本を読むこと。 ~ 医療現場の行動経済学に学ぶ合理的意思決定③ ~
医療現場における行動経済学の話、最終回です。
前回、前々回は人の意志決定におけるバイアスと意志決定に影響を与える因子について行動経済学の観点からまとめていきました。
今回は行動経済学を利用した意思決定に場面における具体的方法論についてまとめていきます。
前回、前々回の記事
https://note.com/futubito_pt/n/n0f54d1592815
ナッジの利用
ナッジとは、様々なバイアスによる意思決定の歪みを行動経済学的特性を用いることで、よりよいものに変えていこうとする考え方をいいます。
ナッジは肘でかるくつつくという意味のある英語のことです。
つまり、行動経済学的な手段を用いて選択の自由を確保しながら金銭的なインセンティブを用いないで、行動変容を引き起こすことがナッジするということになります。
例えば、ゴミがよく放置されている箇所に神社の鳥居の置物をおいたり、ゴミ箱までの足跡をつけたプリントをしたりして、放置ゴミを減らそうとすることをナッジといえます。
ナッジの設計
よりよいナッジの設計にはパターンを分析することが必要です。
本人自身が行動変容を強く願っていいるのかそれとも、本人があまり気にしていなかったことを気づかせて行動変容を起こさせるのか見極めることが大切となります。
前者は現在バイアスや自制心不足が原因となる場合が多く、そのためコミットメント手段(約束)の利用や自制心を高めるようなナッジが有効となります。また、本人に気づきを意識をさせるか、無意識にさせるかはデフォルト(あらかじめ設定されている元の状態)の再設定が有効であるとされています。
後者の場合、外的な主体がナッジを設定することが必要であり、有効であることが示されています。看板の設置や先に述べた神社の鳥居の例などがあります。
ナッジの利用(意思決定誘導)における倫理的批判と見解
ナッジが患者の意思を誘導するものであって、倫理的ではないという反論は多いですが、私達自身が日々の生活の中で「常に選択をする行為」をしているわけではなく、多くはヒューリスティックによる選択に溢れており、そのおかげで私達は些細なことにとらわれずに生活することができています。
医療者は医療に関する知識が豊富にあり、患者が置かれているケースではどういった選択をすればいいかの判断する能力が高いといえます。
そのため、いくら選択に時間をかけても患者や家族が医療者が学んできたコストを上回ることは不可能です。
説明と同意は患者の権利を守るために必須ではありますが、より多くの情報を与えれば与えれるほど、人間の脳は混乱をきたし、人生の大切な選択に考え違いや誤りが生じてしまうこともあります。
これを放置して自己決定権だけ守られていればいいというのは、もはや倫理的とはいえないのではないでしょうか。
医療現場におけるナッジ利用の具体例
リスクを嫌う傾向にある人は一般的な健康行動を取りやすいとされていますが、検診の受診についてははっきりしていません。
それは健診自体がリスクだと考える傾向にあるからだとされています。また、せっかちな人や先延ばししがちな人ほど積極的な健康行動をとらないことがわかっています。
医療健康行動は基本的に「不確実性」の意思決定であるので、リスクに対する態度と医療健康行動には密接な関係があるとされています。
実際にプロスペクト理論に見られるように、リスクを回避しようとする傾向と様々な医療健康行動の間に特徴的な関係があることがわかってきました。
リスク回避的な人ほど喫煙や深酒をしなかったり、肥満じゃない傾向があり、シートベルトの着用率が高いと言われています。
せっかちなや先延ばし傾向の人が積極的な医療健康行動を選択できないのは、将来時点で発生する健康上の利益を割り引いて評価して、現時点で発生する費用が大きくなってしまうことが原因といえます。
この場合は、将来のがんの発生率やそれに伴う医療費用などの損失フレームで失われる費用の大きさを強調することが有効となります。
ナッジの利用方法
1.患者の価値観や大事に思っていることをあらかじめ確認し、その価値観を軸にして選択肢を提示する
2.治療を決めるに際して、考えて置かなければならない重要な項目を優先して提示する
3.決めなければならない項目が何かをあらかじめ確認して共有する
