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Coccoと大江対談

WBSのテーマを作っているCoccoがガチでWBSに登場して、結構驚くことを話しました。ヘッダ画像をおかりしています。

#今年のふり返り

ぼくはほぼ欠かさずWBSを視ているので、この歌を聴かない日がない感じのユーザであるように思える。そんなユーザはCoccoのファンでもあまりいないんではないだろうか?この歌を当日に買い、毎日聴くほどエンゲージメントが高いファン以外は、である。

こうした背景、当人が番組に登場するという部分においてぼくは自分の過去に書いた文を思い出す。

Coccoの歌について包み隠さぬ思いを述べるのであれば、今こうして話題にしたからという贔屓目を抜きにしても今までの歌の中で最強に良かった。前回のはちょっと金の匂いを感じざるを得なかったし、椎名林檎のは……以前どこかでも書いたがあの金切り声で唄う彼女のバージョンじゃない感じならまだ受け入れ幅があったのだが、つまりあおぞらとかの声といえば伝わるだろうか。

クソみたいなニュースもあるなか、ああWBSが終わったと思いきや突きつけられるあの歌にはちょっと疲れた視聴者に対する明確な殺傷能力があると言わざるを得なかった。亀田(椎名のプロデューサ)は止めなかったのか?と。

またぼくは歌の歌詞について全く重視していなく、今回も色々インタビュアーである大江が話題にしたから仕方なく話題にせざるを得ないのだが……椎名とか前の主題歌には目を背けたいものがありました。貴様とかそういう単語を目にしたくなかった。

この点においてもぼくはCoccoの歌を(未だに題名すら知らないが、逆にそれもよく作用している)番組にフィットしていると前向きに捉えています。ぼくら視聴者が聴くこの歌は、最後の数秒だけなんですよね。今日はCoccoのインタビュー回だったからか、その少し前から流された。

その中で流される言葉とは

赤や青や黄色や白やましてや黒じゃ割り切れない
そんな輝きがこの世には溢れている。
なんてファンタジーなのだろう、この世界は
みんな幸せになれたらいいのに
でもそんな望みはとんだファンタジーだな

という意訳である。「事実」のみを伝えるニュース番組において、ファンタジーなどという単語が飛び出してくるのはCoccoの作詞能力が高いからですね。

またぼくはWBSを1.75倍速でみているのでこのミドルテンポの歌がめっちゃ速い邦楽ロックに変わる。だが思いっきりドラム&ベースであるこの歌とはもともと速さがどうなろうがそこまで元の印象を損なわないという(勝手な)印象がぼくの中にある。

斯様な打ち込みではない歌が自分の見ている番組で採用されることは単純に嬉しい。ぼくはそのような歌しか聴いて生きてこなかったからでもある。

EDMブームであり平成にはR&Bも通って来たので、この国が打ち込み音と切っても切れぬ縁にはなってしまったんだろうなという半ば諦めもあるものの、前回や前々回もそのような歌を採用したのであれば(そのように造られたという裏はとってないけど彼女ら彼らの生き様をそれなりに信じるのであれば)、この番組に対して謎の信頼感を持つことにはつながる……ような気がする。

バラエティとかワイドショーじゃなくて、愚直に自分の意思ではなく事実のみを淡々と伝えるニュース番組にのみこのようなことが起きることには皮肉的な思いも募る。生の声を伝えるから生音を採用するのかも、とも思う。

というのもCocco自身のコンポーズ過程もくそウケるものだった。何かの折にWBSを視ていたCoccoは、勝手にこの言葉や歌が思い浮かんできたという。せっかくWBSを見て浮かんだものはWBSにお帰ししよう、とデモテープをテレ東側に渡したら、WBSでマジで採用されたのだというのだから驚かされる。この経緯も含めて、宮本浩次のようにこの一年を語る歌群が登場する紅白歌合戦とかに出てもおかしくはない経緯であるように思えるのだ。でも出ない。

ぼくのCoccoの印象とはRainingとかインディゴブルーとか雲路の果てとかカウントダウンのままで止まっていたので、とんでもなく激しさを津波のように打ち果てて消えていくような歌を造る人だというイメージから少し違うこととなった。

また先の歌が造られた背景と照らし合わせても、ころーなころーなありがとうとかウクライナが侵略されたりとかガザが殺されたりみたいなことで「死の人数」が毎日伝えられるのがニュース番組であり、そのような誰も得しない数字を伝えるだけのアナウンサーとかを無感情な殺戮マシンみたいに思っていた。別に今でもそう思っている。

そんな報道しても、数字に囚われて数字の前であればアヘ顔ダブルピースでSNSでやれ「こんなに死んだ!」「政府がどうたらを隠している!!」みたいにおっぱじめる連中が増えてしまうだけだから。くれぐれもワイドショーな連中にはそのような陰謀論めいた情報弱者製造機のような社会機能に加担しないでほしいな、と思っていたんだがその希望がついぞかなえられることはなかった。

ちなみにそのような死が報道される中、ここnote社がやったことといえばコロナとかウクライナとか関連単語が新規ページに登場したのであれば、そのページに「ここに書いてあることは嘘八百である可能性もあるので一概に信じてんじゃねえぞ」という注意喚起の文をガチで関係あろうがなかろうが強制的に貼り付ける、という行為のみでした。もし日産コロナについて語りたくてページを作ったのだとしても、「コロナ」で自動検知するから上記のような「正しい情報に惑わされないように!!!11ひでぶ」みてえな汚らしいレッテル文を各ユーザの所有するページの最上部に必ず表示するという滑稽な行動をやめることはなかった。

Coccoのインタビュアーだった大江が似た思いを抱いていたのかはわからないが、もとよりぼくは大江に対してはWBSを見ている縁を含め殺戮機械だとは思っては居なかったが、自分が死の商人のような役割を果たしている「自滅感」を持っていたようで、それがCoccoにより救われて涙を流し、その大江に感化されてCoccoが涙を流していたことが印象深い。これぐらい感受性が高くなければ、これまでのような歌は造れないのかもしれない。

またこの文に着地点などないのだが、自分が愛読している番組に適正な歌が採用されて流れるという奇跡をご紹介するという非常にポジティブな事例について紹介することで、この歌にあるようにみんな幸せになれる世界が続けばいいのになという思いが今できた。

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