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くるりにジェンダレストイレを学んだ

歌舞伎町タワーにはたぶん一生行く機会がないのでそもそも興味がないんだけど、くるりというグループがここにアカウントを持っていて歌舞伎町タワーの話をしていた。ヘッダ画像をお借りしています。

で、たぶん触れている話もぼくがわざわざ触れるべきではない話なのでその是非について問うものではない。くるりの肩を持ったり、ほか何らかの派閥に与するものでも害するものでもない。関わりたくない。

メインの話題について触れたいのではなく、この文の意味がわからなかった。ぼくよりも多くの文をおそらく書き、触れ、さらにメロディも詞もぼくより書いている岸田の文才を貶しているのではない。わからなさを楽しむ趣味がぼくにはあり、今回話しているのはまさにそれである。土曜日とは、斯様なふわっふわした状態下にある自分を楽しむものなのではないだろうか?

つまりそれは、使用者を限定していないようで限定している物言いであり、ネーミング・センスひとつで、トイレの衛生面や安全性など、信頼性が一切失われてしまうのではないか、ということです。

名前をつけた瞬間にジェンダーレストイレが使いづらくなる、と言っているような文に見えました。使用者を限定していないようでしている……とは、どういうことなんだろう。

これについて知る上ではジェンダーレストイレとやらの成り行きを知らなければならなさそうなのだが、見るも地獄なような話題な気がするので避けたい。そもそも言葉の意味について考えるトピックなので、言葉の本来の意味さえわかっていればよいのだ。

トイレがジェンダーレスであるということは、……畢竟誰でも使えることを意味するのではないだろうか。それなのに使用者が限定されるとは?

そこで岸田の文(実際岸田が書いているのか、佐藤が書いているのかこの文からは判明しないのだが、一応タグ的なものがついてはいるけど)に目を向けると、結果的に野郎がずけずけ入ってくるトイレなんて、女からすると使えないわボケ、みたいなことがやんわり判明した。たぶんジェンダーレストイレのトピックについてより深く知ろうとしたのであれば、この一言で済むことをもっと煮詰めたり、誰か特定の者を必死に傷つけるために醸成されたきたない言葉群を見なければならないのだろう。

トイレとは副交感神経がばっきばきに全面に出、副交感神経の管轄下のみでしかできない身体的機能をするための場ですね。副交感神経とは「寝る」とかに代表されるようなチルい行為をおこなうための神経です。

つまりトイレとはリラックスが伴う場でなければならない。そんな場所に今にも自分を個室に閉じ込めて強姦しかねない異性が平気で侵入してきたらどうか、ということになる。

もしくは、ドアひとつ向こうには平気で異性が闊歩しており、自分の身体的機能の音が聞かれる可能性がある。その可能性が存在する場にはどうしてもリラックスなど内在できなさそうだ。

ネーミングセンス……というよりは、このトイレが置かれた状況が、トイレ本来の機能と全く適合していない、トイレにおいてジェンダーをレスらせる行為に何らのメリットもないことを逆に浮き彫りにした事例なのではないかと思える。

衛生面……確かに野郎のトイレの使い方については疑問が残る。

安全性……上記の通りだ。

信頼性……トイレにて、本来トイレでもたらすべき身体的機能を発揮できないのであれば、それは「信頼できないトイレ」といえそうだ。

つまり、トイレにジェンダーレスという名称を付けたその瞬間から、野郎しか使えないトイレに成り下がった、ということなのだろうか。これで岸田とわかりあえたのであれば嬉しい。

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