眠りの森の植木屋さん 第二話「落葉樹(らくようじゅ)の王子様」


 植木屋の繁忙期は、大きく分けて二回。

 一つは、梅雨明けからお盆前。雨で栄養を蓄えた草木が一気に成長する季節で、そしてお盆の来客に備えた需要が多い時期だ。

 もう一つは、秋から年末にかけて。次々と枯れ葉をまき散らす落葉樹の剪定と、正月に向けての依頼、それらをこの短期間に集中してこなす事になる。

 もちろん請け負っている仕事はそれぞれなので一括りには出来無いが、少なくとも兄弟二人だけのこの小さな植木屋事務所の十一月のスケジュールは無茶の一言で、一日も休みが無いまま下旬に突入した。

「明日はやっと休みか……あー、身体中が痛ぇ。」

 軽トラの助手席で、弟が安堵のため息を吐きつつ呟いた。それから次々と嫁さんや子育てへの不平不満が続くのを聞き流していたが、いい加減うるさかったのでストレートに「もう黙れよ」と一括する。

 疲れているのはこっちだって同じだ。その上、愚痴を聞かされては堪ったもんじゃ無い。なのに、この御目出度おめでたい頭の造りをした弟は、独り身の俺の嫉妬だと言わんばかりにニヤついた顔でこう返した。

「何だよ兄ちゃん機嫌悪いなぁ、まだ婚活のショック引きずってんの?」

 単純に自分が煙たがられているとは思わない愚弟ぐていの態度にイラついたのと同時、まだ笑い話には出来無い程度には傷跡が残っているらしい事に気付き、ドッと疲労感が倍増した。

 夏のうだるような暑さが去り、かと言ってまだ枯葉が舞うには早い九月の終わり、仕事の閑散期で比較的暇を持て余していた俺は、人生で初めて婚活という物に片足を突っ込んだ。同じく独身の幼なじみの柳川やながわに一緒に来てくれと泣きつかれ、そいつの奢りで飯が食えるという話だったので暇潰しがてら街コンというものに参加したのだ。

 その日俺は、実にささやかなものではあるが、久々のモテ気分を味わった。その街コンは近隣の飲食店を自由に回るという大がかりな形式のもので、最初はあくまで付き添いとして食事に徹するつもりだったが、職業柄もあって初対面の人間と話す事に抵抗が無い俺は意外と会話が盛り上がり、三人程から連絡先の交換を求められたのだ。

 三十代半ばで独身、恋人無し。仕事上での独身の異性との接点と言えば、七十代以上の後家さんくらいだ。この街コンでの経験は、そんな俺を調子付かせるには充分だった。とは言っても、そのまま婚活に励むつもりも無かったのだから、つまり、このちょっとイイ気持ちになった程度の所で止めておくのが正解だったのだろう。

 そうすれば、わざわざあんな惨めな思いをする事も無かったのだから。

 調子に乗った俺は、柳川に再度誘われるがまま、翌月に開催された『三十代限定お見合いパーティー』なるものにも参加してみた。そこでの結果は、大惨敗。

 婚活初心者だった俺は、街コンとお見合いパーティーの違いを全くもって理解していなかった。異性と出会いたいという程度の軽い気持ちで参加するのが街コンで、結婚に直結するような真剣な交際を求めて参加するのがお見合いパーティーらしい。

 そして決定的に違うのは、そのシステムだ。誰と会話するかは完全に自由で、飲食の場に放り出されてお互いの身一つで会話が始まるのが街コン。強制的に異性全員と会話する時間が設けられていて、お互いのプロフィールを書いた用紙を交換した上で会話がスタートするのがお見合いパーティー。少なくとも、俺が参加したこの二つに限って言えばそうだった。

 この日も、対面に着座して挨拶を交わすまでは好意的な眼差しを向けられる事もあったのだ。別に自分の見た目が特別良いとは思わないが、体格に恵まれたお陰か学生時代はそこそこモテていた自覚はある。そして、男も三十代半ばともなれば早いヤツはハゲ始めるし体型が崩れていく中、ふさふさ家系の遺伝子と肉体労働がそこそこのラインをキープしているらしい。

 ところが、プロフィール用紙を交換した瞬間にその眼差しは一転した。明らかに消化試合のような態度で相づちマシーンと化す女や、一瞬にして精神的な壁を張る女、そして挙げ句の果てに嘲笑する女まで、実にバラエティに富んだ拒絶のオンパレードを繰り広げられたのだ。

