですか、そんなもの」
「でもアメリカの国防総省とかは、こういう、………何て言うんですか、ああ、接近遭遇への対処マニュアルとかを作ってるっていう話を読んだことがありますよ。ネットで、ですけどね」
「ここはアメリカじゃない」
 歯を食いしばり、酒井は言った。「俺も兵隊じゃない。ただの警官だ」
「でも、見せろって言ったのはお巡りさんですよ。私に文句を言われても」
 公園の出口のほうに後ずさりながら、男は言った。「どうです? 死んでるでしょ?」
「分からない」
 酒井は言った。どこをどう確認すれば良いのか分からない。いや、こんなモノをさわる勇気はない。汚染とか大丈夫なのか?
「考えたんですが」
 柵のむこうに出た男が言った。「国際法とかありますよね」
「何の話です?」
 酒井は聞いた。
「さっきのお巡りさんの話ですよ。上のカテゴリから見たら、これは立派に殺人になるんじゃないか? って思いましてね。宇宙人レベルの国際法みたいなものがあったとしたら。で、問題は」
「何があるって言うんだ! これ以上」
「怒鳴らないでください」
 男は唇を尖らせた。「私は良心的な市民です」
「だから、何なんです。これ以上」
 酒井は聞いた。爪が掌に食い込む。吐き気がしてくる。
「それ、言ったんですよ。ワレワレって………」
 男が言った時、上空から視界を焼く青い光が降りてきた。

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眠れない夜に

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