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三浦建太郎さん

最近なぜだかわからないのですがRadioheadのCreepを聴きたいと思う機会がやたら多かったのでなぜだろうと思っていたのですが原因がわからなかった。

このnoteでも別になぜ聴きたかったのかは解明できませんでした。それとは関係なく三浦建太郎さんが逝去してしまった。

三浦建太郎さんが書いているベルセルクという漫画の冒頭では話における最終目的とも言えるような敵と相対し、まだそんなところを這っていたのかと嘲笑われます。

ベルセルクは、主人公を嘲笑ったこの敵を悪魔に魂を売り渡してでも、なんとしても殺しに行く物語だとぼくは思っています。ヒロインの心と体を取り戻す恋愛ファンタジーとも捉えられるかも知れません。さまざまなとらうまを克服していく話であるとも捉える余地すらあるでしょう。

Creepでは、コーラス部分でThom Yorkeがぼくはろくでもない人間だと、どうしようもない奴だと、毛虫のようにそこらじゅうを這っているような奴だと歌っています。

Creepは終始G B C Cmという進行で奏でられる。メロディは非常に美しくClassicのようです。歌詞を気にしなければ、母が赤子を寝かしつけるためにささやき声で歌っていてもおかしくはない。

報道を見て

この文を書いている間も、NHKでは三浦建太郎さんの死去が報道されました。

2Dのようなまるまるとした自画像を見たことがありましたが、ごく最近のものと思われる近影をぼくは見たことがなかった。想像よりも痩せていて、自画像のように眼鏡をかけているけど決して太っているようには見えなかった。

むしろ爽やかな印象を受けたほどでした。頭にはバンダナでもない帽子でもないようなものを被っていましたが、手作業なんかをする際に髪が揺れるのを防ぐために仕方なく付けている着の身着のままインタビューに答えた、その際に撮影されたと説明されても納得できるようなもの。

職業柄、そうなってしまってもおかしくないだろうと考えられる”おたく”然とした感じでもなかった。漫画家と言えばやつれているイメージがありましたが、本当に爽やかでした。

浦沢直樹の漫勉という番組で、その名前が冠となっている浦沢氏はぼくにとって少し漫画家のイメージ通りやつれているように見えていた。彼がインタビュアーとなって他の漫画家を活き活きと紹介するという番組内容であるにも関わらずです。

もちろん年齢の違いもあるでしょう。彼の年齢と同じ層を並べてみたらものすごく若々しく見えるのかも知れない。実際そうだと思います。彼の血管は避けておらず、心臓まで達してしまうほど割ける血管は持ち合わせていなかった。

編集部からのメッセージを読み

最初に引用したベルセルク公式アカウントは連載するヤングアニマルを出版している白泉社の方々が恐らく運用していて、書かれた文の署名には編集長や担当者という身分とともに恐らく社員の方々の名前が記載されている。

本誌でなくSNSで身分を明かし、このような所感を含めた文が投稿されることをぼくは意外に思いました。それだけ三浦建太郎さんが白泉社から信頼され愛されていたのだと感じます。

それだけに、訃報の中にプレスリリースのような内容(ヤングアニマル本誌等では未出である原稿をどうするか等)も記載しなければならないのが出版業界なのだなぁと考えさせられました。

勝手ながら上記リンクからお借りした画像を反転したものをアップロードいたします。

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読者の目の負担を考え反転しています。

こちらによると2021年5/6木曜日、2:48pmのことだったそうです。

また編集長の言に依ると、倒れた後にどなたかに介抱された状態であったこともわかりました。上記しましたが、あまりそのようなことが訃報に書かれることはないように思います。この文があるのとないのとでは読者およびファンの心の救われ方が少し変わってくるように感じました。

とても悲しいと思う心、とても受け止めきれないと思えない心で我を忘れてしまってもおかしくはない状況。すでにベルセルクの連載が始まっており、昔の原稿をくれると言ってくれた三浦建太郎さんに対して丁重にお断りするほどベルセルクを愛していた人が今は編集長になったのだということがわかる。ファンは、そこまで物語を愛した人が三浦建太郎さんの近くに居続け、これまで支えてきていたのだとわかる。ひいてはヤングアニマルを見守っているのだとわかる。

さらに編集長の口からは今回のことで遺族の皆さんは未だ深く傷ついていること、このことで関係者へ接触することは控えるべきである旨が告げられた。そこまで突然のことだったのでしょう。当然のことですが活字メディアやYouTuberのような映像メディアが個人ですら成立してしまう時代であればこのような文句(苦情という意味ではありません)が記載されていてもおかしくはないと思わされます。

後半の、現担当と思われる方も感情を隠すことなく話されている。あと三十年は生きて書き続けるという思いは間違いなく本物だったと受け取ることができるでしょう……

ぼく自身、かなり幼い頃に友達に薦められてベルセルクを読み始めましたがその話の重厚さに打ちのめされてしまった。しかしながらもちろん後悔はしておらず、後悔していたらこのようなnoteを書くことはなかった。

故人に対していい子ぶるつもりもなく、―――――故人という単語を使ってもうぼくは頭を切り替えてしまったと第三者から思われることすら嬉しくないためあまりしたくないのですが―――――無理のない範囲で話を続けてくれたら嬉しいと思っていたし、その展開に不満を持つこともぼくにしては珍しくなかった。一番悔しいのは周りの人や読者ではない。

ただ祈ろうと思います。

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