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眠りの森の植木屋さん 第三話「茂みの中の迷子達」


 ああ、また思考がれた。

 私は財布を差し出しながら、焼き肉屋であずみちゃんに言われた言葉を思い出していた。

「花。白髪、一本ピーンと立ってるよ。」

 三十六にもなれば、自分の肉体に老化を感じる事も少なく無い。初めて白髪が生えたのはここ一年程の話で、慌てて周囲に聞いてみたらむしろ私は遅い方らしかった。

 つまり、たかが一本だけ白髪が立っているくらい優秀な部類だし、そしてそれは普通なら気付かないような些細な事であったり、仮に気付いたとしても見て見ぬ振りをするような話なのだ。

 けれどあずみちゃんは、思った事を衝動的に口にしてしまうへきがある。それはこの同調圧力の強い社会では彼女を守る武器になる事もあるし、私は彼女のそんな所が嫌いでは無い。

 だけど私は私で、一度気になってしまった事を思考から切り離すのが苦手という厄介な特性があって、今日は二人のそういう部分が悪い方にガッチリとハマってしまったのだ。

 お辞儀をしている私の頭頂部は、今、正に、この新見にいみ高虎たかとらさんの面前に差し出されているのだと、頭を下げてから気が付いた。

 ああ、新見高虎さん。戦国武将みたいで素敵なお名前ですね。私、戦国時代と幕末はちょっと好きなんです。いや、そんな事を考えている場合じゃ無くて、そう、白髪、私の、ピンと一本立っているらしい白髪、その白髪を、初対面の異性に見せつけてしまっているじゃないか。

 お財布を受け取ろうとした高虎さんの指が当たり、想定外の人肌の感触に私の指が小刻みに跳ねた。それを切っ掛けにして、暴走していた意識が戻り視界が開ける。

 反射的に見上げると目が合い、白髪に気付かれたかなと思うと恥ずかしくて仕方が無くなって、自分の顔がみるみる赤くなっていくのが分かった。だって、白髪。やめてやめて勘弁して下さい。何で私は今日帽子を被ってこなかったのか。いや、被っていたらお辞儀をする時に外しているから結果的には同じかな。バレエ教室を経営している母親の元に生まれたのだ、礼儀作法は厳しく教えられた方だという自覚がある。

 ああ、また思考が逸れた。

 そう、そんな事より、お財布。お財布を、お返し出来て良かった。あれ?どうして高虎さんの顔まで赤くなってるの?

 白髪?白髪がバレた?いや違うんです、これは、私が黒髪だから目立つだけで、三十六歳ならこのくらい当り前ですから。いや待って、それで顔を赤くするのもおかしな話か。

 不思議に思って目が合ったままのその顔をよく見ると、どちらかと言うと好意的な、そして照れを含んでいるような、つまり、異性として私を意識しているような表情かおだった。

 ああ、高虎さん、違う、おそらく違います。私は、貴方がイメージしているような女性ではありません。止めて止めて、期待しないで。

 ーーーーー思い起こせば、今までの人生で「見た目と中身が違う」という類いの言葉を何度言われた事があるだろうか。

 黒髪のセミロングで、細身で、バレエをやっていて、よく着ているのはロングスカートやワンピースや白い服。読書と映画が好きで、大声を上げたりするのは苦手で、そして、足がちょっとばかり不自由で。

 それらの情報からはじき出される人物像の相場は、「女らしい」「内気」「おしとやか」「守ってあげたい」といった類いのものらしい。

 黒髪なのは単にカラーリングが面倒だからだし、細身の体型を維持しているのは足に負担がかからないようにで、ストレッチは欠かさないのでむしろ筋力はある方だ。服装の趣味は単にバレエ教室で生まれ育った影響で、流行には興味が無いのでただただ惰性でそういう服を好んでいる。感情表現や声量の調節が苦手で油断すると不必要に大きな声を出してしまうため、必死に声を絞り続けてそれが普段の声量として定着した。なので、せっかくの笑い声すら小さくなる始末。本当は、あずみちゃんみたいに大声で笑いたい。

