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すべての物事は数式で表せるというけれど<前編>ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」⑱

自然科学は、あらゆる自然現象に対する素朴な「なぜ?」を究極まで追求する営みです。
それは例えば、小噺としてよく出される「リンゴが木から地面に落ちるのはなぜ?」というものから、「我々がこの世に存在するのはなぜ?」というものまで、あらゆるレベルで当てはまります。元をたどればこれらは、古代文明の時代から人類が抱いてきた素朴な疑問です。

「確からしさ」の尺度

しかし、いくらでもそれらしい仮説を立てることはできるものの、その仮説を検証するには何らかの「確からしさ」の尺度が必要になります。
科学においてその尺度の役割を果たすのが数学です。数学は、「大きい」「小さい」「速い」「遅い」といった曖昧な概念に具体性を持たせ、また個々の事象から抽象的な法則を浮かび上がらせます。こうして現象から理論が構築されていくと、やがて理論が現象を予言できるようになります。この手続きを繰り返していくことで、自然現象を記述する数式たちが組み立てられていきます。しかし、どんなに大層な理論が構築されても、それは結局「自然現象を上手く再現するシナリオ」以上のものではない、ということは肝に銘じておかなくてはなりません。

なぜをひたすら続けると

数学でも物理でも、「なぜ」という問いをひたすら続けていくと、どこかの段階で堂々巡りに陥り、どう考えても答えの出ない問いまで行きつきます。そのとき、理論の連鎖の源流に当たる命題を、「原理」や「公理」という名のもとに「正しい」、と仮定するほかに方法がありません。これは科学の限界であるとともに、美しさでもあります。つまり、いくつかの「原理」や「公理」だけを仮定すれば、個々の事象は自然な演繹で導かれるという、いわば「なんでも理論」を構築出来るような枠組みになっています。
当然、実際にはそう簡単には行かないわけですが……。

この美しさは、実際の例で確認するのがもっとも分かりやすいでしょう。そのためには物理の言語である数学を使わずには不可能です。
次回は数学を用いて検証してみましょう。

プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。

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