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アフターコロナの未来予測には、データとマニフェストが重要である

夕暮れをスケッチしていた画家が、次第に移りゆくその様をなんとかキャンバスに描き出そうと苦労していたが、最後は夜になってキャンバスを真っ黒に塗りつぶしてしまった。そんな話をどこかで聞いた覚えがあります。

未来を語ろうとすると、この画家のように頭を抱えるものです。

それというのも、未来は1つには物理学の領域であり、また人間の意志の領域でもあり、歴史観の中で捕らえられるものでもあり、或いはSF的表象の世界の範疇にもあり、アートが「スペキュラティブ」に指し示すものでもある。
明日も未来だし、100年後も未来なわけです。未来という透明な風呂敷はどこまでも広がって、僕を包み込んでしまおうとする。未来に思いはせると途端に、微睡みや、深い眠りに向かうような不思議な気持ちになります。


自己紹介

というわけで、初めまして。
WHITEに所属しながら未来予報士を名乗り始めました、新卒の吉村と申します。

WHITEはシナリオプラニング という方法で未来を形にしてビジネスにしたりしています。具体的に言えば、未来に対する洞察を得るための1つの道具として、シナリオプラニング という手法を使った事業/サービスの開発支援を行っております。

僕はそれに魅了されてこの会社に入りました。つまり、WHITEと私の接点は「未来」なわけです。


それでは未来について語りましょう。


と思ったけど、これがやっぱり難しい。
未来予報士と名乗るからには未来について何らかの一定の見識や知見が必要であるとは感じつつ、実は僕自身困っているところでもあります。なぜなら「未来」というものは、あまりに多義的な単語だからです。

どこからはじめましょうか。
僕は根っからの文系で、嘗てはマルクスにハマってました。
長くなるのですが、1848年の『共産党宣言』をここに引用しようと思います。ペリー来航が1853年、それ以前にここまで「未来=今」を予測していたのはマルクスだけだと思います。変なバイアスなしに読んでみてください。

資本家は、生産用具を、したがって生産関係を、したがって全社会全体を、たえず変革しないでは生きてゆくことができない。【……】自己の生産物にたいしてたえず販路をひろげなければならない必要は、資本家を駆って全地球をかけまわらせる。彼らは、いたるところに巣をつくり、いたるところに住みつき、いたるところに取引先をつくらなければならない。
資本家は、世界市場の開発を通じて、あらゆる国々の生産と消費とを超国籍的なものにした。【……】もはや国内の原料ではなく、きわめて遠い地方で産する原料を加工する工業が主であり、その製品は、自国内ばかりでなく、同時に世界のあらゆる地域で消費される。国産品によってみたされていた昔の欲望にかわって、もっとも遠くはなれた国々や風土の産物によってはじめてみたされる新しい欲望があらわれる。

驚くべきことに、日本でいうところの江戸時代に、このように正確な筆致で未来が描かれていたのです。
なぜここまでの視座を持つことができたのでしょうか。

未来を一つの流れの中に位置付ける


マルクスは社会は発展していくものであると考えていました。
世界の歴史は、国家や地域を超えて、原始的社会、古代奴隷制社会、荘園制に基づく封建社会、資本主義社会と発展していくと指摘したのです。

その背景にあるのは、常に人間が発展・向上させてきた「生産」への視座です。
生活、芸術、法、政府などの上部構造は、生産力(土台)に応じて生成されます。ところが生産力が大きくなるにつれて、制度は実態に合わなくなる。そこで革命が起こると考えました。
マルクスは、向上する生産力に不適合な制度や社会のあり方が、革命によって転覆され更新されていく、それが歴史の法則であると考えたのです。

マルクスのこの歴史観(未来観)に様々な批判は可能なのですが、1つには「来るべき社会」を具体的な表現として提示せず、今ある資本主義を打倒すること、そればかりに注意が払われてしまったことが挙げられるでしょう。しかし裏を返せば、可能的な「ビジョン」として提示されたことで多くの人が解釈する余地が生まれたとも言えるかもしれません。