 確かに俺は一介の街の植木屋で、年収も同年代の平均よりずっと低いだろう。そしておそらく、女達にとって最大の判断基準とされたであろう高校中退にしても、学歴を馬鹿にされるなんて今更だし、若い頃にはそれで捻くれもした。しかし、歳を重ねて色んな人間と接していると、低学歴というだけで色眼鏡で見てくるようなヤツこそが大した器の人間では無いのだと分かってくる。

 高校を出ていないからと言って周囲に迷惑をかけるわけでも無いし、法律を犯しているわけでも無い。それどころか、ちゃんと手に職を付けて自分自身を食わせているのだから立派なもんだ。もしそれで赤の他人にいわれの無い悪態をつかれて堂々とできないのならば、それは俺の気の持ち様の問題なのだと、この『イイ歳』になった俺はもう知っている。

 とは言え、約三十人の異性から立て続けに“男としてNO“という判断を突きつけられ、それに対して一切傷付かずに居られるような強靱きょうじんなハートを持ち合わせていると言うならば、俺はそれこそ植木屋などでは無くどこか名のある寺院の高僧にでもなってあがめられているところだろう。

 助かった事に、その後ちょうど繁忙期が待っていた。早朝から晩まで仕事に走り回り、目の前の事に忙殺されるうちにすっかり忘れていたというのに、わざわざ実の弟がその悲壮な記憶を甦らせてくれたのだ。

「兄ちゃん、若い頃は結構モテてたじゃん?ウチの姫華ひめかだって、ガキの頃は兄ちゃんに憧れてるとか何とか言ってたもんな。」

 姫華と言うのはキャバ嬢の源氏名では無く、弟の嫁さんの本名だ。弟とは小中高の同級生で、俺にとっては二年後輩にあたる。見るからに元ヤンキーといったこの二人は十九の時にデキ婚をして、現在十五歳の長女、十三歳の長男、そして五歳の次女と計三人の子どもが居る。

 基本的に夫婦仲は良いようだが、夫婦揃って短気なので喧嘩も多い。今朝もトイレの使い方で一悶着あったと、つい先程愚痴られたところだ。その八つ当たりなのか何なのか、弟の無駄口は止まらない。

「中学の時なんか、あれ、何がきっかけだったっけ?一部の女子からサッカー部の王子とか呼ばれてたじゃん?こんなゴツくて人相の悪い王子が居るかよってウケたけど、モテモテでさ。なのに、今じゃあの変人の柳川さんと独り身仲間で、ウキウキで出かけた婚活の場で見向きもされないなんて、人生どうなるか分かんねぇよな。」

 ウケケケケ、と、心底不愉快な笑い声が車内に響いた。そのタイミングで事務所であり俺の元実家であり今は弟一家の住まいに到着し、俺は自分の荷物だけ掴むと「道具の手入れ、きちんとしとけよ!」と吐き捨てるように言い、運転席から飛び降りた。

 仕事を押しつけられた弟の絶叫が背後から聞こえてきたが、今度は俺の高笑いが十一月の夜空に響いた。

 事務所から一人暮らしのアパートは、一駅しか離れていない。普段なら徒歩でも余裕な距離だが、さすがに肉体労働十六連勤ともなると足は自然と駅に向かった。

 住宅街の夜道を進む途中、大きな公園の中を横切ろうとすると足元に紅葉もみじの絨毯が広がっていた。紅葉もみじと書いて紅葉こうようと読むように、落葉らくようの前に葉の色が変わる代表的な植物だ。

 その姿は観光の対象になるほど持てはやされるが、色付きもピークを過ぎると大量の落ち葉を散らし、その上に雨でも降ろうものなら、一転、ぬかるみの原因として厄介者扱いだ。山林ならそのまま腐葉土になるが、庭木の場合はご近所トラブルに発展する事も多いし、こうして公共の場でまき散らせばシルバー人材センターのじいさん達がせっせと落ち葉かきをする羽目になる。

 一瞬、まるで俺みたいだなという自虐が浮かんだ。いかん、疲れが溜まっていると気持ちまで暗くなるもんだ。何か美味いものでも買って帰るか、それかいっそ、スーパー銭湯にでも……そう思っていたタイミングで、くだんの柳川から通話の着信が入った。


 ・・・・・


 正直、柳川と外食をする事は、好きか嫌いかで言えば嫌いだ。なぜならあいつは所謂いわゆるクチャラーで、何度注意しても鼻が悪いから仕方が無いだの屁理屈ばかり言って直そうとしない。例の街コンの時も盛大にクチャクチャとやらかし、周囲の女性陣をドン引きさせていたものだ。