 そう言えば、中学の時にそんな私の笑い方が一部の男子の間で好評だったとかで、クラスの気の強い女子二人組から反感を買った事がある。わざとらしいだの媚びを売っているだの、散々な言われ様だった。

 私が事故に遭って学校に復帰した後も、周りが私に気を遣ってくれる事が気に入らなかったらしく、何かとチクチクやってきてくれた。私に聞こえるか聞こえないかの絶妙な声量で、「あんだけ調子に乗ってたくせにもうバレエ踊れないとか哀れ」だの「悲劇のヒロインぶってんじゃない?」だの「足の指が無いなんて気持ち悪い」だの言っては歪んだ笑みを浮かべるのだ。

 事故以前は聞き流していた二人の雑音を、私は我慢出来無くなっていた。それまでバレエしか知らなかった人生が百八十度変わってしまう戸惑いや、三本の指が欠けた事により自分の身体や生活がどうなってしまうのかという不安、そして実の娘がそんな戸惑いの真っ最中に居るというのに、ただただ私がプロのバレリーナになる事は無くなったのだと、その一点のみにショックを受けている母親の姿、それらでもうお腹いっぱいだったのだ。

 ある日の休み時間、また二人組が私を見ていびつに笑っている姿が視界の端に映り、私の中で何かのネジが外れた。私は気が付くと椅子から立ち上がり、一直線に二人の前まで歩み寄ると、ただただ丁寧に「やめて下さい」と言った。

「は?別にあんたに言ってないし。」

「自意識過剰なんじゃ無い?」

 最初はそう言って笑っていた二人組も、数日すると次第に顔が曇っていった。

 二人が何かを言う度に、私がその二人の前まで行って、ただただ「やめて下さい」と言い続けたからだ。他にいくらでも方法があったと思うが、そんな人達のために頭を使う事すら脳みそが拒否していたのだと思う。

 決して声を荒げるわけでも無く、泣いたり怒ったりするわけでも無い。そんな女が、ひたすらに淡々と「やめて下さい」と繰り返す。どんなに笑われようと、時には怒鳴られようと、明らかに周囲から引かれていようと、「やめて下さい」「やめて下さい」「止めて下さい」と、壊れた幼児向けのおもちゃのように。

 その様は、和製ホラーさながらの光景だった事だろう。

 ある雨の日、いつも通り「止めて下さい」と言った私に、二人組のうちどちらかと言うと率先して私にちょっかいを出していたショートボブの女の子が、一転して怯えたような表情になり、まるで幽霊に向かって大声で一括するように言った。

「……分かった、分かったから!!もうしない、もうしない!!」

 それからピタリと嫌がらせは止んで、二人組は私と顔を合わせなくなった。

 ーーーーーああ、また、思考がれた。とにかく私はむしろ気が強いのに、それでも周囲から、特に、取り分け何故か異性から、か弱い存在であると映りやすいらしい。

 三十二歳で別れた恋人も、私に対して“か弱い存在“である事を求めて居た。別に元恋人との事を引きずっている訳では無いけれど、もういい、もういい。もう、いいのだ。

 そんな事より、そもそも私はこれからあずみちゃんお勧めのカフェバーに行く予定だった。よし、高虎さんのお財布もお届けできたし、一件落着。

「ねぇ、あれ、あんたの連れ?」

 あずみちゃんの言葉に、やっと私は先程から聞こえていた叫びにも似た声が、高虎さんを呼んでいるのだと言う事に気付いた。声の主を見ると、高虎さんのご親戚か何かなのか、おそらく高虎さんより十歳ほど年上らしき小柄な男性が、二人のお巡りさんに囲まれながらこちらに手を振っている。

 苦笑いを浮かべている高虎さんに、あずみちゃんがまた思い付きで物を言った。

「面白そうだから着いていくよ。ほら、花も。」

 高虎さんの苦笑いが、驚きの表情に変わる。けれどあずみちゃんは、高虎さんや私が口を挟むより先、私の手を掴んでズンズンと歩き出した。その後を慌てて高虎さんが追う。これじゃ、あべこべだ。