僕らはここから何を学べばいいのでしょう。

予測可能な未来

1つは、透明なようでいて、じっと視線を向けることで浮かび上がる未来がある、ということでしょう。
例えば日本の人口。
詳細なデータが、あちこちに散らばっています。ここから、20年後に30代がどれくらいの人数いるかなど、様々な予測をたてられます。規模を大きくすれば、イスラム教徒が人口の半分に達するのが何年後だとかそんなこともある程度リアリティを持って予想することができますね。
これって、人間を「群」として見ることで浮かび上がるという特徴があることに注意してください。
他にも、気候変動や海抜の高さ、或る惑星の接近といった人類より大きな規模での予想もある程度可能でしょう。

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予測できない未来=自分たちのビジョン=マニフェスト


2つ目には、マルクスが(意図してか、意図せずしてか)実証してみせた「人間の力」です。
実際、マルクスの描いたビジョンは、長く各国政府を怯えさせ、ソビエトという国家まで作り上げました。それが正しかったか間違っていたかはさておき、未来はビジョンを持った人間によって作ることが可能であると明らかになりました。

芸術史的言えば、1909年に「未来派」という芸術家集団が制作以前に「宣言文=マニフェスト」を掲げ、以降宣言に沿って様々な画家が参加しました。

それまでのように、ある名高い画家を筆頭に歴史を遡ってその系譜を探すようなあり方から(例えば印象派やロマン主義)、マニフェストに共鳴した人間がプロジェクトに参加し、独自に解釈するという方法が一般化したのです。

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(未来派ジーノ・セヴェリーニの「踊り子」)

今で言えば、JAXAが火星衛星からのサンプルリターンを狙う探査機MMXを2024年に打ち上げると宣言(マニフェスト)しています。

劇的な革命が旧時代に夜の帳を下ろしても、次世代の朝は明け続ける。人間は、明日という未来に意思を持って直面する他ないのです。


未来を「予想できる範疇」と「人間の力」に分けようとする思想家として、他にもベルクソンなんかも挙げられるかもしれません。
ベルクソンは、計算と数式で表現できる物質と、物質に意味と時間を与える生命の2方向から宇宙を捉え直します。彼に言わせれば人間の知性はこの2つの方向に発達しており、怠惰で反復可能な物質界に対する物理学的知性に対して、「持続」を思考する「直観」の知性の構築を訴えました。

さて。

未来を考えだす思考はいつも、夜道の散歩のように軽やかな足取りになります。目の前にあるものから思考の波が飛ばされて、夜空の星と心地よく繋がり、あたかも自分で星座を1つ見つけたかのようです。

しかし、そろそろ家に帰らなきゃいけません。

まとめ

まとめると、未来という思考には2つの方向性があり、1つは予想できる未來を「静的なもの」として統計的・物理学的に描き出すこと、もう一方は直観やビジョンによって「動的」なものとして捉えようとするとすること。双方の知性が混じり合うことで未来は作られていくのではないでしょうか。

WHITEがシナリオプランニングを行う際も、複数の未来に対する物理的な準備という意味合いだけでなく、具体的に未来を描写する中で、それぞれの未来シナリオに「好き嫌い」という主観的な判断が交わるように注意しています。
これは「未来は待つものではなく創るものである」という会社の理念とリンクする形で、未来の構成要素として、個人の感情やモチベーションを重視していると言えましょう。

「勿論」と彼は答えた。「ロシアの小説には大地に接吻する農夫の心が書いてある。イタリアの物語の主人公は、恋人の胸の中に海の響を聴いた。僕にはプロペラーの震動です。僕は、社会の進歩は常に人間の夢に依るということをよく知っています」               「弥勒」 稲垣足穂


これから折に触れて、予想できる未来と、ビジョンのようなもの、その中間にあるものなど、未来にまつわる話題やサービスを書いていきたいと夢想しております。


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