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蜂の駆除番組を観て残念だったのは

昨日書いた蜂の駆除番組について思ったことの続き。ヘッダ画像をお借りしています。

一般的に、蜂の駆除番組では一方的に大量に命が殺傷されますがそれはどうでもいい。確かに駆除屋も縦横無尽に蜂を全滅させるけど、依頼した一般の市民からしてみれば一方的に勝手に自分が国かなんかから買った敷地内に虫の集団に居座られて、勝手に住まれた上に占有権を主張しようとすると命を奪おうとしてくる。これを排除せんとしてなんとする。

だから専門業者が出てくるんだけど、テレビはこれを達人とか色々大層な名称で読んでしまう。それは余計なことだとぼくは思う。業者の方も乗せられてしまうのか台本があるのか、あちゃーーこりゃーーーやばいぞーーー大丈夫かな~~~とか言い始める。これを茶番と言わずしてなんとする。素人の棒演技と言わずしてなんとする。

それらを乗り越えた視聴者が尚、立ち向かわねばならないのは専門業者の特に高齢者に属す者たちの態度である。タレントがその専門業者の言う通りに定められた場所を叩くなりなんなりして攻撃蜂を刺激すると(雀蜂には音や振動や熱だかに反応して、一匹出てきたら50匹単位で来るんじゃないかっていう死を厭わない戦うための部隊がある)きちんと攻撃蜂が出てきて怒り始める。

すると業者の高齢者は「ほらー!だーから出てきただろー」とか言う。お前が叩けつったから叩いたのに、まるで叩くべきではなかった、そのタレントのせいで蜂が出てきたことを糾弾するような物の言い方をする。これはぼくがその地方における言語の地域性を知らなすぎるせいで、いわゆる方言でしゃべる感じを怒りの感情と捉え間違えてしまう現象を体験しているだけならいいんだけど、普通にその人たち標準語も喋れるし、それとは違うという結論にならざるを得ない。

要は、彼らはプロなんだろうけど、これがテレビ番組というエンターテインメントであるということも同時に認識している状態で(だってカメラが回ってるから)ため、良かれと思って(だといいんだけど)余計な自己演出を加えたりする。

それが上記の「うわーやべえ蜂いるなー倒せるかなー」であり(そういう蜂を殺せる専門業者に金払ってんだから殺せるに決まってんだろ、殺せなかったら誰が頼むんだろう)、横柄な態度に現れるのだ。

中には、かつて自分が同様の蜂を駆除した家に再び赴く場面があった。それは屋根の内側に穴をあけて、そこに根付いた(どうやって?)雀蜂の大群を根絶やしにしたことがあったという過去なのだが、それを観て最初「あの屋根の内におそらく巣を張っている」とドヤ顔指摘する。

しばらく時間が経って、その一度開けた天板の治し方は自分のやった痕跡だと思い出す。クライアントのことなんていちいち覚えていないという企業的機会損失の代表例みたいなことをする。もう蜂殺せば食ってけるから、顧客情報なんていちいちCMS化しないし、この地域で蜂殺せるの俺だけしかいねえし、黙ってりゃ電話かかってくっから何もする気がない。

これ立場にあぐらかいてるのと同じですよね。PDCAが回るわけないから、顧客に本来見せるべき態度が取れない。

信じられない数の命を根絶やしにして、懐に金が入り込んでくる環境に慢心しているプロを観て、後塵は何を思うだろう?彼らは悲しいかな、その確立された技術や知識、防護服、最適化された道具があれば何の怪我もしない、自分の命に別状など起こるわけがないと思っている。そのKnowHowなり経験を最初に蓄積した先人の行為こそ尊いけど、現状はどうだろうか。

一方の後塵である若手業者たちは独特のやり方で公共の場所を歩く市民の近くにある巣を駆除していたりしていた。その話し方は非常に丁寧で礼儀正しかったことが印象に残っている。



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