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ベトナム・カンボジア旅行記 -1日目- 戦争証跡博物館。

ちょうど2年前、学生ボランティア団体のツアーでベトナムとカンボジアを訪れました。せっかくの機会なので、当時書き残した日誌を眺めながら、ツアーをなぞる形で訪れた場所を紹介していきたいと思います。

2年前の今日、私はホーチミンに降り立ちました。関空に8時集合だったので、朝早かったという記憶しかないですね。ベトナム航空の便に搭乗したのですが、添乗員のかたの衣装がベトナムの民族衣装、アオザイになっていて機内からベトナムの雰囲気を感じることができました。日本で着物の制服を採用している航空会社ってイメージあまりないですけど、あるんですかね?

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昼過ぎくらいにホーチミンに到着。そして向かったのが戦争証跡博物館でした。

戦争証跡博物館では、ベトナム戦争に関する写真や資料が展示してあります。1975年9月4日に開館したのですが、ベトナム戦争の終結が同年4月30日ということで、かなりの速さで開館までこぎ着けたことがわかります。博物館の外には、アメリカ軍の戦車や航空機が数多く展示してあります。


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館内の展示物には、こんなものが。

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日本共産党の反戦運動の広告ですね。赤旗写真ニュースとあります。

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戦時中に用いられた武器や、戦車やら飛行機やらの残骸も展示してあります。戦場写真のパネル展示があるんですけど、かなり悲惨です。今見ても結構きつい。生身の人間の脚がもげた死体を捉えた写真など。さすがにここには載せることはできませんでした…
一番きつかったのは枯葉剤の影響で奇形児になってしまった赤子のホルマリン漬けです。戦力で劣るベトナム軍は地形を活かしてゲリラ戦を行いアメリカ軍に対抗したのですが、そのゲリラ戦法を崩壊させるために使われたのが枯葉剤でした。ダイオキシンが含む枯葉剤は人体に悪影響を及ぼし、戦後こういった奇形児がベトナムでは多数生まれました。日本で有名なのがベトちゃん、ドクちゃん兄弟ですね。

外にはベトナム侵略戦争の捕虜制度と題して、捕虜の収容施設が再現されています

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(↑中の蠟人形がリアルすぎてちびりそうになった。)

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(↑自白させるための拷問器具ですね。屋根があり、ジメジメしていて、蝙蝠がたくさん飛んでいたのが不衛生で不気味でした。)

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ベトナムは旧フランス領でした。このギロチンはその影響でしょう。1970年代の戦争にギロチンが使われていたというのがなんとも…

この博物館を見学した当時の私は、このようなことを書いていました。
「展示物として特徴的だったのは①ベトナム戦争時の米軍の兵器が数多く展示されていたこと②館内の展示はほとんど写真であったことです。」
中学生の時に立命館大学の国際平和ミュージアムに訪れたのですが、その時の展示と比較しながらこのようなことを書いたのだと思います。日本の戦争博物館として一番有名なのは広島平和記念資料館だと思うのですが、残念ながら私はまだ訪れたことがありません。
しかし、第二次世界大戦の映像が白黒であるのが大半なのに対して、ベトナム戦争の写真資料はほぼ全てカラーで残っています。その写真の数多くの展示が、戦争の残酷さをありありと伝えていました。
また、敵対国であったアメリカの遺物が多く展示してあったことも印象的でした。というのも、日本の博物館って展示物がほとんど日本のものだったんですよね。ベトナム戦争はアメリカの兵器と写真を同時に展示することで、兵器がどのような結果、凄惨な死をもたらすのか、ということを意識した展示だと感じました。
意外だったのはベトナム人というよりは欧米圏の方と思われる人々が数多く訪れていたことです。このあたりも展示解説がベトナム主観ではなく、客観的考察が書かれていて、対外向けの展示がされていたことが要因だと思われます。

初日はこんな感じでした。夜の散策とかもあったのですが、記事が長くなってしまったので、別の機会に投稿しようと思います。
コロナが明けてベトナムに行くことがあれば是非戦争証跡博物館に行ってみてください。覚悟は必要ですが、戦争がどれほど凄惨なものかを知ることができます。


明日のご飯が美味しくなります