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note社はユーザから利便性を奪うマーケティングが好きだ

noteの編集メニューにAIがどうのというものが追加されました。端的に邪魔です。


note社がユーザから奪った利便性一覧

つまりnote社はユーザから利便性を奪い、赤子レベルに自己の利潤だけを求める企業だということが読み取れる(当該AIコマンドをユーザに無理やり利用させることで生まれる利潤などが存在するのだとしたら。「流行りだから手出しちゃいまつた!w」以外に理由が存在するなら)。

これは別に今に始まったことではなく、こちらとしては我慢していた、つまり泣き寝入りしていた。つまりnote社はユーザから過去にも利便性を奪っていた。通例化している。

それは編集画面を無理やり新しくしたところも同様だったということです。非常に使いづらいエディタを一律にユーザに強要した。

そしてそれを予告したりするような「お知らせ画面」みたいなものをユーザが最低限見るような画面に設置しない。やることと言えば各ページの上部に強制的にヘッダを埋め込み一方的な告知をする程度だった。何のパブリックコメントの機会すら与えようとしない。

mixiだって、自分のホーム画面の最上部に誰かから書き込みがあっただの知らせるスペースを置いています。そしてそこにはリリース文も書く。それをしなかったらTwitterと同レベルです。現在、この惨状のTwitterと比べられて、同じだと言われることがどの程度のレベルを示すのか懸命なエンジニアであれば理解できないはずがない。

mixiは、いま現在Twitterの頭が「ああなってしまった」のちに、避難先として選ばれているメディアでもあります。

このmixi特集の番組では、競合先としてnoteの名前など欠片も出なかった(もちろんそれは、テレ東がmixi側に配慮したとかなのかもしれない)。かつて隆盛を誇っていたmixiですが一旦落ちぶれて巻き返した。なのに再注目されるのであればそれは本物でしょう。さて選ばれないメディアとは?

使いづらさに定評があるエディタを強要された

エディタについては意味不明な新旧同時共存期間がありました。じゃあそれを続ければいいだけです。新しもの好きは新しいエディタを使うでしょう。それが必要ないユーザはもともとのを使う。

たったそれだけでいい。選択制にするだけでいい。ユーザがUIを能動的に自主選択するなんて、なんてクリエイティブなんだろうと思いませんか?選択制を導入するだけで、note社が常に願っているクリエイティビティがこの場所に付与されるんですよ??

ぼくはnoteに字を書くなんて誰だってできるからnoteをクリエイティブな場所だとは思わないけど、noteはここがクリエイティブな場であるということを常に標榜しています。ユーザではなくクリエイタと呼ぶ。この取り組みが「うはw noteに登録するだけで俺も今日からクリエイターなんだ!!」と意味不明・無駄にユーザを煽り、自社のMAUを増やす以外に何かしらの効果があるなら教えて欲しい。

ユーザが慣れ親しんだUIとは、所有権が必ずしもサービス提供会社のみにあるものではないと考えることはそこまで理不尽ではないはず。note社は遊び程度のリリースでしかnoteサービスを使っていないのに対して、noteに所属していないユーザがどれほどの数いるのか。仮に全員が新エディタなりなんなりに合意できていないのだとしたら、note社は圧倒的少数(しかも自分たちだ)に利して圧倒的多数に不便を強要した。

ユーザの裁量権を広げてnote社ご自身の目指すクリエイティブ環境を構築してはいかがか

なぜ「選択制」という合理的な選択肢が東証上場を目指すような企業内のフレームワークに生まれないのだろう?

新旧エディタのユーザ個人による自由選択および、冒頭で述べた何の価値も感じられない編集メニューの改悪を避けるための「メニュー編集」を提供するというフレームワークです。

新しい編集画面の理不尽さをひとつあげるとするならば、文字をダブルクリックで選択してH2化や強調しようとする際に前後(行を飛ぶ形)の文字列まで「どういう基準か不明瞭に」選択されてしまい、ユーザの行動に無駄が出るというものです。一つの行だけをダブルクリックで選択したつもりなのに、めっちゃ上や下まで選択される。「意味段落」という言葉の意味とかを理解できているチームが運営できているのか?

それまではダブルクリックですべてが済んだのに、いちいち必要な文字列を範囲指定するという無駄行動をnote社が生んだ。

ユーザはこれまでnote社にある一定のコンセンサスを持ってサービスを利用してきた。それは「いくらなんでも勝手にUIが変わらないだろう、書くモチベーションが下がるレベルで不便化するんだから」というものです。

H2や強調を利用していたユーザは、この邪魔なコマンドが何の合理性もなく登場したせいで、無理やり行動変容を強いられる。文字を選択してH2化や強調しようと当該コマンド欄をクリックしようとしたら、この無駄コマンドのおかげで「それまで慣れ親しんでおり、自己のライフワークに組み込まれた、自身のみが所有するべき『書き行動』」を、意味不明なサービス提供会社の一存で奪われた

H2や強調しようとすると、ずれた部分を選択しなければならないわけです。よく能力が足りないマネジメント層が、現場が良くなる(翻ってそのような命令をした自分の評価が上がる)と思って余計な新しいルールを作業員に強要しますね。

ユーザから利便性を奪うことで、彼らの視界内にある市場はどれほど色めきだって変化するんだろう?note社は何も説明してはくれない。ユーザに不便を与えるマーケティングをダークパターンマーケティングと言います。

今ダークパターンマーケティングは批判対象です。能力あるマーケターはダークパターンマーケティングからの脱却を図る。前時代ならユーザをただただ騙すために通用したかも知れないそれらの手法は、法整備や知見の高まりも得られて退場に追いやられている。それなのにその手法に固執しようとする企業があったとして、その目的はというと……?

まるでピースオブケイクの不祥事に対する隠れ蓑のために社名を変更したかのようであり、それがマジなら「ユーザ」に対する体質はなんら変わっていないことになる。

企業体質がそこまで落ちているなら、改善の余地がある。おっさんしかいない企業には見えません。20-30代が声を上げるまさに絶好のタイミングにいるわけなのに、こんな改悪が始まった。

この頃から役員はなんら変更されていません。

まるでインスタの内部文書が公開されて慌てて社名を変えたFacebookのようです。

多様性が求められるこの時代に、一辺倒に一方的に勝手な自分のやり方を押し付ける。そこに選択肢、柔軟性という多様性が介在する余地はない。SNSとはかように時代に逆行するイメージが先行していいものなのだろうか?

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