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小ぎたない恋の話Extra02/裏切りの果てに燃え上がる恋に形はあるのだろうか

前回

ヘッダ画像をお借りしています。

※引用:カリプソ・ベイビー / ROSSO (2002)

僕は自己肯定的に生きすぎて何となく王道の道を逸れたんだろうなという話はした。そんな僕でも同窓会という悪魔の式典に参加しなければならなくなってしまったのだった。

さらと述べれば僕が同窓会に出なければならない理由はボスの命令に依るものだった。僕はこれまであまりにも人付き合いを他人任せにして来、それに依る機会損失は織り込み済みだとして生きてきた。開き直っている。

ボスもそんな僕の尻拭い的に本来僕がするはずの人付き合いを肩代わりしてくれた人のひとりであった。そう、僕は別に絆の深い誰かたった1人だけに人付き合いを任せていたわけではなく、その場に関わる誰であろうと構わずうまい具合に言いくるめて任せていたのだった。

その代わり僕は見事な対価を払ってきた。人付き合いを他者に委託する代わりに僕は彼女/彼らの依頼を請け負った。そしてその都度彼女/彼らは満足してくれ、お互いに成功報酬を分け合ったのだった。まるで小田急線の路線図のように。

僕が人生にやる気を持たなくしており大学卒業後にろくな人生を送れなかったことを記憶に新しくしてくれていることとは思うが、そのような僕にはあらゆる資本主義的なスキルが欠けていた。例えばプライベートとビジネス単位での酒の席における振る舞いは全く異なるものであり、社内における宴会などプライベートと思ってはならないなんてことを22歳の僕が思考できるわけがなかった。

宴会とは、大人の世界にどっぷり浸かった連中が何故か中高年齢層にとっては当然与えられるべきものとして認識されてしまうらしいカースト制度における強権を「年下」という年齢層に対して好き放題振る舞える場であると僕は思っていたし、そんなものに当然付き合う必要はないと思っていた。だが思っていたのは同期の社員たちも同じようであったが、連中はそのカースト最下層としてのロールプレイを甘んじて演じるようになっていて、驚いた。

僕はそこで一方的かつ信じられないほどの可愛がりを受けるだろうことを想像できたため、極力社内の宴会の皮を被ったパワー・ハラスメンタリティ然とした場には参加しないように努力した。この行為には非常に努力が要る。もしかしたら、そんな努力しないでカースト最下層の立場に甘んじたほうが楽だったのではないだろうかと思いそうになるほどだった。

傍から見れば、僕がそのような現代社会に凛々しく残存する謎のロールプレイに参加できず、参画できていたはず社会から離脱したんだから結果的には最下層に甘んじなかったことで最下層に甘んじた場合の僕の未来よりも損していると思えるかも知れない。みんなそっちをしているんだから実際そう思う人が多そうだ。

僕はこのような形で社会からドロップアウト(ドロップアウトしなかったはずの道を、あたかも大多数が選ぶような正規ルートであると認めるかのような言い方をするのは非常に卑屈であり見苦しいと思う。自動的に、僕自身で僕の人生に優劣をつけることになり不服だ。つまり僕がどれほど悲惨に満ち溢れた人生を送ったとて、ドロップアウトという言い方は適切ではないはずだ)した後に初めて、企業が本来選択しうる雇用のあり方は必ずしもメンバーシップ型雇用だけには限定されないということを知った。

メンバーシップ型雇用の利益は被雇用者にとっての既得権益の保護のみで、弊害はこれまで述べたように様々ある。

企業という「人間の集合体」にとって不利益しかもたらさない雇用方法であるメンバーシップ型を盲目的に、脳死で選択し続ける現代の企業たちは毎日醤油を1リットル飲んでいるような生き方をしているようなものなのではないだろうか。

メンバーシップ型による社内体制に逆らうことはできない。小さい頃の話をしたことからもわかるように、僕は本来あるべき帰り路で帰りたくなくなるような癖(へき)を持っていた。それは被雇用者になっても変わらなく、僕はオフィスから離れた場所に行き、また戻ってくる際に必ず給湯室だの、非常階段だの、資料室だのありとあらゆる場所にわざと立ち寄ってから帰った。

わざと、と形容したが、本人にとってはごく自然な行為であり、オフィスに戻りたくないから少しでもその時間を(例え社内規定で禁じられていようとも)可処分時間として内々のうちに勝手に削ろうとしていたわけではなく気づけば足が勝手にそういう場所に向かっていた。そしてそれはもし仮に管理職なり誰なりに指摘されたとて、生理現象が長引いたという理屈を持ち出せばいいだけの話だった。実際そうした。

しかし僕はその癖のおかげでありとあらゆる見ないほうが良いものを見た。知りたくもない人間同士の不倫や浮気の現場を見た。彼女/彼らにとってはありとあらゆる場所がホテルのベッドであるかのようだった。人間二人が立てるスペースが確保できれば人間同士の交尾は成立するのだということを僕は非常階段の踊り場で常に知ることとなった。僕は立って交尾をすることに興奮を覚えられなかったため、その知識は僕の人生において何の役にも立たなかった。


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