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Advent Calendar2022#8 滑ることについて語るときに俺の語ること

コーポレート部門のヤスダです。
この記事はフュージョン株式会社Advent Calendar 2022の8日目です。

はじめに


師走に入り急に朝晩の冷え込みと共に白いのが来た。毎年多少のズレはあるものの、たいていは街角のジングルベルと降雪開始の帳尻が合うものだ。年末放談なので本稿ではごく個人的な趣味の話を書く。いやそうとも言い切れないのだが。他のメンバーたちのノーブルな書きぶりをよそに一人称は「俺」で書く。

道路ツルツルの札幌市街地 2022年12月8日時点

普通、「書く」というのはまず始めに頭の中に言いたいことがありそれが両手とキーボードを通じて出力されるものだと解されているが、かの村上春樹は真逆のことを言っている。
「毎朝10kmランニングしてから机に向かう。手が書く。手がまず書き出して、自分が何を言いたくて何を考えているのかが事後的に立ち上がってくる。」である。かねてよりこの理屈には深く納得していたところだがあまりにもビジネス世界での常識とは乖離・・・。

おっと。現に、スキーをテーマにしようと決めて取り掛かったのに春樹が登場して全く関係ないことを手が書き始めてしまった。本編に入ることにする。


1.知人夫妻の嘆き

非降雪地域で育ち昨年札幌に居を構えた知人-M氏夫妻-から相談があった。「スキーについて困っているので助けてくれ。」とのことだ。唐突ではない。俺があらゆる所で「スキーが飯より好きだ」と吹聴しているので当然そうなるだろう。まずは飯でも喰いながら話を聞こうとなり、その日は朝からコムタンスープを仕込み、夫妻を迎えた。話はこうだ。

・小1の娘さんのスキー学習が始まる(さらにもう一人下の子がスタンバイしている)
・義務教育の体育の一環だと分かり拒否する術もなく狼狽している
・両親とも道具すら持っておらず、何を買うべきか入口から分からない
・道具を入手したとして、どこのスキー場に行けばいいのか分からない
・スキーウェアというものは自宅から着込んでスキー場までいくのか
・無事に駐車場についたとしてスキー靴はどこで履くのか
・リフト券はどうやって買うのか
・年明けのスキー学習開始までにスキー靴とスキーの着け方を娘に教え、他の子についていけるようにしてやりたいが、どう逆立ちしても無理筋だ

といったところである。思わず笑いながら頷いていたものの、当のM氏本人はいたって真顔である。はたと気づき申し訳ない気持ちになった。自分にとっての当たり前が、他人にとってはかくも絶望的難題なのだ。

日頃からスキー人口の増加を願う俺が伝えたことは只ひとつ、「見る前に跳べ」である。しかしそれではちっとも解決しないので、2点具体策を提案し、近日中の再会を約束してお開きにした。今シーズン何度かご一緒してサポートし、楽しさを伝えるつもりだ。

・まずはリサイクルショップで道具を入手せよ
・一緒にスキー場に行こう

左がISO9462従来規格で右がGRIPWALK規格。確かに未経験者には意味不明。メーカーや業界全体でのアナウンスが弱すぎてビギナーに不親切。

2.校長の苦悩

気になって調べたところ、札幌市は「地域に根差した札幌らしい特色ある学校教育」の3項目のトップに「雪」を掲げている。

スキー授業の是非については古くから道内の小中学校に横たわる問題である。俺の時代からそうだった。新品で道具一式を揃えるとかなりの金額になるのだ。しかも僅か1~2年でサイズアウトを繰り返すのだから親は心中穏やかでなかっただろう。わら半紙で配布されるスキー学習開始予告のプリントにはあれを準備しろ、これを準備しろと謳われていたが、「道具の準備が難しい場合はご相談ください」と欄外に控えめに記載があったものだ。どこの家庭も兄弟で道具をシェアするとか親戚近所のおさがりを使うなどしてやり過ごしていたように思う。

昨今の事情を知るのに適した調査を見つけた。
親は「子供のスキー授業」をどう思っているのか?スキーセットを購入するならいくらまでが理想か?についての調査 
出所 PRTIMES 2021年10月7日(調査主体ARU社)

