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回転木馬 斯く走りじ

歌のバージョン変化について話しています。今日は主にスピッツでしょうか。ヘッダ画像をお借りします。

東京事変の透明人間という歌はリリースの仕方が些か変わっていました。

ステージ初演奏でありそれがPVとしてそのままリリースされた。で結果的には、CDバージョンとえらくアレンジが違うものとなった。さらに、そこには演奏者が大きく変わっていたという背景もあったがぼくは当時知らなかった。別にそれが原因というわけじゃないけどだんだん東京事変を聴かなくなった。

最初に知ったバージョンも後から知ったバージョンも好きになれたら理想ですが、最初のバージョンの驚きや感動みたいなものがずっと心に突き刺さって、後から「こっちが正規バージョンです」と療法を作った本人に示唆されても、それを受け容れられなかったりすることもあるんじゃないかなということを書いています。

mRNAコンテンツ

もしかしたら歌みたいなアート系コンテンツって、新型ウイルスのようにまず始めに人の心の形を書き換えてそこにガッと嵌まり込む性質もしくは「その人の根底を揺さぶるようないい歌」を聴くと、その人の側にmRNAワクチン後の反応みたいな

mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンやウイルスベクターワクチンでは、ウイルスのタンパク質をつくるもとになる遺伝情報の一部を注射します。人の身体の中で、この情報をもとに、ウイルスのタンパク質の一部が作られ、それに対する抗体などができることで、ウイルスに対する免疫ができます。

https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0021.html

遺伝情報の書き換えといいますか更新が起きて、「その歌の聴き方」みたいな手段・方法がソリューション的に構築・固定されてしまい、似たカバーとかヴァージョン違いみたいなものを聴いても「はぁーそうっすか」的な反応しかできなくなってしまうのかも知れない。

あるいは異端アピールをしたいわけでもなんでもなく、ぼくだけに起きる現象なのかも知れませんが……

運命の人

というのも、同じことがスピッツの歌にもありました。

運命の人という歌は1997年にプロデューサの手を離れた一弾目ともいえる様相でリリースされましたが、

ご本人たちは相当の試行錯誤の末にこの歌をシングルとしてリリースせざるを得なかったようで、ところどころに悔恨の念が残っていたらしい。

普通の(金儲け主義の=ShowBizの)歌コンテンツを手掛ける人々であればこの歌をそのまま次のオリジナル盤に封入したことでしょうが、次に出したオリジナル盤「fake fur」ではゼロからアレンジを変えてCDにした。

どれくらい変えたかというと全楽器別録りはもちろんどこでギターを鳴らすかとかボーカルも取り直していて、キーを半音下げるというものでした。全とっかえですね。

さらに2010年前後にはステージでこの歌を歌う場合には1番をまるごと打ち込みと草野のアコースティック・ギターだけで演奏するアレンジにしてしまった。

こちらはステージ版ということでCD音源とは違う魅力があるため、ぼくはなんらの忌避感も抱いてはいない。

しかしながらフェイクファーに収録されたキー下げバージョンには当初こそ新鮮な気持ちを抱いたものの、シングルとまるで違う、「大人のパッケージング」とでもいうようなかしこまった優等生な感じが何か躊躇わせてしまうことになりました。


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