 単なる飯の誘いだったら疲れている事を言い訳にして断ろうと思っていたが、三十六になるおっさんが男泣きしながら通話してきたのだから、さすがに見捨てられなかった。

 柳川曰く、マッチングアプリで出会った女が、待ち合わせのその場で帰っていったらしい。

「店だって予約してたんだ!せめて親友のお前が一緒に行ってくれなきゃ、俺はもうこの場から一歩も動かないからな!!」

 親友になった覚えは無いが、スマホ越しにそう言う柳川の声は所々しゃくり上げながらで、心底情け無かったが、それはある種の気迫を含んでいた。そして、二年後輩の弟達ですら当然のように認知しているこの変わり者で有名な男ならば、本当にそのまま朝まで立ち尽くして周囲に迷惑を掛けかねないだろう。

 ちょうど俺が向かっていた駅から二駅先の駅前に居ると言う話だったので、俺はかなり渋々ではあるが、中年男が涙を流しながら立ち尽くしている現場に向かう事にした。

 とは言っても、気は進まない。そもそも十六連勤を果たした肉体は鉛の様に重いし、相手が美女ならともかく薄毛でチビのおっさんだ。俺はホームに電車が入って来るというアナウンスを無視し、交通系ICカードのチャージでもしておくかと券売機に向かい、チャージついでに近くにあった自販機でホットの缶コーヒーを購入してその場で一息着いた。

 住宅街の小さな駅とは言え、週末の夜。先程到着したらしい電車から流れ出た勤め人達で周囲が一気に溢れかえる様を見ながらコーヒーを口に運ぶ。

 その雑踏の中、人々の流れに逆らってホームの方に向かって進んでいる、やたらと縦にも横にもデカい派手な格好をした太っちょの姉ちゃんが、これまた大きな声を上げて馬鹿笑いをしていた。真っ黒なファーコートを羽織ってはいるが、半乳を放り出した様な服装は、この寒空の下では色んな意味で注目を集めている。ある意味で若々しくもあるので脳が「姉ちゃん」と判断したが、よく見るとそこそこ年齢としはいっていそうだ。おそらく、俺と同年代だろう。

 その横には、その姉ちゃんの連れとは思えないような、薄化粧にロングスカート姿の、清楚な細身の姉ちゃん。太っちょがギャハハと笑う度、これまた対照的にクスクスとおしとやかな笑みを浮かべている。

 横の化け物との差で視覚効果が働いているのか、その笑顔が何だかやたらと可愛く見えて、俺は何となくその姉ちゃんを目で追いつつ、自分も重い腰を上げてホームに向かった。

 二人は、ホームに続く階段の手前に設置されてあるエレベーター前でしばらく足を止めたが、背後からベビーカーの客が来ている事に気付くと譲るようにして再び階段に向かった。そのタイムロスで、ちょうど二人組の背後に俺が来る形になった。

 おそらく、太っているから階段が面倒でエレベーターを使いたかったのだろう。しかし、健康のためにも階段を使った方がいいぞ、がんばれ太っちょ!それにしてもその右側の姉ちゃんの方は、本当に内臓が入っているのか疑わしいくらいほせぇなぁ。華奢きゃしゃっていうのは、この人みたいな事を言うんだろうな。顔もっさ!!

 心の中で見ず知らずの二人組に対して妄想を繰り広げていると、階段の終着点、ホームと階段の境目のどう考えても邪魔な位置に外国人のグループが円を組むように突っ立っていた。俺も目の前の二人も、自然とそこを避けるように斜めに階段を登る形になる。

 次の瞬間、ホームの方から酔っ払いらしき若いサラリーマンが不自然に大手を振りながら出現し、階段を下り始めたかと思うと、その右手に握られていたスマホがスポンと手から抜け、反動で空を舞った。思わず時が止まったかと思うくらい高く放り出されたスマホは、階段上で迂回中の二人組の右側、つまり華奢な姉ちゃんの頭上を目がけて落ちてきた。

 「きゃっ」と小さな声を上げ、階段上でバランスを崩す姉ちゃん。俺は咄嗟に身を乗り出したが、横の太っちょが姉ちゃんの腕を上手に引いて、安定した下半身でどっしりと姉ちゃんを受け止めた。サラリーマンのスマホが、俺の頭頂部にぶち当たる。その想定以上の衝撃に今度は俺がバランスを崩しあわや転落しかけたが、痛みを覚えつつもとっさに缶コーヒーを投げ捨てる判断をし、空いた両手で階段の踏面ふみずらにある滑り止めの凹凸に食らいつくように手を引っかけて免れた。職業柄、握力が発達していて助かった。階下から、カン・カン・コーン!と、缶コーヒーが転がり落ちる音が響く。