・・・・・


 それから、約四十分後。

 なぜか私達はフレンチレストランの店内に居て、二名分のコース料理を四人で囲んでいた。

「鴨のコンフィでございます。ソースはイタリア産の最高級バルサミコと国内産の蜂蜜を使用しております。」

 店員さんは丁寧に料理の説明をした後、二人用のテーブルを無理矢理四つの椅子で囲んでいるこの状況に若干の戸惑いを見せつつも、私と、そして私の対面に座っているあずみちゃんの前にお肉の乗ったお皿を置いた。

「あの……柳川やながわさんか高虎さん、どうぞ……。」

「いいんですよ、僕達はスープとサラダでお腹いっぱいです。無理に誘ったのはこっちなんですから、遠慮せずに食べて下さいね。」

 私が声を掛けると、高虎さんの幼なじみの柳川さんが、何だか仕事中の営業マンのような目力を放ちつつ、サイズの合っていないジャケットの襟を正しながら言った。高虎さんよりずっと年上だと思っていたけれど、お二人は同い年の幼なじみという話だった。そしてどうやら、私とも同じ年の生まれらしい。

「いえ、あの、私達、焼き肉を食べてきたばっかりなんです。なので…。」

「じゃあ、遠慮無くいただこう。」

 私が言い終わらないうちに、私から向かってテーブル右隣に座っていた高虎さんが、鴨のお皿をひょいっと持ち上げた。その様子を見た柳川さんは、何やら言いたげに高虎さんをにらんだが、高虎さんは嬉々としてフォークとナイフを走らせ、「コンフィが何なのか知らんが、美味いな」と満足そうだ。

「ああそうか、肉体労働でお腹空いてるんだろ?いいんだ、たんと食べろよ。それにしても、焼き肉の後だったんですね、それじゃ無理強むりじいは出来無いな、もう一つは僕が…。」

 柳川さんはそう言ってあずみちゃんの方に視線を向けたが、鴨の三分の二は既に彼女の胃袋に収まっていた。柳川さんの言葉を拾って、あずみちゃんが高虎さんに質問する。

「肉体労働って、建築現場とか?ガタイ、いいもんね。」 

「いや、俺は所謂いわゆる街の植木屋さん。」

「僕は税理士です。」

 その会話に柳川さんが割って入る。入店時に上着を脱いだ高虎さんの中身は作業着で、柳川さんと「フレンチなんだぞ」「お前が仕事帰りに呼んだんだろうが」と揉めていたが、店員さんは特に気に止める様子も無くそのまま案内してくれた。高そうなお店ではあるけれど、高級ホテルのフレンチならいざ知らず、ドレスコードまであるような所では無いのだろう。

 そんな事より、四名なのに二人分の料理ではお店に申し訳無い。そう思っていると、まるで私の心の中を見透かしたようにあずみちゃんが言った。

「おっ、税理士か。じゃあ、ワインはボトルでいっちゃおう。あと、花には先にデザートね。私は肉のお代わり。……すみませーん、ワインリスト下さーい。」

 今日の支払いは、全て柳川さんが持って下さるという話だった。何でも、デート相手にすっぽかされたものの、今更料理をキャンセルしても当日だとキャンセル料は満額かかるとかで、それならばとお友達の高虎さんを呼んだらしい。そして、何故かその高虎さんと一緒に居た私とあずみちゃんに、「絶対に怪しい者では無いし変な事もしないのでどうか一緒に来て下さい!」と、鬼気迫る勢いで懇願こんがんしてきたのだ。

 あずみちゃんが二つ返事で「いいよ」と言った後、自称怪しい者では無いらしい柳川さんが「ありがとうございます!」と返したのは、明らかにあずみちゃんの豊満な胸の谷間に向けてだったけれど。

「いやぁ、いいですね。僕、沢山食べる女性も沢山お酒を飲む女性も好きですよ。……あっ、もちろん、小食な女性も、可愛らしくて好きです。」

 あずみちゃんがワインを注文した後、柳川さんが私とあずみちゃんをキョロキョロと見比べるようにしながら言った。

「お二人は、どういうお友達で?失礼ですが、ご結婚はされてるんですか?」

 結婚というその言葉に、先程からずっと食事に集中していた高虎さんが少しだけ反応したように見えた。そう言えば、鴨のお皿の下り以降、ずっと黙ったままだ。私の方には目もくれない。何となくその横顔を眺めていると、グラスのお水を口に含んだ。お酒は普段から飲まないのだろうか。

