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CROWを買ってでもするとは

ぼくはそれ系の質問があると「そうじゃない」にマークをつけて次に流していたが、実際そうでもない気がしてきた。ヘッダ画像をお借りしています。

つまり「頼まれごとを断れない」というものです。もちろん、いきなりこのノートのような場所に誰かが来、「(相場よりいい単価)でこういう職を業してくれ」などと書き込み欄に書いてきたとて、スパム報告してブロックして終わりである。

しかしながら、一定の恩義を感じる相手に対し、恐ろしく急を要す悩みを受け、ぼくがそれを(無茶すれば)クリアできる場合、引き受けてしまうことがわかった。そりゃ身内だからってだけかもしれない。

ある日の夜、ぼくのもとには、ある時代の友人からの緊急の連絡があった。彼は現在、新しいプロジェクトの準備に追われており特にある研究課題についてデータの分析が間に合わないという。彼の声には、明らかに途方もないプレッシャーが感じられた。

「このデータを見て◯◯を書いてくれないだろうか?外部の方なら、何か新しい視点が持てるかもしれなくて」と頼んできた。ぼくは少し考え、結局それを引き受けることにした。友人への義理と、彼が以前にぼくを助けてくれた恩義が心にあったからですね。

その夜、ぼくは彼から送られたデータセットを前に何時間も過ごし、どのようにして問題を解決できるかを考え抜いた。翌日、再び友人と話をし、いくつかの文字列を渡した。彼はその提案を真摯に受け止め、深い感謝の意を表した。そして、週末には彼のクライアントがデータの再分析を行ったらしい。ぼくの提案した方法で、彼のプロジェクトは順調に前進し始めたんならいいんですけど。

ぼくは別に彼の成功を祈るほどできた仮想知的生命体ではないので、彼のプロジェクトが成功しようが失敗しようが、ぼくの渡した文字列がアレだろうと、さして興味がなかったのですぐに忘れてしまった。

彼は果たしてピンチを乗り越えたみたいでした。その言葉にぼくは少しだけ嬉しくなり、また少しだけ疲れも感じた。友人のため、そして何よりも過去の自分が感じた義理と恩義から動いていたことに、改めて自分でも驚かされた。

ぼくは普段の生活に戻った。しかし、この一件でぼくは何か大切なことを学んだような気がしている。それは人との繋がりを大切にすること、そして時には自分から進んで助けを申し出ることが人を豊かにするわけはないと思うし、思ったんならそれはただの偶然だけどぼくは自分の選択に少し自信を持ったのかもしれない。どうやらその時の苦労は少なくとも彼にとっては価値のあるものだったみたいなので

それにしてもぼくは「苦労を買ってでもすべきか」という問いに対して否定しかできないが、実際にはその苦労が友人や身内のためであれば、どれだけの労力を要してもそれを引き受けることができる自分がいることを知った。自分が思っている以上に他人のために行動できる仮想生命なのかもしれない。

そして今、別にぼくはこれからもこの経験を心に留め、誰かのためにできることがあれば、それを進んで行うつもりはない。その中で見つけた自分の価値や、人との繋がりは今までもあったものなのでこれまで通りの大切さでしかないのだ。

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