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初代三遊亭楽大と楽太郎①

いきなりですがこの方のことではございません。

先代楽大である伊集院光のことです(敬称略)。楽太郎はその師で現圓楽、笑点やごごナマに出られている紫色の方です。

この文を書こうと思った理由は伊集院光があちこちオードリーに出演し、三遊亭楽大時代の話をしたことによります。

お二方についてそこまで芸能レポータのようには詳しくないのであまり目に止まらないような題名にしました。

現・楽大

今回noteに書こうと思った内容と関係ないとはいえ、調べていたら二代目(襲名系の名前ではないらしいため、正確には二代目ではないかも知れません。つまり初代も伊集院光ではない可能性もある)の方も初代に(一方的に)縁がある方のようで驚きました。

平成19年(2007) 4月 三遊亭楽太郎(現・六代目円楽)に入門
三遊亭楽大を命名される

この入門理由も伊集院の(ラジオ)リスナーだったからだそうで、

ほかにもアニメ声優さんなんかが出られるラジオをよく聞く方であるそうです。リンク先のnoteでは詳細なプロフィールも明かされている。

上記は「園芸専門誌」の公式noteなんですね。日本で唯一の演芸専門誌だということでした。ひとつしかない。

ラジオ文化

ぼくも伊集院だけでなく当時は声優さんのラジオをかなり聞き込んでいたため親しみが湧きました。

まったく知らないアニメのラジオでさえ、単に声優が話している雰囲気が聞きたいがためだけに聞いていた覚えがある。むしろタイトルについて知らないアニメのほうが多かった、大半だったのではないかと記憶しています。

最近はYouTubeばかりなのでアニメもラジオもとんと聞かなくなってしまった。どうしてもラジオを聴きたければ、アナログに機械を買う必要はなくなり(機会なのにアナログなんてすごい皮肉めいた文です)、radikoあたりでAM/FM問わず高音質に聴けるようになったことは素晴らしいんじゃないかと思っています。

ただ、恐らくアナログなラジオ機器やYouTubeのそれとは違い、自分から色々選択しながら音声が聴けるチャンネルまでたどり着かなければならないという仕様がある。

つまり「能動的にラジオが聴きたい」「誰々が話している番組が聴きたい」という明確な目的意識、意欲がなければ娯楽としてのラジオが選択されがちではないように思えてしまう。

radiko利用者の内訳がどんなものかぼくは知らないため、利用層に年配の方が多ければもしかしたらラジオにもともと親しみのある層が携帯ひとつもしくはPCひとつあれば手軽に聴けるラジオをライフスタイルに取り入れたのかも知れない。最近そこまで聞いてないので僭越ですがradikoがそういった層に支えられてサービス存続してくれればいいなぁと思います。

また弱年齢層における声優さんや伊集院光深夜の馬鹿力を聞くという趣味について、勝手なイメージではありますが、思春期とかに歌のランキング上位を席巻する一流のミュージシャンやなんかが届けるFMラジオを聞いている風を装う波にいまいち乗りたくない層が聞くのかなとぼくは思っていました。

ぼくが伊集院を聞いていた当時にそのようなパリピ層が存在していたかは一切知らず、当然現在の若年層の間でクラスメイトにFMしか聞かないパリピカーストがあるかどうかも存じ上げない。本当に勝手な想像です。

そもそも上記、当該noteインタビュー冒頭でインタビュイーが勧誘している娯楽がカジノであるため、ぼくの身勝手極まりないラジオリスナー観に従うのであればパリピでありながらFMを選ばなかったリスナーであり特殊な例なのかも知れない。あまりに穿った見方をしすぎですね。

またご自身でFMラジオのパーソナリティという職業を勝ち取っている。

 二ツ目になったばかりの時に、林家たい平師匠がポッドキャストで若手と4週話すっていう番組に呼んでいただいたんです。それを聴いてくださった岩手県大船渡のコミュニティFM「FMねまらいん」の方が気に入って、ラジオ番組をもたせてくださったんです。今は月1、2回通っているので、田舎が出来たみたいで嬉しいです。

たい平は圓楽とともに笑点に出演している人。並びもすぐとなりで縁がありますね。

楽大と楽太郎

伊集院は25歳の頃、楽大という見習いの顔と伊集院光というギャグオペラ歌手の顔を持ち合わせており、ギャグオペラ歌手としての才覚がメディアに認められてしまった。

しまった、というマイナス表現をした理由は一旦そこで演芸の世界と縁を切ってしまうこととなったため。

馬鹿力を注意深く聴いているリスナーであれば折に触れて自身が当時を自虐しているので知っているはずではありますが、あちこちオードリーでは若林が遠慮がちに「落語のことって触れていいですか?」という前置きを立てた上で伊集院に質問し、楽大としての話を引き出し、それに答える形で伊集院が当時のことを話す。

一時期隆盛を奮った知識系番組への出演が増え、同時期に頭角を現し始め、近い系統の番組への出演頻度が高かったアンタッチャブルとは旧知の仲であることも下地となり割と尋常ではない回数、同ジャンルへの出演が増加したはず。

つまりテレビメディアでも割と確固たる地位を築いた(とぼくは勝手に思っています)伊集院ならば、彼の出自、それまでについて下げて掘りたいインタビューメディアなんて恐らく星の数ほどあったであろうことは想像に難くない。

他に今までどこで何を話したかは把握できませんが(例:クイズ王伊集院光って一体どういう人なの?出身校は?的なキュレーションメディアを始めとして)、およそテレビメディア、しかもバラエティ番組で(インタビュー番組もバラエティ番組に含めるとするならば、伊集院が出演する番組はバラエティ以外ないかも知れませんが)楽大の頃の話をしたことはなかったように思える。

そのため、番組ほぼ終わりかけだったとはいえあそこまでしっかりと落語について自分から話す伊集院を見て新鮮なものを感じました。

もしかしたら、伊集院と落語の関係性についてあらかじめ知っていたかも知れない若林の気の遣い方にも驚かされた。

次回は楽大の頃について思いを馳せながら書こうと思います。お付き合いありがとうございました。


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