4.意見がわかれることの少ない点についてはオススメを提示する
5.選択肢の提示を比較が容易な3つ4つにとどめるようにする
後悔を減らすための行動経済学の利用
選択における後悔を減らすためには参照点を状況に即したものに意識的に変えていくことが必要です。
例えば、愛する人の死を受け入れずに、死ななかった未来に参照点をもつことで別の選択肢を探すことはポジティブな結果を生むことはありません。
やった後悔とやらなかった後悔ではやらなかった後悔は時間がたつにつれても解消されず、より強くなる傾向があります。
このやりそびれた後悔には参照点が大きく影響します。
つまり行動することが参照点だったのにも関わらず、やりそびれた場合、できたかもしれないことが無数に想像できてしまい、それが後悔になってしまいます。
時間がたち、状況が落ち着き、知識を得た現在の自分とそれ以前の過去の自分とは見える世界、評価の基準が違って当たり前なのです。
そのため何かを決める際には「現在」と「将来」の視点において、長期的な利益を確保するという発想を身につけるよう意識することが重要といえます。
また、後悔は恐れすぎなくなくていいものです。
人は自分の勘定を的確に予測することが難しいことがわかっています。
それは後悔に関しても同様であり、後悔を避けるために極端にリスク回避的選択をしたり、慎重になりすぎて決断のタイミングを逸したりする方が、のちの後悔を引き起こす可能性が高いのです。
パターナリズム(父権主義)による意思決定の誘導
パターナリズム(父権主義)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいいます。
医療従事者と患者が意思決定をする場面(医療面接)では、パターナリズムにより権力が無意識に働いていることに気づかなければいけません。
多くの医療従事者は気づかずに患者の意思決定を誘導しているのです。
そのため、医療従事者は医療面接技術、心理学、倫理学に加えて、行動経済学、言語学の素養も必要になってきます。
また、患者の立場からは、こうした圧力や権力を脇に置き、客観的に状況と将来の利益を判断することが求められ、同時に心理学や行動経済学の素養があることはこうした場面に遭遇した際には役に立つといえます。
その他の医療経済学的予備知識
本書にはこの他、看護師の性格による離職率やワクチン接種における心理パターンなど様々な研究とデータが引用されており、読み物としても面白いと思います。
一例をあげますと、アメリカのある大規模研究では女性医師の方が患者の死亡率が低いというデータがあります。
これは65歳上の高齢者130万件の入院データを解析したもので、男性医師の11.5%に対し、女性医師は11.1%で有意差がありました。
たった0.4%?と思うかもしれませんが、100万件以上のデータを扱って有意差があるのでこれはかなり意味のある数字であるといえます。
これは、女性医師が男性医師よりもガイドラインに沿った治療を行っており患者中心の医療を提供していることと、女性の方がリスク回避性傾向が強く、男性の方が自信過剰でリスクに対する態度が違う可能性が示唆されています。
男性の方が自信過剰で高く確率を見積もりやすい傾向にあるのは前回の記事で述べたとおりです。
まとめ
以上、3回にわたって医療現場における意思決定場面で患者・家族の意思決定場面におけるバイアスや心理に影響を与える因子、それを回避するためのナッジの利用方法についてまとめました。
行動経済学の知識をもつことは医療場面のみならず、ビジネスや組織マネジメントにおいても大変有効になると思います。
現在の状況を客観的に捉え、損失回避よりも将来の利益を考え、行動に移すことがもっとも後悔が少なくなる方法といえます。
私は医療職の立場として、よりよい選択肢を患者さんに与え、行動変容を促すことが求められます。その具体的方法論を学ぶために本書を手にしましたが、様々な立場に置き換えて読むことでより多くの視点から行動経済学を学ぶことができました。
ぜひ皆さんにもオススメしたい一冊です。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
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