組織構成におけるジェンダーの闇

いつも周りを女性しかいない男性がいる。



これはモテているとかではなくて、仕事において、女性で周りを固めているというか、なぜか同性を近くに置かない経営者やプロジェクトオーナーがいる。

女兄弟の中で育ったとか、そういう発達の過程で自然と女性との方が仲良くなる、という男性も一定数いるが、そのタイプではない場合、本人が意識しているかどうかは別として、女性の方が都合よく使いやすいためにそうしている可能性がある。



これは実際にそういう人と仕事をして気づいたことだけど、最初は全然意識していなかった。チーム内に他にも男性がいないことはなかった。でも、デイリーなやり取りや、細かいケアをするのはいつも女性。男性たちは、他に掛け持っている仕事に集中していたり、関わるのは最低限で、それ以外の時は存在感が薄い。彼らに対しては横柄に振舞うことはないのに、一方で女性メンバーに対してはワガママなことを言ったり、余計な一言や暴言も度々だった。それは、女性たちが献身的になればなるほど、エスカレートするようだった。

古いタイプの企業なら、社長秘書が女性だとか、「サポート」する側が女性だとか、そういうことはこれまでもよくあった。けれど、それは後述するように、女性自身が家庭など様々な事情からそれを選ばざるを得なかった部分もあるように思う。ある程度の企業の場合は人事については複数の人が関わるので、必ずしも1人が思うような人選になるわけではないだろう。

女性を下にみているから、ものを言いやすい、使いやすい、いうことを聞いてくれる、身体的にも自分自身の方が強い場合が多いので、その意味でも優越感がある。同性同士のマウンティングに応じずに済む。結局のところ、ここにも意識無意識関係なくミソジニーからくる心理が働いているのではないだろうか、と思うようになった。

過去、逆に真の意味で優秀な人が、プロジェクトのために人を集めると、自ずと国も年齢も性別もバラバラの構成になっている、という状況も経験している。チームでうまく成果を出せるのは、こういうオープンな態度も下支えしていることは間違いないだろう。安心して意見を出せ、いろいろな立場や視点が混ざりあい、アイディアは強固なものになる。

今働いている部署でも、男女の構成こそ半々だが、肩書きがつくポジションは、全員男性で固められており、女性たちがいくら仕事ができても「一般事務職」の地位。これには結局、母親であるからそこまで仕事にコミットできないとか、長時間働くポジションは遠慮したいとか、本人の意思を含め事情はあるにせよ、それも結局育児や家事負担が女性に課されているケースが多いからだ。教育もそうで、小さい頃から周りの大人の言動や行動によってこれらジェンダーの押し付けられた役割が内面化してしまてっている。

これを最初に書いたのはもう3週間ぐらい前。世間は今森氏の発言問題に注目しているけれど、女性ですら、バイアスを持ってしまっている可能性は高い。
私もその1人だと思う。知らず知らずのうちに、誰がやってもいいのに全員分のお茶を淹れていたり、手伝い始めてくれるのだって同僚の女性だったりする。そういう時は、はっと気づいて手を止め、セルフサービスでいいっすねー、とか、片付けはよろしくっ、とドライにお願いするなど、小さいところから意識と行動をどんどん変えていかねば。本当の意味でフラットな関係性が築けるかどうか、を基準に自らも自分の居場所を選んでいかなくてはならないと思う。

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