 あずみちゃんが自分はバツ2だと柳川さんの質問にあけすけに答え、私達の出会いが私の母親のバレエ教室だと語り始めたあたりで、二人の会話に耳を傾けていた高虎さんが、自分の左耳を軽く引っ張るような仕草をした。そう言えば、先程から何度かこうやって左耳に手をやっている。

「耳を触るの、くせなんですか?」

 ぽつりと呟く様に話しかけたが、私の声が小さ過ぎたらしい。引き続き目の前の会話に聞き入っている高虎さんに、私は少し大き目の声で話しかけた。

「あの!!」

 声量の調節が苦手な私が注意を引く為に口に出したその声は、隣のテーブルの人までもがこちらに注視してしまうような大声で、一瞬にして周囲の視線が私に降り注いだ。

「す……すみません、すみません。」

 周りにペコペコと頭を下げていると、高虎さんが「ごめんな、何か俺に言ってた?」とやっと私に顔を向けてくれた。

「いえ、こちらこそすみません……。」

「いや、多分、何回も話しかけたのに気付かないからイラっとしちまったんだろ?俺が悪い。」

 声が大きくなったのは、決して感情が荒ぶったからでは無い。けれど、高虎さんは謝る私を制しつつ、自分の左耳を指差して言葉を続けた。

「こっちの耳、聞こえてないんだ。生まれつき。」

 私は、人の気持ちや言葉の意味の裏側を察することが苦手だ。高虎さんのその言葉に、何と返すのが正解なのか分からなかった。いや、きっと普通でいいのだ。私だって足の事を話す時は、例えば普通の人より走る速度が遅いとか、そういった事情を知っておいて欲しいからで、単なる連絡事項として打ち明けるだけだ。むしろ、同情や特別視が返ってくる事は面倒臭い。

「そうなんですね。」

 私がそれだけ言うと、高虎さんの視線は再び目の前の二人に向けられた。

 そもそも、このお店に入ってから高虎さんはずっと仏頂面だったのだ。きっと、私の何かが彼を不快にさせたのだろう。私の言動で、気付かないうちに相手を傷付けたり怒らせてしまう事は度々ある。駅の階段で見ず知らずの私を助けてくれようとした優しい人なのに、申し訳無い。

 それから私は、あずみちゃんが注文した高そうなワインを淡々と消費した。ちらりと高虎さんを見ても、やっぱり視線は真っ直ぐのままだ。ふと、駅で向かい合った時に私に向けられた好意的な眼差しを思い出し、何だか少し寂しくなった。

 翌朝、あずみちゃんのペースに合わせてワインを飲んだ事を後悔しつつミネラルウォーターを取り出そうと冷蔵庫の扉を開けると、何とも奇妙な事に、ヨーグルトの横に不必要に冷え冷えになった二枚の名刺があった。

 そう言えば、別れ際に柳川さんが「いつでも連絡して」と私とあずみちゃんに名刺をくれたのだった。そして柳川さんは高虎さんにもうながし、高虎さんは「植木屋の名刺なんかいらんでしょうよ」と言いつつも渋々差し出してくれたのだ。

 私は、人の気持ちを察する事が苦手だ。それから、困った事に自分の気持ちにも鈍い。

 一晩経って、やっと気付いた事がある。
 
 普段は人からどう思われようとお構い無しで、思春期真っ只中に周囲の視線など一切無視してクラスの女子をあんな奇行で撃退したこの私が、「勝手に期待されてがっかりされたくない」と、そう身構えていたくらい、彼に対して好意を抱いているのだ、と。

 高虎さんの名刺を手に取ってにらめっこしたものの、数年ぶりに湧いたこの感情をどう処理していいか分からず、私はそれをそっと引き出しに仕舞い、いそいそと洗面台に向かうと、一本ピンと立っている忌々いまいましい白髪を毛抜きで抜いた。





 次回、第四話
「答え合わせ」に、つづく

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