因果応報2【怖い話リライト】
忘れられた代償
これは、ある友人から聞いた話だ。坂本というフリーターがいて、彼がなぜ突然上京してきたのか、その理由を酒の席でしつこく訊いた時のことだ。
その夜、何度も質問を浴びせられた坂本は、酔いが回っていたのか、「絶対引くなよ」と前置きして、話し始めた。
地元で大学を卒業し、地元企業に就職。実家暮らしで、特に問題のない生活を送っていた。そんなある日の夕方、早めに仕事が終わって、いつも通り家に向かって歩いていると、向こうから一人の女性が近づいてきたという。
最初はただの通行人かと思ったが、その女性は急に坂本に駆け寄り、親しげにこう言った。
「坂本さん、久しぶり!元気だった?」
だが、坂本にはその女に見覚えがなかった。困惑しつつも、咄嗟に無難な対応をするしかなかった。「ああ、久しぶりー、元気だよ。そっちは?」。どこかで会った人かもしれないが、記憶にない。返答しながらも、脳内では誰だったか必死に探っていた。
すると、その女はニコニコしながら、鞄から紺色の小さな手帳を取り出し、坂本に見せつけた。手帳には金文字で『障害者手帳』と書かれていた。
坂本は一瞬ぎょっとしたが、彼女には特に障害があるようには見えない。しかし、彼女がその手帳を開けて見せた瞬間、坂本は全身が凍りついた。そこには彼女の顔写真と「精神障害者」と書かれた文字。そして、障害等級2級の記載。名前を見た瞬間、坂本はようやく思い出した。
彼女は中学時代、坂本がいじめていた同級生、道代だった。
驚愕する坂本に、道代は微笑みながら、こう言った。
「覚えてないでしょう、坂本さん。でも私は、この十年、一日だってあなたのことを忘れたことがなかったのよ」
その声は優しく響いたが、瞳の奥には狂気が宿っていた。そして、道代はこう続けた。
「でも、大丈夫。今はこの手帳が私を守ってくれる。人一人殺したとしても、きっと報道規制がかかるわ。情状酌量の余地もあるでしょうね。でも今日は道具がないから無理だわ。またの機会にね」
そう言って、軽く手を振りながら彼女は去って行った。坂本はその場で腰を抜かし、動けなくなったという。彼女が何か刃物でも持っていたら、間違いなく殺されていただろう、と坂本は震えながら語った。
その日以来、坂本は恐怖に囚われるようになった。同じ町内に住んでいる道代が、いつまた現れるかも知れない。深夜、彼女が包丁を持って家に押し入ってくるかもしれない。そんな不安が四六時中付きまとい、坂本はノイローゼ状態に陥った。そして、もうここにいては命が危ないと悟り、夜逃げ同然に上京することを決意したのだ。
坂本の話を聞いて、その場の全員が言葉を失った。彼の犯した罪が、まさに自分に返ってきている。それを「因果応報」と呼ぶのだろうか。彼の語った言葉の重さに、誰も何も言えず、ただ静かにその場を後にするしかなかった。