児童間での格差問題の表出を強化するという理路で根強くやり玉にあがっているようだ。校長や担任に激しく異議申し立てする例もあるらしい。もっとも、現在のようにリサイクルショップやネットオークション等の格安セコハン市場が社会インフラとして確立するより以前の方が深刻な問題だったと思われるが。

それにしてもスキー授業に反対する理由が「意味がない・将来に役立たない」というのはあまりにも狭隘な考えである。それを学んだところで将来稼げないと言いたいのだろうか。それを言っちゃあおしめえよ、である。同じ理屈で音楽の授業や鍵盤ハーモニカ・リコーダーの購入要請が糾弾されるとは聞かないので、ひとえに金額レベルの問題なのだろう。札幌市はこれを懸案として位置づけ、行政主導のスキーリサイクルエコシステムを運用している。実にスマートでSDGsな取り組みだ。利用しない手はない。

https://www.city.sapporo.jp/kyoiku/shido/documents/recycle2022.pdf


3.愉悦の正体

俺は毎週スキーに行く。なぜ滑るのかと問われたら、楽しいからと答えるよりほかない。
猛吹雪の週末早朝にクルマの中で「馬鹿だなあ(俺って)。」とか、「なんでこんなことやってるんだ。」と呟いている自分に気づく。齢知命を迎え身体のあちこちにガタが出始めた男が夜も明けぬうちから家族の目を気にしていそいそとスキー場に向かい、マイナス15℃の中、ゴンドラ乗り場に並んでいるのは異常だ。理由は頭で考えてもよく分からない。
無意識下で「身体が欲している愉悦のようなもの」を求めているとしか言いようがない。これでは全く説明になっていないので自己の内面に深く降りてみたらやっとのことで2つの理由にたどり着いた。

ひとつめの理由は自然落下という報酬だ。
詳しくは「自然落下の恐怖とコントロールする気持ちよさ」とでも言おうか。スキーは恐ろしい。直滑降のスピードを競う競技での世界記録は254km/h。転んだら死を覚悟しなければならない。ここに在るのは水泳の飛込、トランポリン、スカイダイビングを楽しむ人とか、箱根の下りカーブで思い通りのラインをトレースしたときにライダーが味わっているのと同種のドーパミンだろう。

ふたつめの理由は「儚さ」に触れる報酬だ。
「一年のうち限られた期間しか出来ない」という意味で、道内のバイク乗りとスキーヤーは同じ渇望感や切迫感を共有していることに気がついた。興味の無い人から見たときの物好き具合も同類である。雪は必ず降り、必ず融けて消える。その儚さが己の無意識領域の欲求を強く刺激する。なんだか春に必ず花見をしたくなるメンタリティに似ていると言えなくもない。桜が人々を惹きつけてやまないのは、すぐ散るからだろう。スキーに宿命づけられている期間限定の「儚さ」は、俺がぶつくさ言いながらも結局は山に向かう動機と言えそうだ。

落下と浮遊

4.生涯スポーツとしてのスキー

フュージョンの本社には「マーケティングを仕事にしたい。」しかし「北海道で暮らしたい。」と一見相反する欲求を同時実現したい方がエントリーしてくれる。UターンよりもIターンのメンバーに多いかもしれない。ウインタースポーツをやるのにこれほどピッタリな職場も無いと思う。
せっかく縁あって北海道で働くのだから、長い冬を楽しく過ごすために、そして健康維持のために、生活にスキーを取り入れるのは良いと思う。

スキーは相当にカロリーを消費する。足腰のみならず全身の筋肉を使う。同年代の同僚の腹は皆ビア樽だが、俺は20年前と体重が変わらない。風邪もまったくひかない。
週末に必ず判を押したように同じサイクルで行くため、ハイブリッドワークで曖昧になりがちなオンとオフの切り替えポイントにもなっている。
スキーを続けていることが確実に心身に良い影響をもたらしているという実感がある。

尊敬する三浦雄一郎氏は75歳でエベレストに登った。若き日に氏が北海道大学に進学した理由はスキーが出来るからである。獣医師でプロスキーヤー且つ会社代表である。父敬三氏(故人)など100歳まで海外で滑っていた。

これでも将来役に立たないというのか。いや、そうじゃないだろう。

未就学児はリフト代がかからない


では、また次回の記事をお楽しみに。