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【私のことVol.3】21歳まで海外旅行を避けていた、怖かった

「旅ができなくて辛くない?」

時たまそんなことを聞く人がいる。
正直今は全然辛くない、というかむしろホッとしている。

各国の空港が閉鎖され、飛行機も運休。誰も海外を飛び回れない。
そんな事態だからかもしれない。

最後に飛行機に乗ったのは確かに1月の30日とかそのあたり。バンコクにいたのだけれど、確かタイでひとり目の感染者が出た時だった。

ドンムアン空港で「しばらくタイはいいや」、機内で「しばらく飛行機はいいや」とふと思ったことを思い出す。

まるでその後に起こる事態を先に察知していたように。バンコクでよく遊ぶノマドの友人も同じことを思って、アパートを出国直前に解約したと言っていた。彼女もきっと察知していたのだろう。

もちろん心明るくする眩しい日差しやジャスミンライスの香り、屋台の賑やかさ、カラフルなドレスがディスプレイされたモールを思い出すとタイが恋しくなる。

まだ見ぬ理想の土地を求めて世界の88都市に滞在してみたけど、25歳の時に出会ったタイ以上に居心地のいい場所は世界中になかった。

21歳になるまで私は海外旅行が嫌いだった。

12歳の頃に行ったハワイ旅行がトラウマで。情けない話なのだが、海外が初めてで緊張しすぎてご飯が食べられなくなった。それを父にこっぴどく怒られて、私の初海外は散々な思い出になってしまったのだ。

だから留学したいという友達の気持ちがよく分からなかったし、卒業旅行にヨーロッパなんてめっそうもないと思っていた。でもなんだか海外に行かないといけない空気だったので、高校の卒業旅行は無理やり香港に行った。

緊張のせいか疲れ切って、帰りの成田から最寄り駅までの電車は爆睡だった。向かいにイギリス便で帰ってきていた若者が座っていたのだけれど、あんな遠いところまで行って、よくも起きてられるなあと感心した。

海外旅行は苦手だったけど、英語はなぜだか子供の時から得意だった。スピーチ大会となれば、クラス代表に選ばれマーチンルーサーキングの演説を披露した。大学でも経済学専攻なのに英語のゼミに入っていた。

海外嫌いの私を変えたのは、21歳の時にできたアメリカ人の彼氏だった。大学に交換留学にきていたオクスフォードの学生と繋がっておくためにはじめたFacebookにある日メッセージが来た。

「僕はこれから日本に行く。よかったら友達になってください」

なぜ私の元にメッセージが届いたのか分からないが、ゼミの英語のプレゼンで助けが必要だった私はすぐさまOKの返事を書いた。

アメリカで映像機器の会社を経営してそこそこ成功している28歳。日本人のクオーターでもあった彼は、自分のルーツを知りたくなり、語学留学のために日本にアパートを借りた。

映画学校を卒業した彼と、当時脚本家を目指していた私、話が合った。ある日「一緒にハワイに行こう」と誘ってくれた彼に、「ハワイは遠いからサイパンならいいよ」と不可思議な返事をした。この時はまだ長距離便には乗りたくなかったし、ハワイには苦い思い出もあったから行きたくなかったんだ。サイパンなら家族とも行ったことがあるし。彼は「OK」と言った。

サイパン旅行を機に私たちは正式に付き合うことになった。大学の長い夏休み、彼は「僕の家で過ごさない?」と提案してくれた。

場所はアメリカの南部の都市。ニューヨークでもロサンゼルスでもない。もちろん日本から直行便はない。あんなに長距離便を避けてきたのに、彼のことが知りたいという思いから首を縦にふってしまった。

夏休みはアメリカに行くと報告した時、親は大層驚いていた。

初めての一人旅は珍道中だった。ロサンゼルスのLAXで国内線に乗り換えて、彼の街に到着するというのがプランだったのだが、LAまでの飛行機がまさかの遅延。乗り換えるはずだった便は行ってしまった。

次の便は満席なので、私が乗れるのは次の次の便。まさかの8時間後だという。「どうしよう、リアルターミナルじゃん」トム・ハンクス主演のターミナルを観たのは数日前だった。当時はWi-Fiもなかったし彼への連絡手段がない。

とりあえずお腹が空いたのでマクドナルドに向かう。本場で英語で注文するのは初めてだ。英語が拙い人に親切なはずのないLAXのマクドナルドで、洗礼を受けた。ひとつと言ったのにチーズバーガーが2個運ばれて来たのだ。やけくそになって食べた。

当時パリスヒルトンが女子大生の間で注目を集めていて、彼女たちはジューシークチュールのジャージで旅をしていた。私も例に漏れずそれに憧れ、ピーチジョンでピンクのジャージを買い、この旅に備えた。全身ピンクのジャージを来たアジアの子供。今考えるととても滑稽。

待機2時間頃に、8時間も待てないと気づいた私はカウンターで騒いだ。とにかく騒いだ。どうしても早くアトランタに行く必要があるんだ!と。すると奇跡的に、ひとつ席が空いたか何かで1時間後の便に乗れることになった。

未だにあの時の機内の光景を鮮明に覚えている。隣に座っていたのは、太っちょなお母さんと子供。彼氏に遅延したことも連絡できておらず、ようやく乗れた便の到着は深夜になってしまう。もし深夜に空港から追い出されたら、私は空港の外で夜を過ごさないといけないのか。そんなことを考えたら怖くなって来て、配られた食事にも手をつけずにひたすら寝た。

そして飛行機は無事に着陸した。彼の携帯の電話番号はノートに写していた。勇気を振り絞って、黒人さんのビジネスマンに「ここに電話をしてもらえないか?」とお願いすると、快くかけてくれた!神!

彼は空港でずっと待っていてくれた。とにかく巨大なアトランタの空港、バゲッジクレームを抜けて、彼の姿をみた瞬間涙が溢れそうになった。でもなんとか堪えた。それから車で3時間かけて彼の自宅へ向かった。

若い女の子が初めて海外をひとり旅する、ありふれた話なんだけど、この時私は人生というものに感動しきってしまった。恐怖を振り切って未知の場所へ冒険した自分の勇気、地球には日本以外の国があって、そこでは見慣れない人々が、見慣れない景色の中で暮らしているということ。

海外旅行嫌いが一変し、海外にときめきが止まらなくなったのはこのひとり旅がきっかけだった。当時の彼とはもう連絡も取っていないけど、人生の恩人で、感謝してもしきれない。

ふと懐かしくなって彼のFacebookをのぞいたら、5月20日に婚約というステータスが載っていた。まさかのコロナ結婚?彼には幸せになってほしいなと遠い空からいつも願っている。









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