「だ…大丈夫ですか?」

 華奢な姉ちゃんが俺に駆け寄り、心配そうに声をかけてきた。酔っ払いのサラリーマンは俺のゴツめの外見に気圧けおされたのか、そんな俺達を遠巻きに見つつなぜか自分が被害者のようにビクつきながら「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返し、割れたスマホを拾ってそそくさと階段を降りていく。

 怒りが湧いて、「おい!」と呼び止めると、その背中が分かりやすいくらいビクッと跳ねた。そのあまりに滑稽こっけいな姿に俺はすっかり戦意喪失し、プッと吹き出す。

「コーヒー、捨てといてくれ。」

 俺がそう言うと、サラリーマンは「はいぃぃ!!」と何とも情けない声を出し、光の速さで一気に階段を下って俺が投げ捨てたコーヒーの缶を拾い、そのままダッシュで消えた。その様子に俺が再び吹き出すと、太っちょもぎゃははと豪快に笑い、華奢な姉ちゃんもまたクスクスと愛らしい笑みを浮かべた。

 姉ちゃん二人組に労りの言葉をかけられながら、頭に出来たこぶをさすりつつ改めてホームに向かうと、ちょうど電車が入ってきているタイミングだった。二人組は反対車線の電車らしく、別れ際、華奢な姉ちゃんは自分は悪く無いのに何度も詫びとお礼を言ってきて、俺もつい離れがたい気持ちになったが、太っちょが「でも悪いのあのリーマンだけじゃね?」と空気の読めない発言をしたのを切っ掛けに「じゃあ」と軽く一礼し、ちょうど開いた扉の奥に進み、そのまま空席を探して車両を何列か突き進んだ。

 普段の俺なら接する事も無いような、あんな清楚で可愛らしい姉ちゃんと会話ができて、感謝までされたのだ。今日は、もうそれで良しとしよう。

 柳川の待つ駅に到着してすぐ、ホームと駅前の空間を隔てている柵越しに、職務質問中の警察官とその職務質問を受けている柳川の姿を発見した。このまま引き返したい気持ちに駆られたが、柵の向こうから俺を見付けた柳川が「おーい!」と激しく手を振り、警察官二人組の視線も俺をロック・オンする。

 観念して改札をくぐる覚悟を決め、尻のポッケに手を入れるとーーーーー無い。

 確かにそこに入れたはずの、ICカードの入った俺の財布が、無いのだ。

 慌ててその場で反対側の尻のポケットを叩いたが、もちろんそこにも財布の厚みは確認出来無かった。

 一瞬にして柳川の事など忘れ、焦って振り返った俺の目に、ホームの奥からドタドタとこちらに駆けてくる太っちょと、それから少し遅れてひょこひょこと独特なフォームで駆け寄ってくる華奢な姉ちゃんの姿が飛び込んできた。

 太っちょは最後の数メートルで走るのを諦め、この寒空に大量の汗をかきながら、息も絶え絶えに説明を始めた。

「……はー……はー……さっき、あんたが電車乗った……あと……はー……はー……階段に財布……落ちてて……さ、……はー…はー…。とっさに拾って……同じ電車に飛び乗ったけど……見失って……はー……はー……。」

 話の途中で追いついてきた華奢な姉ちゃんが、俺の焦げ茶色の革財布を差し出しながら、深々と一礼し、言った。

「ごめんなさい、念のため確認しようと思って、中身、見てしまいました。新見高虎にいみ たかとらさんで間違い無いですよね?私、高宮花たかみや はなと言います。」

 丁寧な対応にあまり慣れていない俺は少し戸惑いながら、「ああ、はい」と気の抜けた返事をし、お礼を言いながら財布を受け取ろうと手を伸ばした。お互いの手と手が意図せずに触れ合い、細い指先がビクリと軽くはじけた。

「あは……すみません……。」

 たかが手が触れただけなのに一瞬にして耳まで真っ赤になったその顔を見て、なぜか俺も自分の顔が赤くなっていくのが分かった。

 言い現せないようなもどかしさに包まれ、どうしていいか分からずにそのまま数秒見つめ合ったが、その身じろぎしたくなるような甘い空間は、柳川の「たかとらー!!早くー!!たかとらー!!」と、俺を呼ぶ悲痛な声でかき消された。





つづく

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